最初はごく軽く、表面をかすめるように……そして二度目には、唇全体がゆっくりと重ねられる。経験したことのない感覚が、胸の内から全身に広がりつつあるのを感じた。
いつの間にか、アディの両手でしっかりと顔を挟まれていた。だが仮にそうされていなくても、彼を押しのける気は起きなかっただろう。
ウォルグに無理矢理唇を押し付けられたのは、四半刻も前のことではない。けれどあの時のような、吐き気を催すような嫌悪感は、今は全く感じていなかった。
代わりに、体が内側から浮き上がるような、不可思議な高揚感が広がってくる それは、次第に頭の芯を痺れさせ、周囲に対する感覚をも薄れさせていく。両頬を包み込む大きな手と、唇の感触と体温……そして自分の心臓の鼓動。それらが今、フィリカに感じられることの全てになっていた。
とても長い時間が過ぎたように思えたが、後から考えると、十数える程度も経っていなかったかも知れない。
アディの手が再び背中に回されて、先程よりも強く身体が引き寄せられる。口づけが深まり、胸同士が押し付け合い、急に息苦しさが増した。フィリカはほとんど無意識に互いの間に手を差し入れ、少しだけ押し戻すように力を入れる。
先程手を止めた時と同じぐらい唐突に、アディはぴたりと動きを止めた。次の瞬間、我に返った表情で素早く身体を離す。力任せに突き放す動作は、それまでのいたわるような手つきと対照的なだけに、乱暴にさえ思えた。
俯いた彼の顔に、しばらくの間表情はなかった。自分の行動を今になって認識して、反芻している最中のようにも見えた。
何と声をかければいいのか、そもそも、何か言うべきなのかどうかもフィリカには分からない。故にただひたすら、戸惑いを感じたままで相手の反応を待つことしかできなかった。
互いに無言の、ほとんど動きもしない状態が相当長く続いた後、ようやくアディが顔を上げてこちらを見つめた。……これまで見た中で一番苦々しく、後悔の深い表情をしている。
ほとんど反射的に、フィリカは胸一杯に石を詰められたような思いにとらわれた。表情を変えないままでアディが、喉から絞り出すようにして口にした言葉に、さらに息苦しくさせられる。
「すまない、忘れてくれ」
その二言だけで再び視線を逸らし、義務的な動きでフィリカを立ち上がらせた後は、また素早く手を離して距離を空ける。そして踵を返して、小屋の方へと早足に歩き始めた。こちらに声をかけることも目で促すことも、何一つせずに。
一転した態度はとても冷たく感じられて、困惑がますます強くなる。訳が分からず、彼の後ろに付いていきながら、ひどく悲しい気持ちになった。これほど泣きたい気持ちになったことは、父とロズリーが生きていた頃でさえ、なかったような気がする。
──だが、また本当に泣いてしまうわけにはいかない。震える歯を必死に食いしばり、瞬きを必要以上に繰り返して涙を堪える。
……彼に気づかれないうちにこの、発作のような感情が治まってほしいと、心の底から願った。