「そういえば……」
今まで膨大な邪悪な声が、頭の中で響いていた。
しかし今ではそれもなくなり、すっきりしている。
僕はゆっくりと魔剣を胸から抜き、鞘に収めた。すると胸に空いた穴が塞がり、痛みすらも消滅していた。
「ねえ、ベル。これはどういうことなの? さっきまで邪念に囚われて、カトリナを殺そうとしてしまっていたと思うんだけど……」
『説明せんでも分かっておる。まあ単刀直入に言おう。シンディーが──魔神の力を制御する唯一の手段、聖女一族の末裔だっただけのことじゃ』
「な、なんだって!?」
衝撃の真実を聞かされ、つい耳を疑ってしまう。
「で、でも! シンディーは今まで、そんなことを言わなかったのに! 彼女は嘘を吐けるタイプでもないよ!?」
『うむ。どうやらシンディーも今まで──意識的なのか無意識なのか分からぬが──昔の記憶がなかったらしい。そしてこの土壇場で記憶が戻り、聖女の力を発現させたわけじゃな』
「な、なんということだ……」
リオネルや八百年前の戦いのことといい、この短時間で色々なことを聞かされ、頭がパンクしてしまいそう。
『まあそなたに妾が色々言いたいのも分かる。しかし今は──』
「フィルさん!」「フィル!」
ベルと会話を続けていると、シンディーとカトリナが僕に抱きついてきた。
『勝利のご褒美をたーんと味わえ』
なんだかよく分からないが、ベルはニシシと愉快そうに笑った。
「ふ、ふたりとも!? リオネルにやられた傷はもう大丈夫なの?」
「はい! なんかよく分かりませんが、わたしって聖女だったみたいです! その力でフィルさんもカトリナさんの傷も、ついでに治っちゃいました! これも聖女の力らしいです!」
「聖女すげーーーーー!」
そりゃあ、これだけ強大な魔神が、聖女に封印されるわけだよ……。
「カトリナも無事みたいでよかった」
「それはこっちの台詞よ! いきなり殺されかけたと思ったら、今度はあなたが自殺するんだもん! 勝手に死のうとしないでよね。ほんと……心配したんだからっ!」
とカトリナが僕の胸に顔を埋める。
「ちょ、ちょっとカトリナさん! ズルいです! いくら憧れの聖騎士さんでも、それは許しませんから!」
シンディーも負けじと、僕を抱きしめる力を強くする。
ふたりの色々と柔らかい部分が当たって、頭がクラクラしてしまう。
だけど今の僕は間違いなく幸せだった。
『おい、早く目覚めよ。この戯け』
どこかで聞いたことのある台詞。
しかしどことなく、前聞いた時と違っていた。
「ん……ここは……?」
目を開けると、見慣れた天井が見えた。
「いつもの宿屋……?」
『そなたはあれから気を失っていたのじゃ。三日も眠っておったのじゃぞ? 心配させおって』
声のする方に顔を向けると、隣にベルの姿があった。
「三日も……? ああ、ということはあのことは夢じゃなかったんだね」
目覚めたばかりで、頭がぼんやりしている。だが、少しずつ鮮明になってきた。
──カトリナを助けにいって、ギャロルと戦った。そしてその後、ギルドマスターのリオネルがベルフォット教の教皇だと判明して、苦戦したけれど、魔剣の力が覚醒したおかげで辛くも勝利を収めた。
しかもシンディーの正体が、八百年前魔神を封印した聖女の末裔だなんて……正直、色々なことが起こりすぎて、どうにかなっちゃいそう。
でも。
「僕……生きて帰ってこれたんだ」
ぐっと握り拳を作る。
「あっ、そうだ! シンディーとカトリナは!? ふたりの姿が見えないんだけど……」
『そう慌てるな。ふたりとも無事じゃ。シンディーの力によって、一瞬で完治したことを忘れたのか?』
「そ、そういえばそうだったね。でも僕は……」
『まあそなたの場合は特殊じゃったしな。疲労もあったんじゃろう。全く……この三日間、シンディーとカトリナはそなたを甲斐甲斐しく看病しておったのじゃぞ? そのことも覚えておらぬとは、相変わらず女泣かせじゃ』
と呆れたように溜め息を吐くベル。
とにかく……万事上手くいったということかな?
今すぐふたりの元に向かいたいけれど……どうしても気になることがあって、素直に喜ぶことは出来なかった。
「ねえ、ベル」
『うむ。分かっておる』
ベルは落ち着き払った声でこう続ける。
『魔神について……じゃな』
「うん。あの魔剣の精神世界でベルが語ったことは本当なの? 魔神は全人類の負の感情から生まれたって」
問いかけると、ベルは神妙な面持ちで頷いた。
『全て本当じゃ。そしてその邪念が魔剣から流れることにより、そなたはカトリナを殺しそうになった』
「…………」
夢だと思いたかったけれど、どうも現実はそんなに甘くないらしい。
なんて返していいか分からず、僕は押し黙ってしまう。
『……そなたはこれからどうするつもりじゃ?』
そんな僕に、ベルは試すような口調で問いを投げかけてくる。
『シンディーが魔神の力を制御出来るとはいえ、いかんせん出力が不安定じゃ。ゆえにそなたも三日間も眠りこけてしまったのじゃろう。ならばそなたが魔剣を持ち続けている限り、三日前のようなことがまた起こってしまうかもしれぬ』
「…………」
『そなたの覚悟も知った。ゆえに問う──そなたは魔剣の所有者であることをやめるか? それともシンディーに頼み、妾を封印するか? もっとも、後者に至っては彼女が力に慣れるまでに、多少時間が必要になるかもしれないが……』
「答えは──どっちも違うよ」
ベルの瞳を真っ直ぐ見て、僕はそう即答した。
「また僕は負の感情に飲み込まれてしまうかもしれない。ああなった以上、あまり偉そうなことは言えないからね」
思えば──僕が魔剣の所有者に選ばれたのは、ギャロルに追放されたからかもしれない。
リオネルはあの時、言っていた。
──君には魔神を覚醒させる負の感情(・・・・)が、既に備わっていたということだよ。
あんなに頑張ってきたのに!
どうして僕が追放されなければならないんだ!
……と僕の中で負の感情が生まれた。
無論、そんなことは思っていない──つもりだった。
だけど実は自分の感情を見て見ぬふりしていただけで、心のどこかでそう思っていたのかもしれない。
今回のことで、嫌でもそれを実感してしまうのだった。
「だけど──君の力がなければ、僕はあの時、シンディーとカトリナを死なせてしまっていただろう」
僕の言葉をベルは黙って聞き続ける。
「だから僕は君に恩返ししなくちゃならない。それに……僕にはどうしても、君が悪いヤツだとは思えない」
『甘いな。それはそなたの推測じゃ』
「じゃあ聞くよ。ベルは僕の敵なの?」
『いや──』
ベルは優しげに笑って、
『そうでないに決まっておろう。もし敵なら、そなたみたいな弱い人間じゃなくて、もっとマシなヤツに力を貸しとるわ』
と淀みない口調で言った。
「そうだろ? だから僕は君と共に歩むことに決めたよ」
それにリオネルみたいなヤツが、ひとりだけとは限らない。魔剣の力を知ったら、これを悪用しようとする者がまた現れてもおかしくない。魔剣を使い、世界征服を企むかもしれない。
しかし思う。
ベルはそんなことを望んでいないって。
だから僕はベルと正しい道を歩む必要がある。
僕らはふたつでひとつ。
片方が欠けても、正しい道は歩けない。
ゆえにベルと手を繋いで、胸を張って歩んでいこう。
その旅は、きっと楽しいものになるだろう。
「ベル──これからも僕に力を貸して」
『……! 当たり前じゃ!』
と僕はベルと握手をした。
もっとも、今のベルは猫の姿なので、僕が一方的にベルのちっちゃな手を握るだけの形となったけれど……。
そうしていると。
「フィルさん!」
シンディーが扉を勢いよく開き、そのまま僕のいるベッドに飛び込んできたのだ。
「よかったです! フィルさん、全然起きてくれないから……っ、もしかしたらもうこのままかもって……わたしもポンコツで、いくら力を使ってもダメですし……本当によかったです!」
彼女はわあわあと泣きながら、何度も「よかった」と繰り返している。
「心配させてごめん。でも、もう大丈夫だから」