もう一度だけ、あの手に触れてみたい。
 そう思った時には、彼が座っているはずの洞窟の奥へと動き始めていた。記憶と呼吸の音を頼りに、手探りでにじり寄る。
 その途中、深く静かだった相手の呼吸が変化したように聞こえた。なるべく音を立てないようにはしたのだが、気配にはやはり感づかれてしまったかも知れない。かなり近づいたと思える位置で動きを止めた時にも、熟睡の呼吸を保とうとする不自然さがそこはかとなく感じられた。
 十中八九、彼は眠りから覚めているに違いない。……だがそれでも構わなかった。
 勘を頼りに地面を探ると、唐突に手と思われるものに触った。うまい具合に投げ出された状態にあるらしい。注意深くその指に触れてみても、何故か避けられたりはしなかった。だから大胆な気持ちになった。思いきってもう片方の手も伸ばしてみる。
 両手でも包み込みきれないほどに大きい。いくつも固いたこがある、けれど意外に細くて長い指は、所々ささくれ立っている。
 この感触と温かさを、覚えていたいと思った──もう二度と会えないのなら、その代わりに、永遠に記憶に留めたいと、手に力を込めた。
 泣きたいような切なさを感じながら思った次の瞬間、本当に前触れもなく、手が強く握り返される。
 はっとした直後には、もう身体が引き寄せられていて──その後、長い間離れられなくなった。


 ……ふ、と腕の中の身体から力が抜けた。胸に当てられていた手がするりと滑り落ちる。
 どうやら、フィリカは眠ったらしい。風の音もしない静寂の中、先程までよりも間隔が長く穏やかになった呼吸の音だけが聞こえる。
 彼女の短い髪をそっと撫でながらも、アディは、どうにも振り払えない心の重さ、苦い気分を感じていた。
 ──フィリカが音もなく近寄ってきた時、アディはすぐに気配で目覚めたのだが、下手に反応しない方がいいと咄嗟に思い、声を出さずにいた。
 しかしほとんど間を置かずに、やはり寄せ付けるべきではなかったと後悔した。投げ出した状態の左手、その指先に触れられるのを感じたからだ。
 ぎくりとしながらも動けずにいるうち、フィリカは両手でアディの手を包み込み、さらには握りしめてきた。少しだけ冷たかった彼女の手が、力を込めた途端にひどく熱く感じられた。
 同時にその手から、防ぎようもなく一気に伝わってきた──どこまでも純粋に、真っ直ぐにこちらに向けられた彼女の心が。