ひと通り心の中で大騒ぎして落ち着いたミトは、ゆっくりとベッドから下りる。
「はぁ……」
 朝からやけに疲れた気がする。
 思わずため息をついたミトは、あの告白を知って顔を赤くしていた波琉の恥ずかしそうな顔を思い出して、再び身悶えた。
「あああ~。どうしよう。次の時どんな顔して会えばいいの? 直視できない!」
 それはきっと告白された波琉も同じかもしれない。
 だが、波琉は夢の中の住人。
 なにごともなかったようにされる可能性もあった。
「不毛だ。夢の中の人に恋するなんて、叶うはずがないのに。どうせ恋をするなら……」
 ミトは視線を右手の甲に移す。
 年を経るごとに赤く色づいていく花のアザ。
 不思議なことに、夢の中ではこの花のアザは浮かんでいなかった。
 なぜかなどミトには分からない。
 そもそもあんな夢を見続けること自体が理解不能なのだから、ミトが知るはずがなかった。
 ミトが花印を持っていると知ったら、波琉はどんな反応をするだろうか。
 そもそも理解するのかすら分からない。
「波琉も悪い。夢の中の妄想のくせに、あんな思わせぶりな反応するなんて!」
 あんなに顔を赤くして恥ずかしがるなんて、期待をしてしまうではないか。
 ミトは八つ当たりするように枕をぼすぼすと殴った。
 所詮波琉は夢の住人。ミトが作り出した空想の人物なのだ。
 恋をするなら、この花と同じ証を持つ龍神にすべきだろうに。
 ミトはそっと花のアザを撫でた。
 この花の種類が椿だと教えてくれたのは両親だ。
 あれは同じ歳の子たちが小学校に入学する時だったろうか。
 ミトは自分も当然小学校へ行くものと思っていたのに、できないと言われてしまったのだ。
 ミトには戸籍がない上に村長が許さないから、無理なのだと。
 それと共に教えられた、ミトの置かれている立場。
 本来なら花のアザを持つ子供が産まれると、すぐに国に届け出なければならず、申告を怠ると罰則があるのだという。
 国に申告された子供は、いくつかの審査をされた上で、そのアザが確かに龍神の伴侶の証である花印だと認められると、龍花の町に移動させられそこで過ごすことになる。
 だが、決して親元から離されるわけではない。
 望めば家族も一緒に龍花の町に住むことが許され、住む場所から職の斡旋まで親身になって手伝ってくれるらしい。
 なにかしらの事情があって龍花の町に暮らせない場合も、ある程度の配慮がされるとか。
 これらはあくまで両親がネットで調べた情報なので、真偽はミトには分からない。
 そして、花のアザを持つミトは生まれた時に国に報告をしなければならなかったのだが、それを止めたのが村長だったと、両親は表情を曇らせて教えてくれた。
 どうしてそんなことになってしまったかは、ミトが生まれた村に原因があった。
 ミトが住むのは星奈の村と言った。
 星奈の一族が暮らす、山深い場所にある小さな村である。
 村の人たちは皆親戚である。
 百年ほど前、星奈の一族はこの村に移り住んできたのだ。
 それ以前は、なんと龍花の町で神薙として暮らしていたらしい。
 龍花の町の神薙とは、国から認められた資格を持つ公務員のようなものだ。
 国の試験を突破し、国からの要請で龍花の町で龍神や花印を持つ伴侶に仕えるのだ。
 百年前まではそうして龍神に仕えていたはずの星奈の一族に、ある日一族に花印を持つ女の子が生まれたそうだ。
 当時はそれはめでたいと盛大に祝ったという。
 しかし、その花印を持つ女の子が龍神の勘気に触れ、星奈の一族は責任を負わされ龍花の町から追い出されたのである。
 もう二度と龍花の町に足を踏み入れることを許さないという強い意味を持つ追放であった。
 それからは、星奈の一族にとって花印を持つ子は凶兆の証となり、龍花の町のことも龍神のことも禁句とされていた。
 それは百年経った今でもなお色濃く残っている。
 そんな時に生まれてしまったミトの存在を、村の住人は忌み子として忌み嫌ったのである。
 そんな子供はいない者として、戸籍に残すことも許さず、それ故に学校に行くことができない。
「なにがあって、星奈の人たちは出ていかなきゃならなかったの?」
 そんな子供のミトの素朴な疑問に、両親は答えることができなかった。
「正直お父さんたちも知らないんだ。なにせお父さんたちが生まれるずっと昔の話で、村の人たちも知らない者の方が多いと思う」
 百年も前の話だ。
 まだ二十代だった両親が知らなくてもおかしくはないが、それだけ忌み嫌うくせに他の村の人たちですら知らないことに意味が分からなかった。
 理由も知らないのに、なぜそんなにもミトを厭うのか。
 ただ、昔からそうだったから流されているにすぎないのである。
 星奈が追放された理由は分からないが、学校には行けないと知った当時のミトは、それはもう泣き喚いたものだ。
 ミトにとって村での生活はとても窮屈だったから。
 ひとりで庭に出ることすら許されず、その生活のほとんどを室内で過ごした。
 窓には日の光さえ通さない重たいカーテンが閉じられており、それはまるでミトの存在を隠すようだった。
 外では子供の声が聞こえるのに、ミトが遊びに行くことを両親は許してくれない。
 たまに両親と一緒に外に出ることはあるが、向けられる厭わしげな眼差しに気付かぬほどミトは鈍感ではなかった。
 むしろ子供だったからこそ空気を読めたのかもしれない。
 自分に向けられる異様な気配をミトは正確に感じ取っていた。
 けれど、当時はその理由も分からず、両親の目を盗んで家を抜け出したこともあった。
 外から聞こえる子供たちの声があまりにも楽しそうだったため、我慢しきれなかったのだ。
 けれど、そこに待っていたのは、自分を迎えてくれる子供たちの笑顔ではなく、嫌悪と嘲笑。
「うわぁ、忌み子が来たぞ」
「やだ、あっちいってよ」
「逃げろー」
「俺たちで倒しちゃおうぜ」
 ケラケラとなんとも楽しそうに石を投げてくる子供たちに、ミトは泣きながら家へ逃げ帰った。
 子供というのは残酷で、なおかつ親をよく見ている。
 親がミトを疎んじているのを見て、自分たちもそうしていいのだと学ぶのだ。
 子供たちも、なぜミトが忌み子と言われているかも知らず、知ろうとせず、そのことに疑問を抱くこともなく、ただ目の前にある弱者を嘲笑うのである。
 そんな肩身の狭い星奈の村から出ることができる唯一の方法が学校であった。
 星奈の村は小さい故、山を下りた、星奈とは無関係の子供たちも通う学校へ行くことになっている。
 そこでならばミトも友達と言える存在を作ることができるとその日を心待ちにしていたのだ。
 だというのに……。
「なんで、なんで?」
 涙を流しながら繰り返し問うミトに、両親は痛ましそうな顔をしていた。
「ごめんね、ミト」
「ミトの存在を外に知られることを村長は怖れているんだ。また星奈の一族に災いが降りかからないかと」
 けれだ、その災いとはなんなのか。
 それに答えられる人間はこの村にはひとりもいないだろう。
 勝手に想像し、勝手に怯えているだけ。
 そもそも百年前になにがあって追放されたかすら知り得ないのだから。
 ミトにとっては理不尽なことこの上ない。
 けれど、まるで自分が傷を受けたように、悲しさと悔しさを顔に浮かべミトに謝る両親を見ていたら、それ以上のわがままを言うことはできなかった。
 そうしてミトは、自分という存在を消されたまま今日に至るのである。