足音を立てないように中へ入ると、出ていった時に見たのと同じ姿勢でフィリカは座っていた。岩壁に凭れ、膝を軽く抱えて顔を俯かせ、目を閉じている。アディが近くまで寄っても起きる様子はない。
心底ほっとして、焚き火の準備に集中し始める。火種を熾し、組み上げた枝に燃え移らせて一息ついたところで、気配の変化に気づく。反射的にそちらを──フィリカのいる方向を見てしまった。
まともに目が合い、ぎくりとする。おそらく表情にも動揺が出ただろう。隠す余裕などありはしなかった。
それに気づかなかったか無視したか、彼女の方は表情を動かすことなく、こちらを見つめ続けている──ひどく思いつめた目で。
見ようによっては、泣き出す一歩手前の子供のような、一途さとせつなさに満ちた眼差し。
そんな目で見ないでほしいと心の底から願った。それなのに、彼女から視線が外せない。無視するには、最初にあまりにもまともに見すぎた。
……早く目を逸らさなければ、手を伸ばしたい、触れたいという衝動が抑えられなくなりそうで恐ろしい。事実、膝の上に置いた手はすでに、かすかに震え出している。だが相手の視線は変わらずに揺るぎない。動揺が伝わらないようにと思うと同時に、いっそ気づいてほしいと願う感情もあった。
──文字通り、息もできない沈黙が長く続く。
先にそれを破ったのはフィリカだった。思いつめた表情のまま、口を開く。
「……昨日の、ことですけど」
言われた瞬間、その時の感覚が一気に蘇った。身体が指先まで熱くなり、伸ばすために持ち上げかけた手をすんでの所で止める。その衝動の勢いを、彼女から視線を外すことにどうにか振り向けた。これ以上見ていては、耐えられなくなる。
直後、フィリカの緊張が強まり、揺るがなかった態度に微かなためらいが生まれる。視なくとも、気配だけで分かった。
だがその躊躇を捨てて、彼女は言葉を続けた。
「私、……何も気にしていません。嫌だったわけではないですから……つまり、その、抵抗しなかったのは、そうしようと思わなかったからで」
訥々と話すフィリカの口調はどこまでも生真面目で、真剣である。その真剣さが、今は諸刃であることを、分かっているのだろうか。
そんなふうに言うのは間違いだと、相当の確信を持ってアディは考える。彼女がそう思っていること自体は疑っていない。本心であることは分かっていた──だからこそ問題なのだ。