男は金髪で肌が極端に白く、口と耳にピアス、首には銀のネックレス。
 そして腰からは鎖が垂れ下がっていた。

 有里 慶吾は夕暮れでグランドが紫に染まる頃、体育館の入口の前にいた。
「バカみてーにでかいもん作りやがって」

 そのだだっ広い体育館は普段、使われていない。
 というのも、この三枝高校、三枝学園グループの創立者でもある故三枝深海の生誕百周年を記念して作られた建物でその名の通り、三枝記念体育館といわれている。
 そのため、この体育館は入学式や卒業式といった何かの行事でしか使われない。
 体育の授業や部活などは別館の一回り小さな体育館で行われる。

 いつもドアには頑丈な南京錠がかけられているのに今日は何もない。
 中に入れとメッセージが残されているかのようにドアが少しだけ開いていた。
 有里 慶吾はなんのためらいもなく、体育館に入って行った。


 彼の右手にはなぜか、口紅が一本握られている。
 中に入ると廊下をぬけ、更にホールへの門を開く。密集した客席を囲む複数の階段のうちの一つを下りていった。


 ホールには既に先客がいた。
「お久しぶりですな、コック殿」

 そこで待ち構えていたのは鋭い牙を露にした一ノ瀬 守であった。
「遅かったな……ハイ・エンド」

「ヘッ、いつ分かった?」
「お前がこの前、眼帯をしていたのを見てな。それに血の臭いは消せない……お前こそ、よく俺の果たし状がわかったな」
「これか? 懐かしいことしてくれるじゃん」
 口を裂けるほどつり上げて笑う有里 慶吾ことハイ・エンドは右手にあった口紅を守に投げ渡した。


「口紅……マザーの中でもごく一部の奴しか知らねぇ。〝死のルージュ〟だろ? これを渡された奴は命をかけたタイマンをはらなきゃならないんだよな。そんで勝った奴が負けた奴の唇に塗ったくるんだ」
「そうだ。覚悟はいいか?」
「上等だぜ」
 ハイ・エンドは右目の眼帯を外して、赤の剣を取り出した。


「その剣で卓真や綾香……それに哲二をやったのか?」
「ああ、クソのように血を垂れ流してたぜ」
 冷笑するハイ・エンドは残忍極まりない。

「なぜだ? なぜ、最初から俺を狙ってこなかった!」
「まあ、この剣の試し斬りも兼ねてるけど、俺は保護システムってのが大嫌いなんだよ」
「そんなことで……お前達は悲しいと思わないのか? 情けないと思わないのか? いつまでマザーの犬を演じているんだ? だいたい、マザーってなんなんだよ! 俺達は奴らの道具にされていたんだぞ!」
 守は嘆くように叫んだ。
 

 それをハイ・エンドは鼻で笑った。
「くだらねぇ。そんなこと、俺にはどうでもいいこった。俺達はてめぇらPXシリーズの下で這うように生きてきたんだ。被害者ぶるんじゃねぇよ! こちとら、生きていくことで精一杯だったんだ! てめぇらはいいよな。ちゃんと、認めてもらえるんだからよ。でも、俺達は何もない。認めてもらえるもんなんて何もないんだ! それを、その力を捨てた、てめぇらにとやかく言われる筋合いはねぇ!」
 ハイ・エンドは怒りのあまり、肩を震わせていた。


「もう、喋ることなんてねぇよ。後は闘えば、おのずとわかるってもんだ」
 赤の剣が光る。赤色の妖しい光りを帯び、刀身には古代文字が浮かび上がり、剣は身の丈を超えるほどの巨大な六角形の鉄柱へと変わっていった。
「これが第二段階といったところだ。時間がなくてよ、第三段階までしかこの剣の力を出しきれない。時間に感謝するんだな」
 ハイ・エンドには絶対的な自信があった。
 それは自ら述べた赤の剣の第三段階にある。
 これは保護システムの卓真や哲二を赤子のように遊んでやれるほどの力があった。
 あの吸血鬼の力を解き放てば、冬の蝉といえども勝てまい。


 第二段階で手が負えないのなら直ぐにでも、吸血鬼へと変身してやるさ。
「それが赤の剣の力か……」
 守は赤の剣の能力に対して特に反応はなく、床に転がっていたモップを手に取った。
 先端部分を外し、モップはただの棒と化した。


「なんだ? そんな棒切れで俺と戦うつもりか? 俺もなめられたもんだな」
 ハイ・エンドは呆れ返って頭を掻いた。
「〝目には目を〟といったところだ。これが剣の代わりだ」
「ヘッ、そう言ったことを後悔させてやるぜ」
 ハイ・エンドの渾身の一撃が守に襲いかかる。

 手ごたえありと思った瞬間、ハイ・エンドは頭上から目が離せなくなっていた。
 守はヒラリと攻撃をかわして、ハイ・エンドの頭に足を下ろした。

「忍者か、てめぇは?」
 そう言いながらも冷や汗が噴き出す。

 守はモップ棒をハイ・エンドの左肩に突き刺すように落とした。

 ハイ・エンドに激痛が走る。
 武器となったのはただの棒切れだ。なぜ、ここまでダメージが残る? 
 扱う奴が強いとこうも違うのか? と疑問が彼の頭に残る。
 左肩の損傷は予想以上にひどかった。どうやら骨に皹がはいったようだ。
 守の攻撃は文字通り、一撃で致命傷を負わせたのだ。

「いい加減、人の頭から下りろよ!」
 剣を振り上げると、守は音も立てずに着地した。

 床に下りると股を開き、モップ棒を前に出し構える。
「どうだ。例え、棒切れといえども正確につぼを突けば、FXでも損傷を負う」

 ハイ・エンドは吐き捨てるように言った。
「ヘッ、自ら種明かしかい。だったら、なんだってんだよ。こちとら、SSS持ってんだよ!」
 ハイ・エンドはついに赤の剣の封印を解いた。

 哲二と戦った時と同じく、焼けるような熱さにもがき、古代文字が彼の体に刻まれる。
 髪は逆立ち、犬歯が異常に発達し、目は真っ赤になっていた。
 だが、一つだけ、前回とは異なる点があった。
 それは黒。漆黒の闇が彼を、全身を覆っている。

 剣の光りも黒くなっていた。
 ハイ・エンドの内に潜む、闇に侵された不気味な憎悪がそうさせたのだ。


 こいつらPXシリーズなんかに負けてたまるか! 
 俺は勝つんだ。勝ってオウラのジジイ、それに現時会に知らしめてやる! 
 FXシリーズの方が優れてるってよ!

「ぐあああああああああ!」

 もう吸血鬼なんて生易しいものじゃない。
 血を吸われるどころか、その存在自体を呑み込まれそうだ。
 化け物、ハイ・エンドの雄叫びは体育館全体を震わせた。

「貴様を消してやるよ。冬の蝉!」

 剣を構えると一気に守との距離をつめて、不意打ちをかけた。
 下から剣をなぎ払うと守もモップ棒で防戦したがその化け物の力に圧倒され、モップ棒は呆気なく砕け散った。

「バカが……そんな物で俺に勝てると思ったてめぇの落ち度だ」

 ハイ・エンドの反撃が始まった。
 守はなす術もなく、ただ一方的にやられ続けている。
 彼が一体、何を考えているのか。
 死ぬつもりなのか。怒り狂ったハイ・エンドはそれを不思議に思っていない。

「もう終わりか? 蝉さんよ!」

 守の全身は満身創痍のそれでボロボロだ。
 あちこちの器官から危険信号を発している。
 あばら骨も何本か折れた。出血もひどくなる一方だ。

「ああ、終わりにしよう」

 沈黙していた守がやっと動きを見せた。
 彼の手には先ほど、ハイ・エンドに返された〝死のルージュ〟があった。
 だが、それはよく見るとハイ・エンドに返されたものではない。別のものだ。
 
 守は口紅のキャップを抜いた。
 中には口紅なるものはどこにも見当たらなかった。そこにはピカピカと光るボタンがあった。

 ハイ・エンドはしばらく、そのボタンに目を奪われ、考えを巡らせた。
 しまったと気づいた時は遅かった彼の腰には守に返したはずの〝死のルージュ〟が突っ込まれていたのだ。
 守がボタンを押すと、あたり一面に炎が舞い、ハイ・エンドは文字通り、半身を吹き飛ばされた。

 内臓という内臓が飛び散り、どれがどれだかわからない。
 そして、大量の血を流しながら無様に倒れる。
 
 全て策略だったんだ。
 俺が〝死のルージュ〟の意味を知っていたのを利用したんだ。
 でも、俺が奴に返したから焦ったに違いない。
 だから、あのモップ棒で俺を油断させたんだ。
 それで俺にやられるふりをしてその隙に口紅を、小型爆弾を俺の懐に突っ込みやがったんだ。
 ちくしょう!

「て、てめぇ! 汚ねぇ野郎だ!」
 守は冷たい視線でハイ・エンドを見下ろしている。

「マザーで習わなかったのか? 他人からもらったものは全て疑えとな」
「ざけやがって!」 
 こんなところで、こんなことで、死んでたまるかよ。
 俺はこいつに勝つんだ。もう俺は見下ろされないんだ!

 剣で体を支えながら立ち上がる。

「こうなったら俺の血を吸ってもいい! なんだったら俺の魂ごと吸っちまえ! 俺はどうしてもこいつに勝ちたいんだ。だから俺に力をくれ……赤の剣!」

 ハイ・エンドの願いに応じたかのように赤の剣は黒い光りを発した。
 驚いたことに黒い光りが欠けた半身を補っていく。
 見る見るうちにハイ・エンドの体は再生していった。
 やがて、背骨のあたりから骨が異常に発達し、肉から突き出す。
 骨は天にまで昇っていく。更に骨は黒い光りを帯びて肉を得た。
 赤の剣は自分の身を捧げたハイ・エンドに黒い大きな翼を与えたのだ。


 ハイ・エンドは翼を羽ばたかせ、宙に浮いた。飛んでいる。人間、一人が宙を舞っている。鳥のように。
 黒い翼を手に入れたハイ・エンドはさながら堕天使だ。
 ハイ・エンドはゆっくりと目を開き、守を見つめた。

「ヘッ、本物の化け物になっちまったな」
「貴様の心は既に化け物だ」

 悪態をつく守をハイ・エンドは鼻で笑った。
 やがて、ハイ・エンドの瞳から黒い光りが漏れ、戦闘体制に入った。
 ハイ・エンドは獲物を空から捕らえようとする鷹のように上空から急降下していった。
 巨大な闇が守の目を覆った。