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「あー、くそだりぃ」
 神薙が着る装束から、普段着なれないスーツへと変えた蒼真は、長い長い山道を走ってきて疲労の色が出ていた。
 まあ、走ったといっても蒼真は車に乗っていただけで、ここまでの運転は龍花の町から連れてきた神薙の補佐がしていたのだが。
 あんたなんもしてないだろ、という視線を無視して、補佐とともに舗装されていない道を歩いた。
 龍神に仕える神薙には、何名かの補佐がつけられるのが一般的だ。
 補佐になれるのはまだ試験に受かっていない神薙候補だったり、優秀な能力がありながらも様々な理由で神薙になれなかった者が務めることが多い。
 なにげに神薙という職は、エリートの中のエリートだったりするのだ。
 神薙の試験を十回も落ちたことをたびたび尚之に話題にされる蒼真だが、試験に受かった蒼真は決して落ちこぼれというわけではない。
 中にはその倍以上試験に挑戦しても受からない者は少なくないのである。
 それぐらい神薙の試験は狭き門なのだ。
 神薙になれたという時点で、蒼真はエリート街道まっしぐら。将来を約束されたようなものであり、多くの人の羨望を集める存在であった。
 ただ、残念ながらその実情は龍神の世話係という面が大きく、あまり自分がエリートだと感じたことはないとか。
 今回とて、波琉のむちゃぶりが発端となったお遣いなのだから。
 だが、これぐらいの我儘ならかわいい方だ。
 他の龍神に仕える神薙の中には、常に胃薬が欠かせない者もいるぐらい龍神の世話係は心労が絶えないと聞く。
 その点、波琉が我儘らしい我儘を言ったのは、この十六年でこれが初めてかもしれない。
 しかし、その我儘というのがけっこう曲者だった。
 星奈の一族のことは、神薙としてそれなりに勤めていたら、一度は耳にする名前だ。
 もともと神薙として龍花の町で龍神に仕えていたという一族は、同じく昔からたくさんの神薙を輩出してきた蒼真の日下部家とも似たところがある。
 しかし、神薙でありながら龍神の中でもっとも力ある四人の王のひとり、金赤の王の勘気に触れ、龍神の町を追放された。
 波琉に聞いたが、なにをしてそこまで怒らせたのかのかは知らないようだった。
 蒼真も、そして神薙としてはベテランの尚之も、追放された理由までは聞いたことはない。
 一族ごと追放となると、よほどのことをしただろうことが予想できるが、他の神薙に聞いてもそこまで知っている者は見つからなかった。
 そんな星奈の一族が龍花の町を追放されたのは百年も前のこと。
 簡単には見つけられなかったが、紫紺の王の願いということで、手の空いている者を総動員して情報を集めて、やっと居所を突き止めたのだ。
 目の下にクマを作りながら波琉に報告に行けば、波琉自らが見に行こうとしたので、慌てて尚之に止められていた。
 そして、報告が終わったらベッドに直行するつもりだった蒼真に、尚之は直ちに向かうように指示したのである。
 このやつれた顔が見えないのかと尚之に訴えたが、問答無用で放り出されたのだった。
「くそっ、これであてが外れてたらどーすんだ」
 戸籍に『星奈ミト』の名前がない時点でよくない予感がバシバシ感じる。
 けれど、波琉が絶対どこかにいると言い切るのだから、神薙としては粛々と受け入れるしかないのだ。
 頼むからここにいてくれよと願いながら村長の家に向かう。
 一応村長には電話で『星奈ミト』という人物がいないかあらかじめ聞いていた。
 返ってきたのは否であったが、それでは波琉が納得しなかったのである。
 正直、蒼真の波琉に対する評価は、龍神のわりに穏やかで聞き分けのいい方。とうのがこれまでの感想だったが、今回の一件で訂正しなくてはならない。
 やはり頑固さと折れることのない意志の強さは神のそれである。
 仕方なくこうして蒼真じきじきに来る羽目になってしまったが、すでに帰りたくなっていた。
「おい、さっさと確認して帰るぞ」
「はい」
 補佐の男性に声をかけて、村長の家の呼び鈴を鳴らした。
 出迎えたのは祖父の尚之とそう年が変わりなさそうな老人だった。
 一緒にいるのは妻であろう。
 どことなく怯えているように見えるのは蒼真の気のせいだろうか。
 チラチラと旦那である村長の顔色を窺っていた。
「よくいらしてくださいました。どうぞおあがりください」
「失礼する」
 わずかな違和感を覚えながら客間に通される。
 ひとまず出されたお茶をひと口飲んでから、本題に入ろうとしたのだが、先ほどから村長の妻が落ち着きなく外を気にしているのが気になった。
「外になにか?」
 蒼真に声をかけられて、過剰なほどびくっと体を震わせる村長の妻は、すぐに愛想笑いを浮かべた。
「いいえ、雨が降らないかと気になってしまって」
「この晴天の中でですか?」
 蒼真の目が鋭く射貫く。外は雨の気配など一切なく、雲すらまばら。天気予報でも降水確率は低く、雨が降るなど言っていなかった。
「え、ええ……」
「この辺りは天候が変わりやすいのですよ」
 村長が助けに入るように口を挟んできたが、蒼真にはなにかやましいものを隠そうとしているようにしか見えなかった。
 しかし、それがなにかを暴きに来たわけではない。目的を達成すべく、本題へと入る。
「ここは星奈の町と言われているそうですね。村に住んでいるのは皆星奈の一族だという話ですが」
「ええ、そうですよ」
「その昔、龍花の町を追放されたという星奈の一族で間違いありませんか?」
「ええ……」
 わずかに村長の顔が不快そうに歪んだが、蒼真は気にしなかった。
「なるほど、では、本題に入らせてもらいますが、星奈の一族の中にミトという少女はいませんか?」
「電話でもお話しましたが、そのような娘はこの村にはおりません」
 その言葉を素直に受け取るほど、蒼真も馬鹿ではない。
 先ほどから様子のおかしなふたりを見ていれば、信用できる相手とは思えなかった。
「村の中を見せていただいても? できれば一軒ずつお宅を拝見したい」
「えっ、それは……」
「なにか問題が?」
「今は仕事で家を空けているところも多いですので……」
 その言葉は、どうにかして蒼真を行かせたくないと言っているようにしか聞こえなかった。
 蒼真は隣に座る補佐に視線を向けると、補佐の男性は真剣な表情でこくりと頷く。
「かまいませんよ。夜には帰ってくるのでしょう? 大きな村でもないようですし、村人ひとりひとりに話を聞かせてもらいたい」
「わ、分かりました」
 村長は平然としていたが、先ほどよりも顔色がすぐれない村長の妻が、蒼真は気になっていた。
 村長と違って、取り繕うのが苦手なようだ。すぐに顔に出てしまっている。
「では、さっそく案内をお願いします」
「はい」
 なかば無理矢理案内を頼むと、立ち上がり外へと向かった。
 その後を慌ててついてくる村長夫婦。
 蒼真はそっと視線を後ろに向けると、了解したというように頷いて、補佐の男性が蒼真とは違う方向へと走っていく。
 それを見届けてから、村長に案内されて蒼真は村の家を一軒ずつ見回った。
 一族しか住んでいないというだけあって、建物も多くない。
 一日あれば十分に見て回れる広さだ。
 しかし、日中は働きに出かけている者が多いのか、留守の家がほとんどだった。
 話を聞けたのは、村長と同じ世代の老人ばかり。
 そのひとりひとりに問いかけてみたが、やはり誰もが『星奈ミト』などという娘は知らないと口をそろえた。
 無駄足だったか……。
 だが、蒼真の神薙としても勘になにかが引っかかる。
 少女の名前を出した時、わずかに相手の声に緊張が走るのを蒼真は見逃さなかった。
 なにかある。
 それを確信に変えるために、蒼真自身に注目させている今頃、補佐がこの村の中を調べていることだろう。
 その調査が終わるまでは、村長とともに家を回って時間稼ぎしておく必要があった。
 とは言っても、それほど多くない家を回るのに時間はかからなかった。
「残りは一軒です」
 そう言う村長はすぐそばにある、クリーム色の屋根の民家を通りすぎようとしていた。
 しかし、一瞬その家のカーテンが揺れたように見えたのだ。
「待ってください。そこの家はまだ見ていませんよ」
「ああ、そこの夫婦はふたりとも仕事に出ていて留守にしていますから」
「今、カーテンが揺れたようですが、他に誰かいるんじゃないですか?」
「ははは、きっと気のせいですよ」
 村長は笑うが、蒼真はその家に足を向け呼び鈴を鳴らす。
 しばらく待ったが出て来ないので、無遠慮に玄関を開けようとしたが鍵がかかっていた。
「ほら、そこは留守ですよ。見間違えたのでしょう。さあ、次へ行きましょう」
 納得がいかないまま、蒼真は最後の家へと向かったが、そこでも答えは同じ。そんな娘は知らないということ。
 仕方なく村長の家へと戻っていると、補佐の男性が帰ってきた。蒼真は声をひそめる。
「どうだ?」
「特におかしなところは見つけられませんでした。ですが、少し気になったことも」
「なんだ?」
「田舎だからでしょうか。玄関に鍵もかけずに、窓も開けっぱなしなんて普通にしていたのですが、一軒だけしっかりと玄関も窓も鍵をかけている家がありました」
 蒼真の頭によぎったのは先ほどの家。
「それはクリーム色の屋根の家か?」
「そうです。留守かと思ったのですが、耳を澄ましているとわずかに人の声がしました」
 蒼真の表情が険しくなる。
「怪しいな。村長によると夫婦が住んでいるらしいが、仕事で留守と言っていたんだ」
 にもかかわらず声が聞こえてきたとはどういうことか。村長への不信感が募る。
「我が家では村の主婦が手仕事をしているので、どうぞ彼女たちにも聞いてみてください。そんな娘がいないことを証言してくれますから」
 玄関を開けて中に入ろうとしていた時。
「村長ー!!」
 まだ三、四十代と思われる男性数人が、慌てたように走ってきた。
「大変だ村長!」
「どうしたんだ?」
「熊だよ。山で熊が出たんだ。しかも一頭じゃなくたくさん。しかも、猪とか猿とか鳥とか他の動物まで襲ってきて、山で仕事をしていた奴らは大慌てで逃げ回ってるよ」
「なんだと!」
 男性たちは息を切らしながら、村長に支持を仰いだ。
「どうしたらいい?」
「どうもこうも、山で作業してる男たちを村に戻すんだ!」
「皆散り散りになって逃げたから、どこにいるか分かんねえよ」
「今までこんなことなかったのに、やっぱり忌み子のせいじゃないのか」
 ぴくりと蒼真が反応する。
「忌み子?」
 はっとした村長は、忌み子と言った男性を小突く。
 男性も、ここに蒼真がいることに気付いたようで、しまったというような顔をした。
「村長、忌み子とはなんですか?」
「いや、それは、その……。今は村人のことを優先したいので、少々中でお待ちください」
 言うが早いか、村長は村の男性たちを連れて行ってしまった。
「なんなんですかね、忌み子って」
「俺が分かるわけないだろ。とりあえず中で待たせてもらうか」
「ですね。私も村中駆け回って疲れました。まったく人使いが荒いったら」
 愚痴が止まらない補佐の男性をぺしりと叩いて、最初に通された客間で待つことにした。