穏やかに優しく流れる波。
 照りつけてくる太陽。
 まだ午前中にも関わらず、汗ばむ陽気。


 碧が溢れる場所。
 昨日も来た、あの出来事が起きた場所。

 来てしまった。
 何をしているんだ‼︎僕は‼︎
 あの言葉を信じるなんて……‼︎
 彼女が居る筈がないのに……‼︎


 ーー案の定、そこに彼女の姿は見えなかった。

 まあ、そうだよね。
 あの言葉なんて、最初から只の戯言だったんだよ。
 本気にした僕がいけなかったんだよ。
 期待してしまった僕がいけなかったんだよ。
 
 馬鹿馬鹿しい。

 踵を返して行こうとしたその瞬間ーー
 忘れることの無い、
 昨日の、
 あの声が聞こえてきた。

 「あ‼︎あああ‼︎昨日のおお‼︎」


 そこには、此方へと走ってくる予想通りの人物の姿があった。


 「こんにちは‼︎あ、おはよう‼︎かな‼︎わあ‼︎ちゃんと覚えててくれたんだね‼︎わあ‼︎すんごく嬉しい‼︎わあ‼︎」

 ハイテンションで勢いよく僕の手を握ってくる彼女。
 戸惑っている僕の様子を気にも留めずに彼女は、わあ‼︎わあ‼︎を連呼する。
 「あ、あの……」
 「え、あ、ごめん‼︎なんかね、興奮しちゃってさ‼︎うん?なあに?」
 「……え」
 「うん?」
 「あ、の‼︎名前!あの、知らなくて…」
 「……ああ‼︎ごめん‼︎興奮して、忘れてた‼︎…てことは、昨日は、名も知らない人に『明日』って言って君は名も知らない人に『明日』って言われたってこと⁈え、怖い‼︎怖すぎるね‼︎完全に不審者じゃん私‼︎」
 「あの、…」
 「え、あ、ごめん‼︎名前‼︎だよね‼︎えっと…‼︎まず君から‼︎どうぞ‼︎」
 僕から聞いたんだけど?この人僕の話聞いてた?、と思いつつも僕は文句の一つも言わずに彼女の言葉に従った。
 「…葵。葵響也。」
 「あおいきよーや‼︎綺麗な名前だね‼︎」
 「……ど、も。そ、そっちは?」
 「ふふ。私は葉月歌奏。よろしくね‼︎」
 「ハヅキ…さん。……ヨロシク。」
 「何それ!名字にさんづけ?歌奏‼︎歌奏でいいよ!」
 「カナ、デ……。よろしく。」
 「うん‼︎ありがとう‼︎わあ‼︎嬉しい‼︎わあ‼︎」
 またまた、彼女はわあ‼︎わあ‼︎を連呼する。
 はあ。
 いい加減うんざりしてきた。
 痺れを切らした僕は、ついつい思ったことを口にしてしまった。
 「ねえ、歌奏。歌奏ってとっても突進してくるね。」

 「………………」
 「………………」

 僕と彼女との間に沈黙が流れる。

 ん?
 どうされました?
 え?
 僕、変なことなんて言ったっけ?
 心当たりは無いのだけれども‼︎
 ん?
 え?
 「あの…どうされました?」
 不安で敬語になってしまう。

 「あはははは‼︎突進⁈確かにそうかも‼︎」
 あはは、と笑いが止まらない様子の彼女。
 なんだか、この光景を以前にも見た気がするのは僕だけだろうか。

 「ところでさ。今日。どうして来てくれたの?」
 「……なんとなく。他にやることが、無かったから。」
 「……ふぅん…」
 せっかく歌奏が話題を提供してくれたのに、会話をすぐさま終わらせてしまう僕。
 それが申し訳なくて、自分から話題を振ってみる。
 「あ、のさ。」
 「うん?」
 「なん、で昨日。話し掛けてきてくれたの?見知らぬ人なのに。」
 歌奏は答えに逡巡するも、すぐに口を開けた。
 「君の歌がさ、只々、純粋に綺麗だなあって思ったんだよ。それだけ。」
 1つ1つの言葉を噛み締めるように言う。
 歌奏は本当にそう、思ってくれているのだなと思える程に。
 「響也は?」
 「え?」
 いきなり呼び捨てか?と思ったけれど、呼び捨てをしてしまったのは僕も同じで何も言えないなと思った。


 「何?」



 「響也はどうしてあそこで、歌ってたの?」
 

 その質問。
 いずれ聞かれるだろうな、と思っていた。
 言わない。
 そう決めていた筈なのに。
 あの瞳からは逃げることはできない。
 ーーそう思った。
 「家出したんだ、昨日。息苦しかった。逃げたかった。  あそこで何故歌ったのかは、自分でも分からない。」
 
 少し感じの悪い答え方をしてしまったかな、と思ったけれど、歌奏がそっか、と笑い掛けながら言ってくれたので、途中で考えるのをやめた。
 全てを言った訳ではない。
 歌奏にーー彼女に、全てを曝け出す必要はないと思った。

 「う……てよ。」
 「え?」
 

 「もう一回、歌ってよ。」
 
 
 
 
 「………ごめん。」

 
 
 「え?一回だけでいいか…」
 



 「無理だ。」
 

 彼女の言葉を遮るように発せられる言葉。




 歌奏の瞳にまたもや戸惑いの色が浮かんだ。


 「そ、そうだよね、そうだよね。ごめんね、急に。そっか、そっか。」


 「………………」


 「……でも、諦めないよ‼︎君がーー響也が歌ってくれるその日まで‼︎何度も言う‼︎から‼︎"歌って"って‼︎」
 



 そう言う彼女の真っ直ぐな瞳と言葉が、僕の心を掴んで掴んで離さなかった。


 
 
 「………ふうん」


 「うん‼︎」
 歌奏がやる気に満ち溢れているように見えたのは僕の気のせいだろうか。


 「…そ、れじゃ。」
 
 「うん‼︎じゃあね‼︎」
 「……元気、だね……」
 「うん‼︎そうだよ‼︎」
 「………じゃ、あぁ」
 

 来た道を戻ろうと、足を動かそうとしたその時。
 
 「響也‼︎‼︎」
 「……何?」
 頼むから、僕の名前を大声で叫ばないで頂きたい。
 「れ、連絡‼︎先‼︎教え‼︎て‼︎」
 「……大声で何馬鹿なこと言ってんの?」
 「……え、あ、ごめん‼︎私、諦めない宣言‼︎した‼︎から‼︎連絡先分からないと不便かな‼︎と‼︎思って‼︎」
 この人は、一体何なんだ。
 「………べ、つに。いいけど」
 連絡先というものを同世代の人に教えてと言われるのが初めてで、しどろもどろな僕の答え方に、彼女は変な方向の勘違いをしたらしい。
 「え‼︎いいの⁈……てか、響也君。もしかして照れてる?」
 にやにやしながら言う歌奏。
 この人、頭大丈夫かな。
 「…はあ⁈何言ってんの⁉︎」
 「ふっ、ふっ、ふっ、響也君。照れなくてもいいんですよ?まあ、気持ちは分かりますよ?こおんなに可愛い女の子に『連絡先教えて』って言われたら照れますよねえ。」
 もう、何を言っているのか。
 理解に苦しむ。
 「照れてないし‼︎」
 「そんなこと言って本当は照れてるんでしょう?」
 「はあ?んなこと言うんだったら連絡先教えないよ‼︎」
 「え⁈何それ‼︎それはずるいよ!」
 ふん。
 いい気味だ。

 そう思っていたのが顔に出ていたらしい。
 「ああ‼︎今絶対、"ふん、いい気味だ"って思ったでしょう?わあ‼︎いけないんだあ‼︎」
 「小学生みたいな態度やめなよ。はあ。恥ずかしい。」
 と言いつつ内心冷や汗がだらだら流れていた。

 歌奏ってば、僕は真顔だったのに思っていたことが分かるなんて。
 恐ろしい。
 敵に回したら弱みを握られて終わりだ。

 
 「…響也?何、ぼうっとしてるの?あ、もしかして私に見惚れてた?まあ気持ちも分かるけれどねえ。あ、都会だった通報されてたよ?まあ私だから大目に見てあげてるけれど‼︎ああ、なんて優しいの‼︎私‼︎」
 「見惚れてなんかないし。本当に頭大丈夫?あと耳も大丈夫?何回言ったら分かるんだ⁈一回病院を受診したらどうかな。いいところ知ってるんだけど。」
 「ねえ‼︎それ、失礼‼︎」
 「それはどっちのセリフだよ。」
 あはは、確かに‼︎と明るく、茶化すような彼女の表情の裏側に、悲しみや寂しさを隠していたことを、この時の僕は知らなかったのだ。
 
 
 「はい‼︎今度こそ‼︎連絡先‼︎」
 「………ん」
 
 そして、彼女に『連絡先を教えて』、と言われてから1時間後に連絡先を入手することができた。

 「ごめんね‼︎もうすっかりお昼かな?わあ‼︎時間の流れって早いね‼︎いっけない、用事があるんだった‼︎じゃあね‼︎」

 まるで嵐のようにやって来て、嵐のように去っていく。
 不思議な人だな。


 そんなことを思いながら、僕は今度こそ祖父母の家へと向かった。