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 五条の屋敷を逃げ出してから半月が経った。

 右大臣家、一条のお屋敷では、菖蒲の花が咲き乱れて曲水を縁取っている。

 私は一条の邸に入り、そのまま朝霧さまのお世話係、女房になった。
 梅女と末吉はあのまま三条のお屋敷で働いているが、三条と一条の邸は自由に行き来できるのでなんの心配もない。

 梅女と末吉も明るくなった。
 皆は優しいし、毎日が楽しいと心からうれしそうに笑っていた。それは私も同じ。

 五条の屋敷を思うと気持ちが塞ぐけれど、今はとにかくがんばって働くだけだ。

 鏡を覗いて紅をひく。

 きれいな衣を着てお化粧すると、私でもまるでお姫さまみたいに見えるから笑ってしまう。


「希々、そろそろ朝霧さまを起こしてさしあげて」
「はーい」

 手水鉢の用意をしていると、先輩女房の小筑(こつく)さんがひょっこりと顔をのぞかせた。

「ねえ希々は恋人いないの?」
「はい。いないです」

 小筑さんには蔵人(くろうど)の恋人がいる。ほかの女房の話によれば、帝に近侍する大層立派な方らしい。

「どういう方がいいの? 気にかけておくから教えて」
「うーん。そうですね」と、考えた。

「そんなに出世せずとも、優しくて浮気をしない人がいいかなぁ」

「出世はいいの?」
「はい。食うに困らなければ、平凡でいいです。どこか景色が美しい土地の受領(ずりょう)とかで、のんびり暮らせれば、それが一番ですね」