「もちろんよ。希々は夜盗から助けてくれた恩人だもの」
「ありがとうございます」

 女官は「じゃあ元気でね」と、袖で涙を拭いながら簀子を戻っていく。

 ここにいた日は短かったけれど、たくさんの思い出ができた。見るもの聞くものすべてが驚きとわくわくの連続で楽しくて。夢のようだった。

 宮中というこの荘厳な場所に通った日々は一生の宝物だ。

 冊子を胸に抱きしみじみと感慨に耽りながら、とぼとぼと歩き始めたとき。

 バサッと音を立て御簾の脇から現れたのは。

「希々」

 あ、朝霧さま……。

「ちょっとこい」
 ぐいぐい腕を引っ張られる。

「あ、あの」

 なにも言わない朝霧さまに連れて来られた場所は、奥まったとこにある私の知らない建物の中だった。
 聞かれてしまったんだろうな。辞めるって。

 どうしたらいいんだろう。
 なんて言えば……。

「希々」

 ひっそりと人けのないところで朝霧さまはようやく立ち止まり、両手で私の頬を包む。

「正直に聞かせてくれ、なにがあった?」
「なに、も、ありませぬ」

 まぶたを上げられないい。目が合えば、涙を流さずにいられる自信がない。

「私は、ただ、忘れもの……」
「行くな、希々」

 ぎゅっと抱きしめられた。

「行かないでくれ」

 でも私は、朝霧さまの邪魔しかできないから。

「希々がいなくて、誰が起こしてくれるんだ」

 朝霧さま……。

「ごめんなさい」
 助けてもらったのに、まだ、衣も。

「お前じゃなきゃだめだ。希々」

 これ以上なにも言わないで、ください……涙が、我慢できないから……。
 本当は、離れたくない。

 でも……。

「希々」