7
次に目を開けた時、ミキは通学路に立っていた。
すぐ横は、猫の姿のおばあちゃんが乗っかっていた民家のブロック塀だった。だけど塀の上に今、猫はいない。ぐるりと周囲を見渡すと、固まっていたはずの人々が当たり前のように立ち動いていた。
ミキは鼻をひとつスンとすすり、込み上がる涙を袖で拭い、通い慣れた道を小学校に向かって歩き始めた。
幾日かが過ぎて、果たしてあの出来事が現実だったのか、ミキには自信がなくなっていた。もしかするとあれは、おばあちゃんへの思慕が見せた夢であったのかもしれない。ただし、現実かどうかはミキにとって重要ではなかった。
ミキとおばあちゃんだけが知る秘密。ミキとおばあちゃん以外は、誰も知らない秘密。
「ミキ、晩ごはんにしましょー」
「はーい」
ミキは宿題を切り上げて、夕食に向かう。食卓には、いつもは帰りが遅いお父さんの姿があった。
「あれ!? お父さん、今日はお仕事早かったんだね?」
ミキは笑顔で自分の席についた。土日以外に家族三人が揃うのは、随分と久しぶりだった。
「今日は切りをつけて上がってきたんだ。ミキにはいつも寂しい思いをさせてすまないな」
「そんな事ないよ。いつも遅くまでお疲れさま」
お父さんへの感謝が、素直に言葉になった。
お父さんはミキの言葉に少し、驚いているようだった。
ミキの脳裏に、ルークの姿が過ぎる。一瞬浮かんだルークも、誇らし気な表情で仕事に出かけるお父さんを見送っていた。
「ねえミキ、実はお母さん、仕事をやめようかと思っているの」
あらかた食べ終えたところで、お母さんがおもむろに切り出した。
突然のお母さんの言葉に、浮かんだのは疑問だった。不思議と、嬉しいとは思わなかった。
「どうして?」
「おばあちゃんが亡くなって、ミキが学校から帰ってきて一人じゃ寂しいんじゃないかって、お父さんと話し合ったの」
おばあちゃんとの天界の旅が、夢か現実かを区別をする手立てはない。しかし、あの時の経験は確実にミキの心の中に生きている。
「ねぇお母さん、それが理由なら仕事はやめないで続けて欲しい」
「ミキ?」
お母さんは、ミキの意図を計りかねているようだった。お母さんは、仕事をやめればミキが喜ぶと、疑っていなかったのだ。
「ミキは、それでいいのか?」
向かいから、ミキに問いかけたのはお父さんだ。
「うん。ねぇお母さんお父さん、寂しいのは帰宅を出迎えてもらえない事じゃない。一緒の時間を長く過ごせない事でもない。今回、お母さんとお父さんが色々考えてくれた事が凄く嬉しい。それからね、私はちゃんと二人が私を思ってくれてるって分かってるから大丈夫」
お父さんとお母さんは、二人で顔を見合わせていた。
「……なんだか、一気にお姉さんになってしまったみたい」
「本当だな。ついこの間まで、ほんの子供だったのに」
嬉しいはずのミキの成長に、お父さんとお母さんは何故か、少し寂しそうにみえた。
「ねえお父さんお母さん、平日のお留守番は大丈夫だけど、土日は一緒に過ごしてね」
「もちろんよ」
「当たり前じゃないか!」
食事が終わっても、食卓は笑顔に満ち溢れ、会話は絶えなかった。
「それから長期のお休みになったらまた、旅行に行きたいな。私、行きたい所があるの」
「もちろん行こう。夏休みには、お父さんも長期休暇を取るから。おばあちゃんのお盆に旅行に、夏は大忙しになるぞ」
「まぁいいわね。それでミキは、どこに行きたいの?」
「実はね、狛犬を祀ってる神社があってね――」
三人の笑い声は、いつまでも止まなかった。
(おばあちゃん、とびきり幸福な土産話を待っていて? また会う日まで、いったんの、さようなら――)
次に目を開けた時、ミキは通学路に立っていた。
すぐ横は、猫の姿のおばあちゃんが乗っかっていた民家のブロック塀だった。だけど塀の上に今、猫はいない。ぐるりと周囲を見渡すと、固まっていたはずの人々が当たり前のように立ち動いていた。
ミキは鼻をひとつスンとすすり、込み上がる涙を袖で拭い、通い慣れた道を小学校に向かって歩き始めた。
幾日かが過ぎて、果たしてあの出来事が現実だったのか、ミキには自信がなくなっていた。もしかするとあれは、おばあちゃんへの思慕が見せた夢であったのかもしれない。ただし、現実かどうかはミキにとって重要ではなかった。
ミキとおばあちゃんだけが知る秘密。ミキとおばあちゃん以外は、誰も知らない秘密。
「ミキ、晩ごはんにしましょー」
「はーい」
ミキは宿題を切り上げて、夕食に向かう。食卓には、いつもは帰りが遅いお父さんの姿があった。
「あれ!? お父さん、今日はお仕事早かったんだね?」
ミキは笑顔で自分の席についた。土日以外に家族三人が揃うのは、随分と久しぶりだった。
「今日は切りをつけて上がってきたんだ。ミキにはいつも寂しい思いをさせてすまないな」
「そんな事ないよ。いつも遅くまでお疲れさま」
お父さんへの感謝が、素直に言葉になった。
お父さんはミキの言葉に少し、驚いているようだった。
ミキの脳裏に、ルークの姿が過ぎる。一瞬浮かんだルークも、誇らし気な表情で仕事に出かけるお父さんを見送っていた。
「ねえミキ、実はお母さん、仕事をやめようかと思っているの」
あらかた食べ終えたところで、お母さんがおもむろに切り出した。
突然のお母さんの言葉に、浮かんだのは疑問だった。不思議と、嬉しいとは思わなかった。
「どうして?」
「おばあちゃんが亡くなって、ミキが学校から帰ってきて一人じゃ寂しいんじゃないかって、お父さんと話し合ったの」
おばあちゃんとの天界の旅が、夢か現実かを区別をする手立てはない。しかし、あの時の経験は確実にミキの心の中に生きている。
「ねぇお母さん、それが理由なら仕事はやめないで続けて欲しい」
「ミキ?」
お母さんは、ミキの意図を計りかねているようだった。お母さんは、仕事をやめればミキが喜ぶと、疑っていなかったのだ。
「ミキは、それでいいのか?」
向かいから、ミキに問いかけたのはお父さんだ。
「うん。ねぇお母さんお父さん、寂しいのは帰宅を出迎えてもらえない事じゃない。一緒の時間を長く過ごせない事でもない。今回、お母さんとお父さんが色々考えてくれた事が凄く嬉しい。それからね、私はちゃんと二人が私を思ってくれてるって分かってるから大丈夫」
お父さんとお母さんは、二人で顔を見合わせていた。
「……なんだか、一気にお姉さんになってしまったみたい」
「本当だな。ついこの間まで、ほんの子供だったのに」
嬉しいはずのミキの成長に、お父さんとお母さんは何故か、少し寂しそうにみえた。
「ねえお父さんお母さん、平日のお留守番は大丈夫だけど、土日は一緒に過ごしてね」
「もちろんよ」
「当たり前じゃないか!」
食事が終わっても、食卓は笑顔に満ち溢れ、会話は絶えなかった。
「それから長期のお休みになったらまた、旅行に行きたいな。私、行きたい所があるの」
「もちろん行こう。夏休みには、お父さんも長期休暇を取るから。おばあちゃんのお盆に旅行に、夏は大忙しになるぞ」
「まぁいいわね。それでミキは、どこに行きたいの?」
「実はね、狛犬を祀ってる神社があってね――」
三人の笑い声は、いつまでも止まなかった。
(おばあちゃん、とびきり幸福な土産話を待っていて? また会う日まで、いったんの、さようなら――)