「好きなの?」
 唐突な彼女の問いかけに、僕の思考は停止せざるを得なかった。 

 スキナノ?  
 すきなの?  
 好きなの?

 数秒かかってようやくその言葉が頭に入ってきた僕は、口がぽかんと開いたまま塞がらない。

 僕が? 
 彼女のことを? 
 好きかってこと? 
 え? 
 どういうこと?

 僕の頭は?マークで埋め尽くされる。
 彼女の言葉の意図が掴めない。
「………………」
 しかし、だからといって無視と同然の行為をするのは良くないだろう。
 そう思い意を決した僕は、回らない頭で、彼女が悲しまないような言葉をなるべく選ぶよう努めて言った。
「え……っと。僕、君と今知り合ったばかりで…。君のことを全然知らないですし。それに僕みたいな人とは関わらないほうがよろしいかと思うんですけれど……。その、ごめんなさい。僕、君のことは好きではないです。あ、じゃ、じゃ、じゃなくて好きか分からないです。」
 すると、今度は彼女の口が、ぽかんと開いたまま塞がらない。
 「………………」
 「………………」
 僕と彼女との間に流れる沈黙。
 眩しい程の夕日。
 哀れむように鳴く烏。
 ザーザーと穏やかに流れる海。
 肌にふんわりと触れる潮風。
 

 まずい。やってしまったかもしれない。

 そう思った瞬間、彼女は固まる僕を数秒間見つめると、鈴を転がしたような可愛らしい笑い声を上げた。
 「あははっ。…違うの。そうじゃなくって。」
 あはは、と笑いが止まらない様子の彼女。
 僕は、一体どういう意味なのか理解出来ず
 「へ?」
 と、拍子抜けたような声を出してしまった。
 何がそんなに面白いのか。
 何が違うのか。
 「どういうこと?」
 もう一度、問う。

 「歌。」

 ウ…タ…?

 「え?」


 「歌、好きなの?」



 どきりとした。
 
 その真っ直ぐな瞳で僕の瞳を見るから。


 「どぅ、どぉ、どうして?」
 動揺して、思わず噛んでしまった。
 恥ずかしさのあまり、顔が茹でたタコのように赤くなっていくのが自覚できる程、恥ずかしい。
 しかし、彼女は僕のそんな様子を気にも留めずに言葉を連ねる。
 「さっき、君の歌が聴こえてきたから。綺麗だったから。」
 ストレートに褒められたのは初めてだ。
 なんとも言えない、居心地の悪い気持ちになる。
 それよりも『君の歌を聞いた』?
 ちょ、ちょっとどういうこと? 


 「それで、好きなの?歌。」
 僕は思っていたよりも長い時間黙っていたらしい。
 
 痺れを切らした彼女は、もう一度問う。



 

 「ーー嫌いだよ。」



 

 
 彼女の瞳に戸惑いの色が浮かんだ。
 
 


 「………………」 
 「………………」
 僕は何も言わなかった。
 他人に答える筋合いは無いと思ったから。
 また、彼女も何も言わなかった。


 どれくらいそうしていたのだろう。
 僕と彼女との間に、今日2度目の沈黙が流れる。
 すると突然、そんな沈黙を破るようかのように彼女が声を上げた。
 「あ!もうこんな時間!お母さんに怒られちゃうや。また明日会おうね。それじゃあぁぁぁぁあ。」
 そう告げると、彼女は自転車に跨って過ぎ去っていった。

 ?
 『明日』?
 『また明日も会おうね』?
 何を言っているんだ?
 明日も会うってこと?
 何をするために?
 会うことの利点は?
 いやいや、それよりも僕と君はつい先程会ったばかりだよね?
 僕、明らかに雰囲気の悪い答え方をしたよね?まるで拒絶をするような。
 どうして何事も無かったかのように振る舞えるの?
 僕は君の名前を知らないし、君も僕の名前を知らないよ!
 
 
 

 もしかして、面倒臭いことに巻き込まれてしまったのかもしれない。
 
 はあ。

 こうなったのも全部。全部。
 "あの"せいだ。

 ーーそう思うことにしよう。

 僕は無理矢理理由をつけると、我武者らに砂の上を走って帰路についた。