――まさか、まさかまさかまさか。
 混乱する頭を抱えて自分の御帳台(みちょうだい)に潜り込んだ沙映(さえ)は、そのまままんじりともせずに朝を迎えた。

(本当に、どなたかいらっしゃるだなんて……)

 頭の奥がぐらぐらする。胸の奥がぎゅっと痛くて、どうしようもない。
 もしかしたら、と思ってはいたものの、事実として突きつけられれば、それは思いがけないほどに沙映の心を締め付けた。

(本当に、私は――そうよね、帝のお言葉がなければ、娶る必要のない妻だもの……)

 冷えた指先をぎゅうっとにぎりあわせ、沙映はにじむ涙を必死にこらえた。

「沙映姫さま、おはようございます」

 妻戸(つまど)を開け、いつものように(あい)が姿を見せる。だが、億劫だし、身体は重いし、目の奥は熱いしで、起き上がる気力もわかない。
 そのままじっとしていると、どうやらまだ寝ていると思われたのか、衣擦れの音がして藍は立ち去ったようだった。
 ほっと息を吐くと、気が緩んだのかどんどん身体が重くなっていく。まるで、身体に重しをつけられたみたいだ。苦しくて、息が詰まる。

(助けて……明隆(あきたか)さま……)

 まぶたの裏に浮かぶ明隆に手を伸ばしても、昨夜の月同様届くはずもない。
 そのうちに、沙映は気を失うようにして眠ってしまったようだった。


「……え、さ……め……」
「ん……」

 誰かの声がする。とてもとても、優しい声。
 ずっとずっと、聞きたかった――。
 ふ、と意識が浮上して、うっすらと目を開く。朝のはずなのに、周囲が薄暗く思えて、沙映は内心「おや」と首をかしげた。

「沙映姫……っ」

 気づけば、誰かが手を握っている。暖かくて大きな、安心できる手。この手を、沙映は知っている。

「あきたか、さま……?」
 ぼんやりとそう返すと、狩衣(かりぎぬ)姿で枕元に座していた明隆(あきたか)が「よかった……」と絞り出すような声で呟いて、沙映をぎゅっと抱き寄せる。これまでに、そんなことをされたことがない沙映は、面食らって目を瞬かせた。

(一体、何が起きているの……?)

 沙映が戸惑っていると、明隆ははっとしたようにその身体を離した。それから、心配そうに沙映の顔をのぞき込んでくる。

「大丈夫ですか?どうも朝から具合が悪いようだとは聞いていたのですが……昼過ぎても起きてらっしゃらないので、藍が」

 と、ちらりと目をやった明隆の視線の先を追えば、藍がやはり心配そうにこちらを見ているのと目が合った。

「あ……」
「いいから……」

 慌てて身体を起こそうとしたが、腕にうまく力が入らない。かくんと倒れそうになったところを、また明隆に助けられ、思わず顔が熱くなる。

(いち)に伝言を飛ばしてくれまして。それで、急いで戻ったのですが……声をかけても起きないので、医者を呼ぼうかと思っていたところです」
「そう、ん、んっ……」

 ごほ、と咳き込むと、明隆がそっと背中をさすってくれる。その手が温かくて、優しくて。

「明隆さま……っ」

 昨夜からの出来事が脳裏によみがえって、そうして不安が一気に噴出してしまう。ぎゅっと明隆の白い狩衣を握りしめると、沙映はその胸元にかじりつくようにして泣き出した。

(嫌……この方と、明隆さまと離れたくない……っ)

「さ、さっ……沙映姫……!?」

 どうしたのか、と明隆がオロオロしている間に、なぜか心得顔の藍はほかの女房たちを促して出て行ってしまう。しんとした室内に二人きりにされ、響くのは沙映の嗚咽の声ばかり。
 戸惑う明隆に、沙映は涙に濡れた顔を向けて叫んだ。

「こ、子を……子を、私とも……つくってくださいっ……!」
「こ、子ぉ……!?わ、わたし、とも!?」

 明隆にとっては、青天の霹靂(へきれき)である。目をぱちくりさせて思わず繰り返すと、沙映は「そうです……!」と明隆ににじり寄った。

「昨夜、どなたかとは子を成す行為をなさったのでしょう……!私、聞きました。明隆さまが、寝殿の御帳台(みちょうだい)で女の方といらっしゃる声を」
「え、あっ……あれは」

 沙映の言葉に、明隆の視線が泳ぐ。きっと図星を突かれてしまって驚いているのだと判断した沙映は、たたみかけるように続けた。

「夜、御帳台の中で男女がすること――私とは、なぜしてくださらないのか、わかっているつもりです。けど、私、私……明隆さまのお子が欲しい!明隆さまと離れたくない……ずっとおそばにおいて欲しいんですっ……!」
「さ、沙映姫……」

 見上げれば、明隆の顔色が赤い。どこか戸惑いつつも、口元が緩んで見える。少なくとも、嫌悪感は見受けられないと、沙映は少しだけほっとした。
 だが、明隆はゆっくりと首を振った。

「できません」

 その言葉に、沙映の身体に言い知れぬ衝撃が走った。

(やっぱり――)

 ぽろり、とまた新たな涙がこぼれる。明隆の指がそれを拭ってくれるが、次から次へとあふれて止まらない。

「沙映姫……すみません……」

 私も、つらい。
 そんな声が聞こえた気がしたが、本当だったかどうだったかはわからない。体調が悪いのに、急に暴れたのが良くなかったのだろう。明隆にしがみついて泣いているうちに、沙映は徐々に意識が遠くなり、そのまま気を失ってしまった。