話の途中から俯いていたカジェリンが、長いため息をつく。同時に、相手のこちらへの感情が、直に触れていなくてもはっきりと伝わってきた──子供に関する懸念への理解と、それでもなお崩れない、女性であるが故のフィリカへの共感と、アディに対する微かな苛立ち。
「本当に馬鹿ね、あなたは」
ようやく顔を上げたカジェリンは、あきらめたような口調でも、まずはそう言った。そして続けて、気持ちは分かったから説得も一応引き受けると言ってくれた。アディは心底から感謝して頭を下げる。
「けどせめて、手紙ぐらいは書いていきなさい。伝言だけで置き去りにするのは、彼女が可哀相すぎるわよ」
その、諭すような促しの言葉には従うしかなかった。……確かに、せめてそれぐらいは、責任としてするべきだとも思った。
カジェリンが紙と筆記具を探し始めるのを見てから、左の袖口をずらす──姿を現したフィリカの母親の指輪を、アディは手首ごとそっと包んだ。
目を開けると天井が見えた。
……牢の石天井ではない、と考えた途端、今どこにいるのかを思い出した。ここに来るまでに何があったかも。
どんな手段でか分からないが、アディが王宮の地下牢にいる自分の前に現れたこと。彼の言葉に応じて、国を出る決意をしたこと……途中で期せずしてレシーに遭遇し、別れの挨拶をもらったこと。
あの時は本当に、レシーに対して申し訳なく思った。異性としての好意はついに持てずに、彼の気持ちを結果的には蔑ろにしてきたこと──そして、何一つ詫びもしないままに、彼の努力を踏みつけにする形で、姿を消そうとしていることを。
だから、まともに声には出せなかったが、初めて素直に謝った。レシーは恨みがましい顔ひとつせずに「いいんだ」と応えた。微笑んで、元気でな、とも言ってくれた。
ごく普通に、年頃の男女として出会っていたら、多分愛せたのではないか。そんなふうに思うほど、あの時のレシーは懐深い人だと感じた。……昔馴染みがいつか、彼を幸せにしてくれる女性を見つけられるようにと、願わずにはいられない。
その時、部屋の扉が開く音がして、内に沈んでいた思考が断ち切られる。
起き上がろうとしたが、身体にうまく力が入らない。肘をつき、顔を半ば振り向けたところで、部屋に入ってきた人物が寝台の傍まで来た。
小柄なその女性のことはもう知っている。アディの古い知人で、この診療所の薬師だ。連れてこられてすぐ、女同士ということもあってか、とても丁寧に診てもらった。