「知り合いの薬師のところに連れて行く。追っ手に関しては心配いらない、女王陛下の許可をもらっているから」
静かな声で、淀みなく言われた内容に、レシーはめったにないほど驚かされた。……女王の許可?
信じられずに黙っていると、男はどこからか一枚の紙を出して、レシーに差し出した。反射的に受け取って目を近づけると、辛うじて文字は読める──フィリカ・メイヴィルに対して特赦を適用するという旨が、女王の署名と印章入りで書かれていた。
ここ数日で、仕事上何度か公式書類を見る機会があり、エイミア・ライ女王の直筆署名も目にしていたから、この書類は本物だと判断できた。
どう反応すべきか分からずにいるレシーに、男はさらに、明日には女王が公式にも同じ内容で書面を出すことを約束したと言った。
……一体、どんな手を使ったのか。自分が王宮に入る時、何か騒ぎが起きている気配は感じなかったから、少なくとも女王を害する手段ではなかったとは思うが、驚くしかないことには違いない。
だが、今やっと、心底から相手を信じてフィリカを託す気になれた。それだけのことを可能にした男なら、彼女を確実に守ってくれるだろうと。
同時に、結局は何の力にもなれなかった自分を、情けなくも思ったが──フィリカがこの先、幸せに生きていけるのであれば、己の自尊心が傷つくことなどは些細な問題に過ぎない。自分が、彼女に幸せを与える役割にはなれなかった苦い思いにも、そのうち慣れていくだろう……多分。
「分かった──どうか彼女を頼む」
書類を折り畳み、返しながらレシーは言った。そして、フィリカに挨拶させてもらいたいと続けた。最後にもう一度、彼女の顔を見ておきたかった。
こちらの気持ちを察しているのか、躊躇は一切見せずに、男は頷いてくれた。互いに数歩ずつ前へ出て、レシーがフィリカの顔を覗きこめる距離まで近づく。
覗きこむまでもなく、毛布の中で彼女は、すでにこちらに顔を向けていた。レシーを見上げる目の光は、弱ってはいても相変わらず真っ直ぐで──今は隠そうともしない申し訳なさが溢れている。その時見えた微かな唇の動きは、確かに「ごめんなさい」と読めた。
考えるより先に、レシーは首を振った。今となっては……いや、元から彼女が謝らなければいけない理由は、何もないのだから。
フィリカの力になりたいと、本気でずっと思っていた。だから少しでも実現できるように考え、行動してきたつもりである。
後悔はしていない。自分がそうしたかったから、そんなふうに生きてきた。それだけのことだ。
「いいんだ。……元気でな」
この先二度と会えなくても、フィリカの幸せを願う気持ちに変わりはない。
自分がそう思っていることを、彼女に少しでも長く覚えていてほしくて──毛布からはみ出た彼女の手を、ほんの一瞬だけ、強く握った。
手を離し、二人のために道を譲る。
最後に再びこちらと視線を合わせた男は素早く、だが深く頭を下げた。その後は、振り向くことなく早足で歩き、階段を上っていった。
後ろ姿を追うことはせず、レシーは暗い通路に佇んだまま、石段に響く遠ざかる足音を聞いていた。フィリカの細い手に触れた自分の右手を、強く握りしめながら。
──そして、彼女がどうか幸せになるようにと、心からもう一度願った。