それだけならまだしも、彼があの人物に協力するとは思わなかった。悔しいが完全に予想外で、それ故に避けるのがわずかに遅れた結果が、これだ。
斬りつけてきた時の、相手──同僚兵士の怯えたような表情を思い返す。もしかしたら進んで加担したわけではなかったかも知れないが、今となってはどうでもいい。
自分が孤立無援であるのを悟った瞬間、考えるより前に、足は森の奥を目指して駆け出していた。何故だろうと、走りながら何度も思った。
子供の頃から、利き腕に関係なく、左右どちらでも剣が扱えるように教え込まれてきた──まさに、片方を負傷したこんな時のためにと。使い慣れているのは右腕だが、左でもそれほど不自由はないはずだった。相手があの二人程度なら何とかできただろうのに──どうして逃げたのか。
……自分でも意外なことだが、あの瞬間、死ぬわけにはいかないと考えた。致命傷ではないにもかかわらず、痛みがそう思わせたのだろうか。
いや、それ以上に、あいつらの手にかかるのが嫌だったのだ。普段なら絶対に負けるような相手ではない。だが思わぬ怪我と、相手の異様な雰囲気が、日頃は縁遠い不安を胸の内に呼び起こした。
いつ、命を落とす状況に陥っても構わないとは思っている。しかし、それは職務上の役目での話であり、間違っても個人的な感情、ましてや逆恨みなどが理由となってのことではない。
国境警備があの人物と同時期と知った時、レシーは真剣に案じた。辞退するか誰かと代わるかすべきだと出発の直前まで言い続けたが、結局従わなかった。そもそもレシーの考えすぎだと思っていたし、そうでなかったとしても、辞退可能な理由も代わってもらう同僚の当てもありはしなかったから。
──だが考えすぎなどではなかったのだ。
自分の読みの甘さが悔やまれる。今まで、何のために訓練してきたのか。あんな奴らに殺されたりしては、父にもロズリーにも顔向けできない。
ここで死ぬわけにはいかなかった。
そう思った時、さほど遠くないところで草をかき分けるような音がした。いくらか落ち着いていた胸の鼓動が、再び速くなる。人なのか、動物なのか、あるいはただの風だったのかは分からない。しかしここに居続けるのはまずいと一旦思うと、もう座り込んではいられなかった。
樹の幹を支えにしながら立ち上がるが、思った以上に足に力が入らない。注意してゆっくり動いたのに、頭の中もぐらぐらと揺れている心地がする。
血が足りないせいだとは思ったが、回復するまで休んでいる余裕はない。……ともかく、この場から少しでも遠ざからなければ。
それだけを念じながら歩を前に進める──だが、何十歩と行かないうちに、足だけでなく身体中の力がどんどん抜けていく感覚に襲われた。止血のためとはいえ、座り込んでしまったのがかえって良くなかったのか……そう考える間にも、足取りと思考の不安定さは増していく。