その日も、透は蛍に誘われて外に出た。
『透、川に行こうよ』
姫沙羅の葉がかすかな風にそよぐ縁側で本を読んでいた透の手を引いて、炎天下を走り出す蛍。少年向けの冒険小説は、パタタッと軽い音を立てて茶の間の畳に放られた。
その渓流は、ほたるび骨董店から歩いて三十分ほどの距離にあった。
大人達には子供だけでは行くなと禁じられていたけれど、そんなに遠くもないし、たまに『冒険』に行くにはちょうどいい場所だった。特に暑い日の水辺は気持ちいい。
『冷たい……!』
『ほんとだね』
清流の水は日光に温められることなくひんやりしていて、熱した河原の石に焼けた足の裏を冷やしてくれる。
透はそれほど活発な子供ではなく、これまであまり羽目を外すことはなかった。でも、その時は直前に読んでいた冒険小説の影響も残っていて、常よりも心が沸き立っていた。
しかも、隣には蛍がいる。少年らしい純情さで表には出さなかったけれど、ひそかに憧れ、可愛いと思っている女の子だ。
少しは頼りがいのあるところを見せたくて、透は蛍の手を引いて川の流れの急なところに歩いていった。
『ほら、凄い。足が持っていかれそうでおもしろいよ。……うわっ』
突然深みにはまった。
それほど水深があるわけではない。ただ膝ほどの深さでも一度転んでしまうと、速い流れに巻き込まれて立ち上がることができない。
『透!』
蛍の声がした。つないでいた手はいつの間にか離れている。渦巻く水の塊が次から次へと襲ってきて、息ができない。
『透! 透!』
もう駄目だ……!
透が死を覚悟した時、白い小さな手が透の腕をつかんだ。
――蛍!
無我夢中でその手にすがる。細い少女の腕を支点にして浅瀬に這い上がる。
『はぁっ、はぁっ、はぁっ』
肺が引き絞られるように痛いけれど、透は全力疾走したあとのように思い切り息を吸い込んだ。
助かった。助かったんだ……。
『蛍』
思わぬ窮地からの生還を笑って祝おうと蛍を探すが、そこに少女の姿はなかった。
『蛍……?』
赤い運動靴だけが、ぽつねんと草むらの中に置き去りにされていた。