そこに現れたのは腰まで伸びたプラチナブロンドをなびかせ、裸体にも関わらず、神々しいまでの美しさをもった青年だった。
決してその顔は偏ってなどいない。
あくまでも女性と男性の両方を具えた中性なのだ。
「て、てめぇは……」
「……俺は冬の蝉」
ハイ・エンドは狂った世界から一気に現実の世界に連れ戻された思いに駆られた。
冬の蝉は一ノ瀬 守ではなかった。
つまり、守の方が保護システムだったことになる。
保護システムだと思っていた夕貴と史樹の二つの魂が一つになって蝉なのだ。
昔、江崎から聞いたことがある。マザーシステムの中でも、かなり高度な能力で分割システムというものがあると。
それは文字通り、魂を二つに分割して共有するものなのだ。
ハイ・エンドは唖然としていた。
「お前が冬の蝉だと……?」
冬の蝉はうろたえるハイ・エンドを無視して守のいるの方へ近寄った。
「守……」
守の命の灯火は消えかかろうとしていた。
冬の蝉の呼び掛けにも応じない。
虚ろな目で天上を見つめている。
「守……すまなかった……俺のせいでこんなになるまで傷ついて……俺が甘かった。後は……まかせてくれ」
冬の蝉の目には、悲しみと怒りとどうすることもできない自分への苛立ちが混じった、複雑で計りきれない感情が映っていた。
「ハイ・エンド……お前は俺の唯一の親友を殺したのだ。その代償は生命で償ってもらうぞ」
冬の蝉のプレッシャーに負けていたハイ・エンドも相手の殺気に目を覚ます。
「ふざけろ、何が親友だ! 何がPXシリーズだ! みんな……みんな、うぜぇんだよ! まとめてぶっ潰してやる!」
再び、ハイ・エンドに憎悪が蘇る。
これだけが彼を奮い立たせる薬だ。
今まで戦場で麻薬代わりに自分の心に打ち続けた。
憎しみだけが俺の全てだ。
「これで最後だ! 赤の剣、俺にありったけの力をまわせ!」
ハイ・エンドは自分でも気がついていなかった。
彼の顔つきは鬼の形相だ。
美しい面をもった冬の蝉と鬼の面をもったハイ・エンド。
この光景に直面した者は例え、二人の立場が逆転していようともハイ・エンドの方を悪と見ただろう。
ハイ・エンドは再度、闇の翼を広げ、宙に浮いて見せた。
それに対して冬の蝉は何の構えも見せずにただ、じっとハイ・エンドの行動を見守っている。
ハイ・エンドは真紅の口を全開にして雄叫びを上げた。
凄まじい反響音が館内に響きわたる。
それを聞いた由香は耳の鼓膜が破けそうになった。
常人には怪音波のように聞こえるのだ。思わず、耳を塞ぐ。
「俺はずっと、FXという名のために苦しんできた。だが、それも今日で終わりだ! てめぇさえ、殺せば認めてくれるんだ! オウラのジジイ達も、マザーの連中も、そして、江崎博士も!」
ハイ・エンドは剣を構え、重力とスピードを借りて地上に急降下していく。
流れ星のように迫り来るハイ・エンドに冬の蝉はゆっくりと右手を上げた。
冬の蝉の体に触れるその一歩手前でハイ・エンドの進行は止められた。
見えない壁があったのだ。
衝突する赤の剣と冬の蝉の右手の間にバチバチといった火花が生じる。
ハイ・エンドは赤の剣を通して見えない壁から繰り出される衝撃を感じた。
このままでは自分が押し返されそうだ。
「なんだと! バリア……ふざけてんじゃねぇ!」
ハイ・エンドは一時後退し、時を待った。
「バリアじゃない。お前と俺との間に時の狭間をおいただけだ」
ハイ・エンドは素早く、冬の蝉の背後につき、剣を振り下ろした。
剣は正確に冬の蝉の後頭部を狙ったはずだった。
だが、予想は外れた。
先ほどと同じく、剣は後頭部寸前で止まり、自分の腕から剣の重みがなくなったかと思うと自然と自分の手から離れていき、文字通り、跡形もなく吹き飛んだ。
ハイ・エンドは目を疑った。
あの赤の剣が、数々の保護システム達を蹴散らしてきた無敵を誇る剣が、たった、二回の攻撃で吹き飛ぶなんて……。
これが冬の蝉の力なのか。圧倒的、凄まじい、全てを超越している、どの言葉も当てはまらない。
この力は人間でもマザーでもない。神の領域だ。こいつの前では俺は無力だ。
「バケモンか……?」
ハイ・エンドがそう一言呟くと、冬の蝉は何も言わず、振り返った。
そして、ハイ・エンドの額を人差し指で突っつくように触れた。
直感した。それは何の理由もなかった。確かな根拠などどこにもない。
ただ、そう感じただけなのだ。
裁判官が法廷で判決を言い渡したようにそれは正確というか絶対的なものだった。
「……死ぬ」
時の狭間が狭まってゆく。
ハイ・エンドが押し潰されていく。
腕がひしゃげ、骨が肉から突き出す。
両足の感覚を失い、床に膝をつき、腕をぶらんとゾンビのように垂れ下げて呆然とした。
プレス機で板挟みにされているようだ。
更に圧迫は全身を襲う。内蔵が潰れていくのが分かる。
大量の血を吐き出す自分を見れば一目瞭然だ。
冬の蝉は無表情でハイ・エンドの顔を見ている。
哀れみも咎めもない。だが、じっと目を逸らさない。
耳から血が流れ、残っていた左目さえも飛び出てしまった。
視神経、聴神経が完全に絶たれたのだ。
だが、それでよかったのかもしれない。
何も見えないのだ。恐れを感じなくなる。
逆に感謝しなければならないのかもしれない。
口からよだれを垂れ流し、犬のようにだらしなく舌を出す。
もう何も感じなくなった。
ゲームオーバーだ。
次の瞬間、ハイ・エンドの頭は二つに割れ、脳が表に出ると打ち上げ花火のように吹き飛び、それと同時にハイ・エンドは時の狭間へと消滅していった。
大量の血液が影のように床に流れていく。