「ですから、私」
 「そういう問題じゃない」
 強い語調で口を挟むと、フィリカは「……え?」と、かなり間を空けてから呟くように言った。目に明らかな動揺が見て取れる。
 「──あんたが嫌でなかったにしても、忘れてほしいのに変わりはないんだ。むしろ、余計にそうしてほしいと思う」
 「どうして、ですか」
 聞き返す彼女の様子は、本当に泣く直前の子供のようだった。震えかけるのを抑えようともしていない声に、痛々しいほど純粋な思いが表れている。
 その、真っ直ぐに向けられる気持ちが辛かった。
 「そういう感情自体が、あんたにとって良いこととは思えないからだ。たかだか数日一緒にいただけの相手に気を許しすぎるべきじゃない。男相手だったらなおさらだ。こういう状況だから、感覚が麻痺して勘違いしてるんだろうが」
 わざと突き放すようにアディは言う。──そうしなければ、彼女の気持ちから逃れられなくなりそうに思えた。
 「……勘違い?」
 「それにな」
 ためらいはある。だが今は、打ち明けた方が互いのためだ。いったん言葉を切り、息を吸い込んだ。
 「あんたの記憶を、これ以上は見たくない」
 「────えっ」
 「怪我の理由もあの男のことも、俺は一度も聞かなかっただろう。いくら何でも変だとは思わなかったのか」
 フィリカの目には今や、強い困惑の色が浮かんでいる。その戸惑いに拍車をかけるため、一息に続けた。
 「あんたの国では時々、記憶を読んだりする妙な力を持った人間が生まれてくるんだろう。俺はそこの生まれじゃないけど、似たような力を子供の頃から持ってる。触ると『視える』んだ。あんたの母親があんたを産んですぐに亡くなったのも、父親も母親代わりの人も五年前に死んでるのも、あの男がその傷と背中の傷痕の原因なのも知ってる」
 その傷、で腕を指差すと一瞬だけフィリカは目をそちらに落としたが、すぐにまた向き直る。
 再びぶつかった視線に反射的に気後れを感じながらも、アディはさらに言った。断定的に強い口調で──いっそ彼女が怯えてくれればと願いながら。
 「多分、あんたが覚えていることの大半は知ってしまってる。そういうのは気味悪いだろう。俺も人の記憶に振り回されるのは嫌いなんだ。──だから、もう近づかないでくれ」
 物理的にも、……心情的な意味でも。そこまでは口には出さなかったが、強くそう念じていた。