加藤がカウンターの一番隅っこに二つの空席を発見して、素早く陣取った。まだ前の客の皿が残っている。たぶん、さっきの水商売風の女性達が使っていた席だろう。僕は丸椅子に座りつつ灰皿に残された口紅のついた吸い殻を見てそう思った。

「加藤、メニューは後ろに張ってあるからテキトーに選んで。予算は七百円まで」
「ケチくさいな。緒方、あんた絶対女にモテない」

 壁に貼ってあるメニューを眺める加藤の言葉は悪いが、声は弾んでいた。理由は分からないが楽しそうだ。僕はセルフサービスのお冷や二つ、安っぽい透明な青いプラスチック製のグラスに注ぐと、ひとつを無言で加藤の前に置いてやって、自分は一気に半分くらい飲み干した。涼しい店内で、水分を補給してやっと僕は人心地つく。

「ねえ、緒方」加藤が後ろを向いたまま訊いてくる。
「何?」
「冷やし中華って、どんな感じの料理?」
「冷たい麺」僕は超テキトーに答えた。ウソでは無い。
「そうめんっぽい?」
「そうめんより栄養バランスはいい」
「じゃあ、それにする」
「すみません、冷やし中華二つください」

 僕は僕達に背を向けて、中華鍋をがこがこ鳴らしながら振ってるおじさんにオーダーを
伝えた。おじさんは「へい、冷やし二丁」と短く答えた。料理が出てくるのを待っている間、僕はカウンターの下に放置されていた青年漫画雑誌をぱらぱらとめくった。雑誌の表紙には黒マジックで『まるへい』と書かれて油のシミでページがところどころ汚れている。加藤も僕の真似をして、一冊取り出したがすぐに「ひっ」と叫んで雑誌を元の場所に戻した。そして、カウンターに残った皿を回収に来たおばさんが置いていったおしぼりのビニールをやぶって、丁寧に手を拭いていた。

「緒方、この店全体に汚くない? それに暗いし」
「大衆中華の名店はこういうものだ」
「調味入れに埃がかぶった名店なんてありえない」加藤が薄汚れたラー油の容器を指さして唇を尖らせた。
「それも味だ。女子供には分からない」
「何度も言うけど、緒方絶対モテないと思う。あと、あんたもまだ中学生」
「冷やし二丁でーす!」