「緒方透くん、君はどうやらとても素直な性格のようだ。初対面の僕に対等であることを求めてかつ、自分も相手の要求に真摯に答えようとしているのがその証拠だ。泣くほどツラいなら、全然別の光景を描いたって良かったはずなのに君はそうはしなかった」

 彼はそこまで話すと、僕の両親の方を見て、少しの間だけ僕と二人だけで話をさせて欲しいが可能かと尋ねた。父と母は彼の言葉に従い、診療室を出た。彼は扉が閉まるのを確認すると、椅子の背もたれに体重を預けるようにして座り息をひとつ吐いた。診療室の空気が弛緩したように僕は感じる。

「緒方くんは素直すぎて、純粋すぎるから、普通の人なら目を背けても平気な小さな自分の瑕疵を許せないんだ。だから自分で自分を追い詰めて大きな心的ダメージを受けてしまう。君はもう少しずるくなった方がいい。大丈夫。君だけがそうしてる訳じゃない。皆、多かれ少なかれ嘘をついて、罪を犯して生きている。君の同級生だって、私や君の担任やご両親を含めた周囲の大人達だって皆そうだ。誰だろうね、嘘はついてはいけないなんて嘘を最初についた嘘つきは」

 目の前の医師は両親が居たときよりも、少し早口に、そして饒舌になっていた。彼の言うことは中学二年生には少々ぶっちゃけすぎではないかと当時の僕ですら思った。両親を退席させた理由が分かった。でも、彼は僕の治療のために、オブラートに包んだ言葉を捨てたのだ。大人としての体面を取り繕うことをやめたこの医師に僕は好感を抱いた。

「すみません、ひとつ良いですか?」
「いいとも。僕は君の担当医だ」
「つまり、僕はこの光景から目を逸らして生きればいいということですか?」
「逸らすというより、一旦横に置いておくんだよ。よく言うだろう、自分のことは棚に上げてって。都合の悪い過去とか罪とかそんな心の負債を棚上げしようってことだよ。忘れられればもっといいけど」
「それは……」僕は一瞬言葉に詰まった後、「無理だと思います」
「どうしてだい?」
「この木を見上げた時、そばに忘れられない子がいたんです。僕はその子を一生忘れられないと思います。だから、横にも棚にも置けません」
「友達かい?」
「どうでしょう……。でも、それに一番近い子だったとは思います」

 そう答えるしかない。

 僕は加藤杏と自分の距離感を、未だに計りかねていた。