「……え」
 「私の母は、自分の命と引き換えに私を産んでくれました。──命がけの出産になることを、母は分かっていたと思います。父や乳母に止められたかも知れません。だけど最後には、私を生かすことを選んだんです……自分が生き延びることよりも」
 フィリカの声には、紛れもない畏敬の念が感じられた──生い立ち故に、娘として当然の愛情は抱けなかったはずの、母親に対しての。
 「その娘の私が、どんな理由だろうと自分の子供を殺したら、母は許してくれないでしょう。多分、父たちも……もし許されたとしても一生、いえ、死んだ後でも、私は家族に顔向けできません」
 それに、と彼女は続ける。
 「たとえこの子の人生が、苦労の方がずっと多いものだとしても、幸せに思う出来事もあるはずですから……私があなたに会えたみたいに。それを一つも知らないままにさせるなんて、あまりにも身勝手だと思ったから──何があっても私がこの子を愛することだけでも、ちゃんと伝えたかったんです」
 そこで言葉を切ったフィリカは顔を上げ、先程と同じような複雑な微笑みを、口元に浮かべた。
 「もちろん、つきつめればそれも、私の我が儘でしかありません。だから、あなたに知らせる気はなかったんです──あなたに、責任も負担も感じさせたくなかったから」
 すみません、と彼女は頭を下げた。
 ……どう反応するべきか、何と答えるべきなのか分からなかった。
 フィリカがもしかしたら、今もここにいるかも知れないとは、多少は覚悟していた。だが子供のことは予想外だった。
 ──いや、本当にそうだっただろうか?
 アディは自問する──否だ。
 何度かは、そういうこともあるかも知れないと、確かに考えた。フィリカは意志の強い女だ。あれだけの目に遭いながらも身ごもり続けた──まさに、身体を張って子供を守っていたのだ。並外れて強靭な精神でなければできることではない。
 彼女ならあるいは、何を言われようとも出産したかも知れないと、考えたことはあった。だが毎回、考えた瞬間には打ち消していた。
 子供やフィリカの将来を不幸にしたくない、と思ったのはもちろんだが同時に、怖くもあったからだ。自分が人の親になるという考え自体が。
 実の親に愛されなかった自分が、まともな親になれるとは思えなかった。家族を持ちたいを望むどころか、考えることも避けていた。カジェリンに言った懸念も理由の一つではあるが、それ以上に、本当の意味での身内を作りたくなかったから。
 自分の稼業を考えれば、身近な存在は普通の人よりも、危険との距離がどうしても近くなる。誰も、そういう目に遭わせたくはなかったのだ。