レシーは、かなり急いた気分になりつつあった。すでに指示を受けてから四半刻近くが過ぎている。これ以上、時間をかけることは避けたかった。
歩みを速め、軍の本館建物の裏手へと向かう。訓練施設との境であるそこには井戸が作られ、共同の水飲み場となっている。
直接の上官に当たる中隊長から、フィリカを呼んでくるよう命じられたため、探しているのだった。その日の訓練が終了していくらか時間が経っていたので、先に宿舎を訪ねてみたが、まだ戻っていないと門番及び管理人に言われた。訓練施設から戻る途中なのかと、宿舎までの道を逆にたどってみたが、出くわさなかった。
焦りを感じながら道を戻りかけた時、フィリカが所属する隊の兵士に遭遇した。忘れ物を取りに戻ってきたという彼から、メイヴィル副長ならあっち、つまり水飲み場のあたりで見かけたと聞くことができた。彼女がまだいることを願いながらそこに着く頃には、足はほとんど全速力で走るほどになっていた。
フィリカは、二つある井戸のうちの一つの傍に、こちらに背を向けて立っていた。ようやく見つけたことに安堵しながら、同時に、心の中でため息をついてしまうような思いにとらわれる。
布で顔を拭きかけている姿勢のまま動かずにいる彼女は、どこを見ているのか分からない目をしていた。……またか、とレシーは思う。このところ、同じ様子でいるのを何度も目撃していたからだ。
その時点で予測はしていたが、案の定、すぐ後ろまで近づいても彼女は振り返らない。家名に続けて略形の名を呼んでも反応しなかったため、今日も最後の手段を使うしかなかった。
「……フィリカ」
「え」
その呼びかけに応じてようやく振り向けた顔は、たった今こちらの存在に気づいたという表情であった。レシーは、控えめにではあるものの、今度は実際にため息をつく。
「あ、悪い……何か用?」
変に殊勝な口調と、未だどことなく他に気を取られているような目つき。いずれもが、普段の彼女とは縁遠かった。他人がここまで近づいても気づかないこともまずあり得ない。……ましてや、名前を略形にせずに呼んでも不快げに眉をひそめたりしないなどとは。
「──執務室に来いって、うちの隊長が言ってる」
「分かった」
一瞬で表情を引き締め、すぐさまフィリカはその場を離れた。本館の入り口に向かって走る彼女の背中を、レシーは複雑な気持ちで見送る。