のろのろと立ち上がり、消えた彼女の姿を追って奥へと向かう。扉を開けた左手に厨房があり、右手にあるのは二室。カジェリンが私室として使っている部屋と、患者用の寝台がある部屋になっている。
声が聞こえてくるのは後者、向かって手前の方からだった。小さくはなったが続いている泣き声と、しきりに謝りながら宥めるフィリカの慌てた声──足が固まり、またしばし立ち尽くしてしまう。己を叱咤して、泣き声が治まった頃にようやく、扉が開け放されたままの部屋に足を踏み入れた。
フィリカはこちらに背を向け、寝台の前、壁際にしゃがみ込んでいる。少し背中を丸めた姿は、何か抱きかかえているようで──いや、実際にそうしているのだった。
意図せず扉の取っ手に当たったアディの腕が立てた音に、フィリカは素早く振り返った。……その腕の中には、今にも眠り込みそうな赤ん坊。色が白く丸々としていて、まだ短い柔らかそうな髪の毛は、彼女と同じく黒に近い焦茶色。
乳児を見慣れていないアディの目でも、どう見てもその赤ん坊が、つい最近生まれたばかりとは思えなかった。
凝視するこちらの視線を受け止めるフィリカの顔は、わずかに青ざめていた。知られたことにあからさまな動揺を見せつつも、片手ではだけた服の前を直している。
疑いようがないと思いながら、それ故に、尋ねるための言葉が出せない。情けなくも、この期に及んで、事実が確定されることが怖くてたまらないのだった。
息苦しい沈黙が永遠に続きそうな気がした頃、見つめ合う目をフィリカが一旦逸らした。だがすぐに再び視線を合わせてくる。動揺を脇へ押しやり、意を決した目だった。
軽く息を吸い込む動きの後、彼女の唇が開く。
「私の、息子です」
大きくはない、だが明瞭な声。言葉を聞き間違えようもないほどにはっきりしている。
その赤ん坊の母親がフィリカだというのなら……父親が誰なのか、確認するまでもなかった。
「──説得、されなかったのか?」
そんなはずはない、と思いながらも尋ねていた。カジェリンが何も話さなかったということはあり得ない。案の定、フィリカは首を振り、全部聞きましたと答えた。
「……なら、どうして」
フィリカは、その問いにはすぐには答えず、慎重な動きで立ち上がる。赤ん坊を抱く手に、わずかに力を込めたように見えた──少しの間目を閉じ、赤ん坊に頬を寄せる。一連の仕草をする彼女の姿は、子供を愛おしむ母親以外の何者でもなかった。
「一度も迷わなかったと言ったら、嘘になります。話を聞いた時は、ほんの少しだけ迷いました。けどそれでも……この子を殺すことは私にはできない、してはいけないと思ったんです」

