さて、この時代の結婚と言えば通い婚が普通である。だが此度(こたび)は、(みかど)直々のお言葉による婚姻であること、さらには安倍家が陰陽師(おんみょうじ)の家柄であることなどを考慮して安倍家の(やしき)に姫を迎え入れることと相成った。

 明隆(あきたか)は渋々ながら自ら吉日を(うらな)い、念入りに準備を整えてその日を迎えた。嫁いでくるのは、わがまま姫と噂される中務郷(なかつかさきょう)宮家(みやけ)の姫君だ。嫁いできていきなりへそを曲げられては困る。
 なにせ、結婚をしても実際には夫婦でない生活を送ってもらわねばならないのだ。それを人に知られれば、当然ながら理由を話さねばならなくなる。だが、陰陽少将(おんみょうのしょうしょう)の位を戴く自分が怨霊に取り憑かれそれを調伏できないなどと言うことは、安倍家の面子にかけて誰にも言うことなどできなかった。それは当然、夫婦となる姫君に対してもだ。

「こんなもんでいいのだろうか……」

 家人に頼んで、見栄えのいいように設えてもらった室内を見回しながら、明隆はため息交じりにそう呟く。
 とにかく、女性とそういった行為に及べば自分もろとも相手が死んでしまうという呪いを背負った明隆は、当然のことながら他家の姫君の元に通った経験などない。家族以外の女性と過ごした経験が皆無なのだ。母や姉などに相談し、太鼓判を押されたものの、不安ばかりが募る。
 やがて、中務郷の宮の邸から姫君が到着するとの知らせを受け、明隆はしぶしぶ迎えるために表へと出た。そろそろ季節は夏になる。昇った太陽のきらめきが庭の池に反射して、一瞬明隆の目を焼いた。

(暑いな……)

 ぼうっとそんなことを考えた瞬間、表門のあたりに牛車が到着する。門をくぐり、入ってきた牛車の慎ましい姿に明隆は一瞬首をひねった。
 中務郷の宮家のわがまま姫、という噂と、この慎ましい牛車はどう考えても不釣り合いだ。さらに、車が階に寄せられ、中から降りてくる姫君の姿に再び違和感を覚える。
 装束こそそれなりに整えてあるものの、いかにも急ごしらえで雅やかとは言い難い。本人も恥ずかしいのか、面を伏せ、檜扇(ひおうぎ)で顔を隠したままこちらを見ようともしない。ただ、長い黒髪が艶やかなのが印象的ではあった。
 降りるのを手伝おうと手を差し伸べれば、おずおずと差し出された指先のなんとほっそりしたことか。いや、ほっそりなどというものではない。これはほとんど骨と皮ばかりではないだろうか。
 やけに冷たく感じる手をぎゅっと握ると、姫ははっと息を呑んだようだった。か細い声が何かを言うが、よく聞き取れない。

(どういうことだ……?)

 不審が決定的になったのは、立ち上がろうとした姫君がふらついたので支えようとしたときだ。重たい装束を身につけているはずなのに、異常なほどに軽い。過去に、姉が転びそうになったのを助けたことがあったが、これよりずっとずっと重たかったと記憶している。

「……姫?」
「あ……すみません……」

 ほら、また。
 どうにも、噂に聞く姫の印象にそぐわない。

(まさか、陰陽師に嫁ぐのは嫌だと偽者をよこしたわけじゃないだろうなぁ……)

 こちらとしてはそれでも一向にかまわないのだけれど、と思った瞬間、顔を上げた姫と視線が合った。
 黒目がちの大きな瞳に、ちょこんとした桜色の唇。すこしやつれているようにも思えるが、一瞬はっと息を呑むほどの美しい顔立ちがこちらを見上げて、そしてぱっとまた逸らされた。

(この気品のある顔立ち……これは間違いなく宮家の姫君だろう。なんということだ……)

 半ば呆然としたまま杯を交わし、二言三言言葉を交わす。その声の奥ゆかしさもまた明隆の心をざわめかせる。


 一方、当の「中務郷の宮家の姫君」たる沙映(さえ)もまた、明隆の姿を見て驚いていた。
 なにせ、この嫁入り当日まで、継母や異母姉、異母妹に陰陽師というものがいかに恐ろしく、(おぞ)ましいものかということを散々に聞かされていたからだ。
 それが、蓋を開けてみれば――。

(なんというご立派な方なの……)

 涼やかな目元にきりりと結ばれた口元。立ち姿もすらりとして、まったく非の打ち所のない貴公子に見える。

(異母姉さまのところに通っていらっしゃる方より、よほどこの方のほうが凜々しくていらっしゃるように思われるわ……)

 過去に何度か透き見したことのある姿を思い浮かべて、目の前の青年と比べてみる。
 ぼうっとしていたせいか、それとも普段着慣れない重たい装束のせいか足下がふらつく。それを支えてくれる腕のたくましさに、またどきりと胸が鳴った。

(この方と、今宵――)

 契りを交わして夫婦となるのだ、と思うとにわかに落ち着かない心地になってくる。
 そもそも、この婚姻自体「安倍晴明の血筋を残すため」のものだということは、沙映も聞かされていた。だから、子作りが最大の沙映の使命であることも。
 どきどきと高鳴る胸を押さえ、沙映は盃を交わす間もちらちらと明隆の様子をうかがった。