怪しき波動
中山家に戻ると、リビングには父と母がいた。
「ただいま」
「予備校がないと、時間にゆとりができるな。たまにはのんびりしなさい」
父は穏やかにいった。
夕食を済ませると、寝る準備をして直也の部屋にエマもやってきた。
「ねえねえ! アポロ様の力はどんな感じだったの? 」
「圧倒的だったよ…… 風の力なんか、全然使いこなせてないことを、嫌というほど思い知った」
「太陽の力は、パパも一目置くほどだからね…… そういえば、武が風のことを言ってたわね…… 」
「ああ。ゼノン父さんが使う風は、スケールが違うみたいだ…… 自分はちょっと驕っていたかもしれない」
「私ね…… 感じるのよ…… ナオヤが神の一族を束ねる日がくることを…… 」
「ちょっと大袈裟だよ。俺は風しか持ってないし、戦闘はズブの素人だ…… 」
「ううん。違うの。神の力を決めるのは『精神力』なの。ナオヤには宇宙さえも超えた、森羅万象すべてに通じるスケールを感じているのよ…… 」
「そういえば…… 先代ゼフュロスがいたって聞いたのだけど、どんな神だったのかな…… 」
「パパがエデンの総帥になる前に、エデンを治めていたの」
「おお。それでどんな神なのかな? 」
「名前は『ムラマサ シエル』というの。わかるでしょ」
「まさか…… 」
「今までずっと傍にいたのよ」
「シエルって、もしかして『空』のこと? 」
「そうよ。ゼノンをも凌ぐ力を振るった、伝説の神なのよ」
「それがなぜ執事に!? 」
「それは私にも測りかねるわ…… 」
翌日、朝食前に直也とエマはエデンへ来ていた。
「アル…… 話を聞きたいのだけど…… 」
と言い終わるや否や、オレンジ色の輝きと共に弓を持った少女が現れた。
「ナオヤ様。早速お呼びいただいて光栄に存じます…… 今後は『アル』とだけ仰ってくだされば結構です」
「うん。これは神の一族の流儀なのかな…… 僕は、あまり歳が変わらないアルに対して上下関係を作りたくないんだ…… 」
「と…… 仰いますと? 」
「僕はまだ神の一族の仲間入りをして、日が浅い。むしろこっちが、君に教えを乞いたい」
アルテミスは返す言葉がみつからず、エマの方をみた。
「そうねぇ…… 一応配下の神だとしておいて、一緒にご飯を食べれば、少しは打ち解けるかもしれないわ…… アルも一緒に朝食を食べようよ」
「え…… えっと…… あの…… 」
「じゃあ。話の後一緒に地球へ行くってことでいいかな? 」
「…… はい…… 」
アルは困惑しながら承諾した。
「それでね。呼び出したのは、ウラノスの動向を知りたかったからなんだ」
「はい。ウラノスの件について、アポロ様からも報告するように指示を受けております」
「ウラノスがどんな神かは、私から話してあるから、今の動きを教えて欲しいの」
「承知いたしました。現在、ウラノスは火星にいます。地球から持ち帰った生物を増殖させて、戦闘用に進化させているようです」
「何だって!? まさかその進化生物を利用して、地球を侵略しようとか…… 」
「それはわかりません。ですが、目的もなくこのようなことはしないと思いますので…… すみません。憶測を交えた報告をしてしまいました…… 」
「アル。もしかして、ウラノス以外にも神がいるの? 」
今度はエマが質問した。
「ウラノスが、みずから火・水・風・土の能力を分けて、4人の部下を作り、従えています…… 」
「なるほど…… 俺たちは、早く力をつけないと、いけないようだな…… 」
「ありがとう。アル。何か動きがあったら逐一報告お願いね」
「はい」
「それじゃあ。地球へ帰ろう…… さあ。アルも一緒に」
中山家のリビングには、6時になると家族がそろう。
今日も父と母がいた。
「あら。新しいお友達ね」
「アルテミスと申します。『アル』とお呼びください。ナオヤ様に仕えさせていただいております…… 」
「そうなの? 直也も主任クラスになったのかしら」
母は何とか自分が知っている言葉で、片付けようとした。
「母さん。神の一族には、こういう決まりごとがあるみたいなんだ。俺がゼノン様の義理の子で、アポロ様の親類だからだと思うんだけど…… 」
「それは違うよ。ナオヤはこれから神の一族の中枢に入るだけの、潜在能力を認められたからなのよ」
キッチンからエマがいった。
「本当にそうなのかな…… 自分にそんな力がある気がしないのだけど…… 」
「はいっ。ハムエッグとサラダですよ」
「あっ。エマ様。申し訳ありません。わたくしが運びます」
アルがキッチンに入ろうとした。
「アルちゃん! お客さんは座っててちょうだい」
母が制すると、エマと一緒に運んできた。
「俺も自分の分くらい運ぶよ…… 」
直也もキッチンから朝食を運んできた。
「オレンジジュースでいいかな? アル」
「は…… はい。恐縮です…… 」
「アルちゃんも、遠慮せずにしっかり食べなさい。朝食を食べると一日元気に過ごせるから」
父もまるで娘に言うように話すのだった。
「そうだ。今日は剣術を武に教わるから、アルも一緒にやらないか? 」
「戦いの神から教えを受けられるなんて…… そのような機会を与えていただき、ありがとうございます。ぜひ参加させてください」
「アルちゃんも、ご家族とご飯食べるんでしょう? 」
母が何気なく聞いた。
「あの…… いえ…… 私は良いんです」
「もしよかったら、これから朝6時にここへ来なさい。朝食を用意しておくから」
母は何かを感じ取ったのか、アルにいうのだった。
夕方エデンに4人で向かった。
「武。ウラノスは、進化生物を作り、配下の神を従えていると聞いたが、どう思う? 」
アルの情報が1日中気になっていた。
エデンにくれば、人目を気にせずに話せる。
「うむ。俺は近いうちに動きがあると思っている。恐らく地球を攻撃してくるのだと思うが…… 」
「その前に、私たちの様子をみに来るかもしれないわね…… 」
「早く戦えるようにならないと、いけないです」
「そうだ。アル! 」
アルテミスが姿を現した。
「ナオヤ様! お誘いを、ありがとうございます」
武が木刀を6本用意した。
「それじゃあ。僭越ながら、剣術について教えよう…… 」
というと、木刀を皆に取るよう促した。
「まず、剣には2種類ある。両刃と片刃だ。両刃は斬れる部分が大きい代わりに、強度が劣る。片刃は反りがついていて、切り抜くのに適している」
木刀を持つと、中段に構えた。
「これが基本中の基本。青眼の構えだ。各自やってみてくれ」
愛は、勝手がわからず木刀を握りしめていた。
「小指と薬指でしっかり握って、他の指は添えるようにするんだ…… 」
エマはちょっと変な姿勢になっている気がした。
「エマ! 基本だから、背筋を伸ばして頭が上に引っ張られるイメージを持て! 」
武の指導は具体的でわかりやすい。
そして、上段から切り下げてみせた。
「まずはこの動作だ。これは『上下振り』という基本動作である。人間の頭から真っ二つに斬るイメージを持つのだ。これを毎日最低三千回行う」
「なるほど。さすがに物騒ですね…… 」
「次は、『袈裟斬り』と『逆袈裟』である。実際に上下振りの動作を、実戦でやることはない。アル! なぜだかわかるかな」
武に指名されて、戸惑った様子だった。
「は…… はい。頭頂部から真っ直ぐ斬り下げようとすると、頭蓋骨で滑るからですね」
明快に答えた。
「ひいっ! 頭蓋骨ですか…… 怖いです…… 」
愛は、おびえた様子を見せた。
「そうだ。だから肩口から切り下ろすのだ。いつも相手をイメージして行うこと。下まで振りぬく動作は、最小限にする。一振りで決まることはほとんどないから、次の動作に移るスピードをいつも意識するんだ」
「はいっ」
人間なら、いきなりこれをやったら、手にマメができるのだろうが、神は再生能力も高い。
傷ができてもすぐに元に戻った。
「よし。皆! 筋がいいぞ。次は実戦的な技に移る」
武は指導もうまい。
戦いに関しては、彼に任せれば間違いなさそうだ。
「突き技だ。基本は両手突きを稽古するが、実戦的には、片手突きをよく使う」
これらも三千本ずつ繰り返した。
「ナオヤ! 片手突きのときは、反対の引き手をしっかり引け。剣には虚実がある。技は全身を調和させなくては、上手くいかないのだ」
「はいっ! 」
このような基本を、ずっと繰り返した。
神は体力もあるので、人間が長い年月かけることも、すぐにこなすことができる。
「よし。では、地球で流行っている日本の剣道から、いくつか型をみせよう! 」
柳生新陰流、北辰一刀流、神道無念流、抜刀田宮流、天然理心流、無双直伝英信流などなど……
武が次々に剣を持って舞うかのように、鮮やかな動作をみせるのだった。
「むう…… さすが武道オタクだな…… 」
直也は感心すると同時に、いつこんなことを覚えたのだろう、と思った。
「こんなに生き生きしている武は、珍しいわ…… 」
「すごい! 美しいですぅ…… 」
伝説の神
エデンには地球上のような昼夜がない。
地球上では、地球の自転によって昼夜が起こる。
太陽の側に向いているときには昼で、反対側にいるときは夜になる。
そして、大気に包まれているから温度変化が少なく、生物が住みやすくできているのである。
だから地球を離れたら、時計を持っていないと何時だかまったくわからなくなる。
「そろそろ、アポロ様のところへ行きましょう」
愛がそわそわした様子で、皆を促した。
「アルも一緒に行こう」
「アポロ様に話してあるから。遠慮しなくていいのよ」
「はっ…… はい! ありがとうございます! 」
直也は、アルのこの堅さを何とかできないかな、と思っていた。
詳しくはわからないが、他にもアルのように従順に仕えている神がいるのだろう。
そのような若い神が、もっと自由に振舞えたら、若い才能がもっとたくさん開花するような気がした。
「ナオヤは優しいね…… 私、そんなところにキュンとするわ」
エマが呟いた。
やはり自分の考えを、エマも後押ししてくれると感じるのだった。
「エマがいてくれるから、俺は自分の考えに自信を持てるんだよ」
心の底から、信頼をおける人がいるということが、こんなに充実した気持ちにさせてくれるのだ。
アポロの神殿の前に、ムラマサが立っていた。
「皆さん。お揃いでいらっしゃいますね。今日は、次代を担うニュージェネレーションを激励する会を企画させていただきました。アポロ様、ルナ様、ゼノン様、エリス様がお待ちです。さあ。中へどうぞ…… 」
武と愛は、中へ入っていった。
一緒に歩き出したが……
直也はムラマサの前で立ち止まった。
向き直ると強いまなざしを向けた。
「ムラマサさん…… 僕に、風の使い方を教えていただけないでしょうか…… 」
表情を変えずに、笑ったままムラマサは黙っていた……
明らかに様子がおかしい……
「私からもお願いします! 今は戦力が必要なときです。最強の神『シエル』の業が必要なときです! どうか…… お願いします」
エマはムラマサに、すがりついて懇願した。
「…… 」
ムラマサは何も言わずに、虚空を見つめ、首を横に振った……
「すみません。いきなり不躾でしたね…… でも僕は諦めません」
いつものにこやかな、好好爺は姿を消し、別人のような危険な雰囲気をみせた。
しばらく息をのんで見つめていたが、微動だにしなかった。
「ナオヤ…… 」
エマが中へと促した。
目つきがゾッとするほど鋭くなり、天空を見つめるムラマサを置き去りにして、残りの3人もアポロがしつらえた宴会場へ向かった。
「昨日の話を聞いて、つい言ってしまった…… ムラマサさんに失礼だったね。何か人にはいえない過去があるのは想像がつくのに…… 」
「きっと大丈夫よ。ムラマサさんの心には、正義の炎があるはずだから…… 」
「あの…… 私、やっぱりご一緒するのは…… 」
アルは、アポロやゼノンと同じテーブルに着くことに抵抗を感じる様子だった。
「じゃあ。これは僕の命令だ。このテーブルについて、一緒に激励を受けてくれ」
「…… わかりました…… 」
困った表情をみせたが、機嫌の良い顔を作って見せてくれた。
「アルにも頑張ってもらわなくてはいけない。当然激励を受けるべきだよ」
「そうよ。私たちと対等だと思って。存分に戦ってもらうんだから…… 覚悟してよ! 」
エマは笑っていった。
今日は武と愛が、主賓席にいる。その隣にエマと直也が並んで座り、向かい側にアルがいる。
アポロが立ち上がった。
「では。今日は、このアポロのもてなしを受けてもらおうと思って、このような席を設けさせてもらった。まずは遠慮なく食事をしてくれ…… では略式ながら、カンパーイ! 」
一同立ち上がり乾杯をした。
「ふう。運動の後の食事はやっぱり肉だよねぇ…… アポロ様はよくわかってらっしゃる」
直也は緊張が解けた。
「私も。お腹すいてたのよ…… 遠慮しないでいいのよ。アルちゃんも」
エマが気配りをして、アルに食事を促した。
武は緊張した面持ちで、動作が固くなっているようにみえた。
愛も俯き気味で食事をしている様子だ。
「エマ。見てごらん。愛と武の様子が変だ…… 」
耳打ちをした。
「私もチラチラみてたのよね…… ここでやるのかしら…… 」
「アポロ様もそれを意識しているのかもしれないね…… 」
「あれ? パパがいないわ…… 」
神殿の外に、ゼノンがでてきた。
「長い夕涼みですね…… 」
ムラマサがゼノンに向き直り、小さく会釈した。
「何か言われましたか…… ニュージェネレーションに」
少し笑うと、また虚空へ目をやった。
ゼノンも同じ方向を見つめた……
「懐かしいですな…… 私とエリス、アポロ、ルナが束になっても一瞬で退けた伝説の神…… 」
「昔話ですよ…… 」
「あまり自分を責めないでください…… こんなあなたを見ていると、このゼノンが責められているような気分になる…… 」
「この空は、これからどうなっていくのでしょうか…… 」
ムラマサは頬に涙を滴らせた……
「地球人を守ることが我々の使命です。神の一族には、いつも闇があります…… その闇もまた、神の一部なのではありませんか? 」
「ゼノン様。あなたは最強の光だ…… 自分はただ強いだけの闇ですよ…… 」
「正義は力であり、力は正義です。ムラマサさんが、正義をもって振るう力は本物です…… 正義の炎を絶やさないでください…… 」
「エマ様ですか…… ナオヤ様も、奇跡のような力を秘めておられる。あのお2人は、一体どこへ向かうのでしょう…… 」
「2人を正しい方向へ導いていただけませんか…… 闇を光に変えるために…… 」
「私は闇を、根こそぎ冥府へ葬ってしまいました…… 私も闇なのです…… この手は血で汚れています…… 」
「今は2大神などと呼ばれていますが、あなた様の力添えもあり、地球人の皆様に目を覚まさせられました…… 前に進む以外ないのです…… どんなに辛い過去があっても…… 前にしか道はないのです! 違いますか! 」
「エリス様が、唯一の希望です…… 私がこうして何とかやってこられたのは、エリス様をお救いできたからです…… 」
「今日祝宴に招いた若者たちは、眩しい光に包まれています。きっと我々の、けがれた過去を清めてくれることでしょう…… 」
しばらく、空を見つめていた……
ムラマサはゼノンの方へ眼をやった。
「すみません。わたくしがやるべきことは、空をぼんやり眺めることではありませんね」
「さあ。中へどうぞ。一緒に席についてください」
部屋へ戻るとムラマサに、ゼノンが席を譲り脇に座った……
ムラマサが立ち上がると、一同が視線を向けた。
「皆さま…… このムラマサは、かつて『シエル』と呼ばれておりました…… 訳あって、今日まで執事としてゼノン様にお仕えさせていただいておりました」
誰一人として、動く者はいなかった。
皆金縛りにあったように、いつも気さくなムラマサが見せた本当の姿を見ていた。
薄水色のネフェーロマが、ムラマサを煽っていた……
「これは、風の神ゼフュロスの力です。わたくしは、ゼフュロスを血の色に染めた罪深い神でした…… ですが、同じ過ちを繰り返さないために、聖なる風を正しい方向へ導こうと思うに至りました…… 」
ムラマサが、ゼノンをみた。
「ムラマサさん。いやシエル様。どうか中山直也を正しい方向へお導き下さい。このゼノンのことは、お気づかいなく。存分にお力を振るってください…… 」
ゼノンが立ち上がって深々と最敬礼をした。
それをみた一同が立ち上がり、皆ならって礼をした……
伝説の神シエルが、直也の方へ歩み寄ってきた。
「ゼフュロスの力は最強にして最凶…… 使い手の心次第で、大量殺りく兵器になりうるのです…… 心して使ってください…… 明日、エデンでお待ちしております」
「ムラマサさん。ありがとうございます」
直也は笑顔を返した……
席に着くと、また食事が再開された。
武と愛が手を止めた。
武が立ち上がって話し始めた……
「皆さん。シエル様のお陰で、我々は長きにわたる平和を享受してきました。自分も血に染まった軍神です…… 戦うために生まれてきた、自分の宿命を重荷に感じることもありました…… ですが 地球で生活してから、何かを守るための戦いは正義の戦いなのだと確信しました! ここに誓います! 自分は、美と愛の女神を妻とし、終生守り抜きます! そして地球を。宇宙を。この森羅万象のすべてを平和に導くために戦います! 」
愛が立ち上がった。
「私は軍神の妻となり、自身も戦いの神に相応しい存在になるよう努めます…… 」
直也とエマが立ち上がり、拍手を贈った。
それに呼応するように一同立ち上がり拍手が起こった……
パチパチパチ……
「うむ。これで神の一族の主軸が確かなものとなった! 存分に励んでくれ! 」
アポロが激励の言葉を述べて三々五々となった……
翌日も、4人揃ってエデンに向かった。
ゼノンの神殿前ムラマサが待っていた。
「ムラマサさん。約束通り、きました…… 」
老爺は少し俯いて笑った。
「ナオヤ様。エマ様。お話があります。中へどうぞ。マルス様とアフロディテ様は、アポロ様のところへ行くように言付かっております…… 」
マルスは軽く頷くとアポロ神殿へ向かった。
「では。参りましょう…… 」
中では、ゼノンが待っていた。
「シエル様。玉座へどうぞ」
ゼノンが立ち上がり、席を譲った。
ムラマサシエルは、独特の雰囲気を放っている。
落ち着きがあるが、やはり血の匂いを感じさせる。
ゼノンよりも、遥かに威圧感があった。
「ナオヤ様。わたくしは、これから火星へ乗り込もうと思っております」
シエルは穏やかに、そしてきっぱりと言った。
その場に緊張が走った……
ゼノンは、驚いた様子ではない…… 口元は笑っているように見えた。
そして一瞬ハッとしたが、直也にも当然の流れのように思えた。
「はい。シエル様が、そうおっしゃるのであれば、お供いたします…… 」
「その前に、お聞きしたいことがあります」
「何でしょうか…… 」
「ナオヤ様。『力』とは何ですか? 」
強さの象徴のようなシエルの言葉である。
だが、その力が自身を苦しめているのだ。
直也は悩んだ……
心の奥底にあるものを、必死に探した……
シエルは俯いたきり、答えを待っている。
そして……
「はい。力とは…… 」
シエルは直也を見つめた。
射貫くような、強いまなざしで。
「力とは、現象です」
「現象…… ですか」
「僕は、エマに出会ったお陰で、神の力を覚醒しました。恐らく出逢いがなければ、ただの地球人として一生を送ったでしょう」
シエルは頷いた……
「推測ですが、シエル様に見出され、力を得て今ここにいるのです…… 最強の風の力を持つに至ったことも、偶然ではないと思っています…… 大きな力を持つ者は、大きな現象を起こします。地球も、宇宙も、すべてを超越した森羅万象を左右する現象を起こすのです」
目を閉じると、何度か頷いて見せた……
「なるほど。一理あると思います…… その森羅万象は、『イメージ』の中にあります。忘れないでください。良くも悪くも、自分が思った通りのことが起こります…… できると信じればできるし、できないと嘆けば、できないのです…… 」
今度は、エマの方をみた。
「エマ様。『正義』とは何ですか? 」
「正義…… 」
「正義の炎」と口癖のように、何度も言ってきた……
だが、いざこう質問されると即答できなかった……
正しさ、とは何だろうか。
よく考えてみると、物事に正しいことなどあるのだろうか……
正義と炎は、本当に関連があるのだろうか……
争いが起こるとき、お互いに異なる正義を振りかざす。
正義は思い込みだ、という人もいる。
確かに始めから正しいことが、世の中にあるとは思えない。
自分の心が正義を作り出すのである。
そして、その正義を誰もが共有するとは限らない。
人によって、神によって、正義の内容が異なるから、この世界の秩序が成り立つのだ。
集団を形成し、組織を作るとき、正義を共有するだろう。
だがそれは構成員の、心にまで深く浸透するわけではない。
正義は「建て前」を作り出し、人を迷走させることがある。
ウラノスにも、思い描く正義があるはずだ。
だがそれは受け入れがたいものである……
「正義とは…… 思い込みです」
シエルは満足げに笑みを浮かべた。
「良い答えですね…… 私の問いに、正面から向き合って考えていることがわかりました…… 2人とも。忘れないでください。物事に『答え』はありません。自分の経験が今のような答えをもたらしたのです。これらは流動的です。今後経験を積むほどに、深く、広く森羅万象を捉えるようになることでしょう…… 」
ゼノンは、立ったまま俯いて目を閉じている……
しばらく間があった……
「わたくしは…… ナオヤ様と、エマ様を心から愛しています。力も、正義も、愛がなければ、ただの幻想です…… お2人の誠の心に打たれました。このムラマサシエルは、心を揺さぶられ、痺れました…… 寝かしつけていた鬼が呼び起こされたのです…… 」
シエルは立ち上がり、直也とエマに近づいた。
そして2人の手を取った……
「よくぞ…… 神の一族に、愛という熱をもたらしてくれました…… ありがとう…… この言葉しか返せるものがありません…… 」
中山家に戻ると、リビングには父と母がいた。
「ただいま」
「予備校がないと、時間にゆとりができるな。たまにはのんびりしなさい」
父は穏やかにいった。
夕食を済ませると、寝る準備をして直也の部屋にエマもやってきた。
「ねえねえ! アポロ様の力はどんな感じだったの? 」
「圧倒的だったよ…… 風の力なんか、全然使いこなせてないことを、嫌というほど思い知った」
「太陽の力は、パパも一目置くほどだからね…… そういえば、武が風のことを言ってたわね…… 」
「ああ。ゼノン父さんが使う風は、スケールが違うみたいだ…… 自分はちょっと驕っていたかもしれない」
「私ね…… 感じるのよ…… ナオヤが神の一族を束ねる日がくることを…… 」
「ちょっと大袈裟だよ。俺は風しか持ってないし、戦闘はズブの素人だ…… 」
「ううん。違うの。神の力を決めるのは『精神力』なの。ナオヤには宇宙さえも超えた、森羅万象すべてに通じるスケールを感じているのよ…… 」
「そういえば…… 先代ゼフュロスがいたって聞いたのだけど、どんな神だったのかな…… 」
「パパがエデンの総帥になる前に、エデンを治めていたの」
「おお。それでどんな神なのかな? 」
「名前は『ムラマサ シエル』というの。わかるでしょ」
「まさか…… 」
「今までずっと傍にいたのよ」
「シエルって、もしかして『空』のこと? 」
「そうよ。ゼノンをも凌ぐ力を振るった、伝説の神なのよ」
「それがなぜ執事に!? 」
「それは私にも測りかねるわ…… 」
翌日、朝食前に直也とエマはエデンへ来ていた。
「アル…… 話を聞きたいのだけど…… 」
と言い終わるや否や、オレンジ色の輝きと共に弓を持った少女が現れた。
「ナオヤ様。早速お呼びいただいて光栄に存じます…… 今後は『アル』とだけ仰ってくだされば結構です」
「うん。これは神の一族の流儀なのかな…… 僕は、あまり歳が変わらないアルに対して上下関係を作りたくないんだ…… 」
「と…… 仰いますと? 」
「僕はまだ神の一族の仲間入りをして、日が浅い。むしろこっちが、君に教えを乞いたい」
アルテミスは返す言葉がみつからず、エマの方をみた。
「そうねぇ…… 一応配下の神だとしておいて、一緒にご飯を食べれば、少しは打ち解けるかもしれないわ…… アルも一緒に朝食を食べようよ」
「え…… えっと…… あの…… 」
「じゃあ。話の後一緒に地球へ行くってことでいいかな? 」
「…… はい…… 」
アルは困惑しながら承諾した。
「それでね。呼び出したのは、ウラノスの動向を知りたかったからなんだ」
「はい。ウラノスの件について、アポロ様からも報告するように指示を受けております」
「ウラノスがどんな神かは、私から話してあるから、今の動きを教えて欲しいの」
「承知いたしました。現在、ウラノスは火星にいます。地球から持ち帰った生物を増殖させて、戦闘用に進化させているようです」
「何だって!? まさかその進化生物を利用して、地球を侵略しようとか…… 」
「それはわかりません。ですが、目的もなくこのようなことはしないと思いますので…… すみません。憶測を交えた報告をしてしまいました…… 」
「アル。もしかして、ウラノス以外にも神がいるの? 」
今度はエマが質問した。
「ウラノスが、みずから火・水・風・土の能力を分けて、4人の部下を作り、従えています…… 」
「なるほど…… 俺たちは、早く力をつけないと、いけないようだな…… 」
「ありがとう。アル。何か動きがあったら逐一報告お願いね」
「はい」
「それじゃあ。地球へ帰ろう…… さあ。アルも一緒に」
中山家のリビングには、6時になると家族がそろう。
今日も父と母がいた。
「あら。新しいお友達ね」
「アルテミスと申します。『アル』とお呼びください。ナオヤ様に仕えさせていただいております…… 」
「そうなの? 直也も主任クラスになったのかしら」
母は何とか自分が知っている言葉で、片付けようとした。
「母さん。神の一族には、こういう決まりごとがあるみたいなんだ。俺がゼノン様の義理の子で、アポロ様の親類だからだと思うんだけど…… 」
「それは違うよ。ナオヤはこれから神の一族の中枢に入るだけの、潜在能力を認められたからなのよ」
キッチンからエマがいった。
「本当にそうなのかな…… 自分にそんな力がある気がしないのだけど…… 」
「はいっ。ハムエッグとサラダですよ」
「あっ。エマ様。申し訳ありません。わたくしが運びます」
アルがキッチンに入ろうとした。
「アルちゃん! お客さんは座っててちょうだい」
母が制すると、エマと一緒に運んできた。
「俺も自分の分くらい運ぶよ…… 」
直也もキッチンから朝食を運んできた。
「オレンジジュースでいいかな? アル」
「は…… はい。恐縮です…… 」
「アルちゃんも、遠慮せずにしっかり食べなさい。朝食を食べると一日元気に過ごせるから」
父もまるで娘に言うように話すのだった。
「そうだ。今日は剣術を武に教わるから、アルも一緒にやらないか? 」
「戦いの神から教えを受けられるなんて…… そのような機会を与えていただき、ありがとうございます。ぜひ参加させてください」
「アルちゃんも、ご家族とご飯食べるんでしょう? 」
母が何気なく聞いた。
「あの…… いえ…… 私は良いんです」
「もしよかったら、これから朝6時にここへ来なさい。朝食を用意しておくから」
母は何かを感じ取ったのか、アルにいうのだった。
夕方エデンに4人で向かった。
「武。ウラノスは、進化生物を作り、配下の神を従えていると聞いたが、どう思う? 」
アルの情報が1日中気になっていた。
エデンにくれば、人目を気にせずに話せる。
「うむ。俺は近いうちに動きがあると思っている。恐らく地球を攻撃してくるのだと思うが…… 」
「その前に、私たちの様子をみに来るかもしれないわね…… 」
「早く戦えるようにならないと、いけないです」
「そうだ。アル! 」
アルテミスが姿を現した。
「ナオヤ様! お誘いを、ありがとうございます」
武が木刀を6本用意した。
「それじゃあ。僭越ながら、剣術について教えよう…… 」
というと、木刀を皆に取るよう促した。
「まず、剣には2種類ある。両刃と片刃だ。両刃は斬れる部分が大きい代わりに、強度が劣る。片刃は反りがついていて、切り抜くのに適している」
木刀を持つと、中段に構えた。
「これが基本中の基本。青眼の構えだ。各自やってみてくれ」
愛は、勝手がわからず木刀を握りしめていた。
「小指と薬指でしっかり握って、他の指は添えるようにするんだ…… 」
エマはちょっと変な姿勢になっている気がした。
「エマ! 基本だから、背筋を伸ばして頭が上に引っ張られるイメージを持て! 」
武の指導は具体的でわかりやすい。
そして、上段から切り下げてみせた。
「まずはこの動作だ。これは『上下振り』という基本動作である。人間の頭から真っ二つに斬るイメージを持つのだ。これを毎日最低三千回行う」
「なるほど。さすがに物騒ですね…… 」
「次は、『袈裟斬り』と『逆袈裟』である。実際に上下振りの動作を、実戦でやることはない。アル! なぜだかわかるかな」
武に指名されて、戸惑った様子だった。
「は…… はい。頭頂部から真っ直ぐ斬り下げようとすると、頭蓋骨で滑るからですね」
明快に答えた。
「ひいっ! 頭蓋骨ですか…… 怖いです…… 」
愛は、おびえた様子を見せた。
「そうだ。だから肩口から切り下ろすのだ。いつも相手をイメージして行うこと。下まで振りぬく動作は、最小限にする。一振りで決まることはほとんどないから、次の動作に移るスピードをいつも意識するんだ」
「はいっ」
人間なら、いきなりこれをやったら、手にマメができるのだろうが、神は再生能力も高い。
傷ができてもすぐに元に戻った。
「よし。皆! 筋がいいぞ。次は実戦的な技に移る」
武は指導もうまい。
戦いに関しては、彼に任せれば間違いなさそうだ。
「突き技だ。基本は両手突きを稽古するが、実戦的には、片手突きをよく使う」
これらも三千本ずつ繰り返した。
「ナオヤ! 片手突きのときは、反対の引き手をしっかり引け。剣には虚実がある。技は全身を調和させなくては、上手くいかないのだ」
「はいっ! 」
このような基本を、ずっと繰り返した。
神は体力もあるので、人間が長い年月かけることも、すぐにこなすことができる。
「よし。では、地球で流行っている日本の剣道から、いくつか型をみせよう! 」
柳生新陰流、北辰一刀流、神道無念流、抜刀田宮流、天然理心流、無双直伝英信流などなど……
武が次々に剣を持って舞うかのように、鮮やかな動作をみせるのだった。
「むう…… さすが武道オタクだな…… 」
直也は感心すると同時に、いつこんなことを覚えたのだろう、と思った。
「こんなに生き生きしている武は、珍しいわ…… 」
「すごい! 美しいですぅ…… 」
伝説の神
エデンには地球上のような昼夜がない。
地球上では、地球の自転によって昼夜が起こる。
太陽の側に向いているときには昼で、反対側にいるときは夜になる。
そして、大気に包まれているから温度変化が少なく、生物が住みやすくできているのである。
だから地球を離れたら、時計を持っていないと何時だかまったくわからなくなる。
「そろそろ、アポロ様のところへ行きましょう」
愛がそわそわした様子で、皆を促した。
「アルも一緒に行こう」
「アポロ様に話してあるから。遠慮しなくていいのよ」
「はっ…… はい! ありがとうございます! 」
直也は、アルのこの堅さを何とかできないかな、と思っていた。
詳しくはわからないが、他にもアルのように従順に仕えている神がいるのだろう。
そのような若い神が、もっと自由に振舞えたら、若い才能がもっとたくさん開花するような気がした。
「ナオヤは優しいね…… 私、そんなところにキュンとするわ」
エマが呟いた。
やはり自分の考えを、エマも後押ししてくれると感じるのだった。
「エマがいてくれるから、俺は自分の考えに自信を持てるんだよ」
心の底から、信頼をおける人がいるということが、こんなに充実した気持ちにさせてくれるのだ。
アポロの神殿の前に、ムラマサが立っていた。
「皆さん。お揃いでいらっしゃいますね。今日は、次代を担うニュージェネレーションを激励する会を企画させていただきました。アポロ様、ルナ様、ゼノン様、エリス様がお待ちです。さあ。中へどうぞ…… 」
武と愛は、中へ入っていった。
一緒に歩き出したが……
直也はムラマサの前で立ち止まった。
向き直ると強いまなざしを向けた。
「ムラマサさん…… 僕に、風の使い方を教えていただけないでしょうか…… 」
表情を変えずに、笑ったままムラマサは黙っていた……
明らかに様子がおかしい……
「私からもお願いします! 今は戦力が必要なときです。最強の神『シエル』の業が必要なときです! どうか…… お願いします」
エマはムラマサに、すがりついて懇願した。
「…… 」
ムラマサは何も言わずに、虚空を見つめ、首を横に振った……
「すみません。いきなり不躾でしたね…… でも僕は諦めません」
いつものにこやかな、好好爺は姿を消し、別人のような危険な雰囲気をみせた。
しばらく息をのんで見つめていたが、微動だにしなかった。
「ナオヤ…… 」
エマが中へと促した。
目つきがゾッとするほど鋭くなり、天空を見つめるムラマサを置き去りにして、残りの3人もアポロがしつらえた宴会場へ向かった。
「昨日の話を聞いて、つい言ってしまった…… ムラマサさんに失礼だったね。何か人にはいえない過去があるのは想像がつくのに…… 」
「きっと大丈夫よ。ムラマサさんの心には、正義の炎があるはずだから…… 」
「あの…… 私、やっぱりご一緒するのは…… 」
アルは、アポロやゼノンと同じテーブルに着くことに抵抗を感じる様子だった。
「じゃあ。これは僕の命令だ。このテーブルについて、一緒に激励を受けてくれ」
「…… わかりました…… 」
困った表情をみせたが、機嫌の良い顔を作って見せてくれた。
「アルにも頑張ってもらわなくてはいけない。当然激励を受けるべきだよ」
「そうよ。私たちと対等だと思って。存分に戦ってもらうんだから…… 覚悟してよ! 」
エマは笑っていった。
今日は武と愛が、主賓席にいる。その隣にエマと直也が並んで座り、向かい側にアルがいる。
アポロが立ち上がった。
「では。今日は、このアポロのもてなしを受けてもらおうと思って、このような席を設けさせてもらった。まずは遠慮なく食事をしてくれ…… では略式ながら、カンパーイ! 」
一同立ち上がり乾杯をした。
「ふう。運動の後の食事はやっぱり肉だよねぇ…… アポロ様はよくわかってらっしゃる」
直也は緊張が解けた。
「私も。お腹すいてたのよ…… 遠慮しないでいいのよ。アルちゃんも」
エマが気配りをして、アルに食事を促した。
武は緊張した面持ちで、動作が固くなっているようにみえた。
愛も俯き気味で食事をしている様子だ。
「エマ。見てごらん。愛と武の様子が変だ…… 」
耳打ちをした。
「私もチラチラみてたのよね…… ここでやるのかしら…… 」
「アポロ様もそれを意識しているのかもしれないね…… 」
「あれ? パパがいないわ…… 」
神殿の外に、ゼノンがでてきた。
「長い夕涼みですね…… 」
ムラマサがゼノンに向き直り、小さく会釈した。
「何か言われましたか…… ニュージェネレーションに」
少し笑うと、また虚空へ目をやった。
ゼノンも同じ方向を見つめた……
「懐かしいですな…… 私とエリス、アポロ、ルナが束になっても一瞬で退けた伝説の神…… 」
「昔話ですよ…… 」
「あまり自分を責めないでください…… こんなあなたを見ていると、このゼノンが責められているような気分になる…… 」
「この空は、これからどうなっていくのでしょうか…… 」
ムラマサは頬に涙を滴らせた……
「地球人を守ることが我々の使命です。神の一族には、いつも闇があります…… その闇もまた、神の一部なのではありませんか? 」
「ゼノン様。あなたは最強の光だ…… 自分はただ強いだけの闇ですよ…… 」
「正義は力であり、力は正義です。ムラマサさんが、正義をもって振るう力は本物です…… 正義の炎を絶やさないでください…… 」
「エマ様ですか…… ナオヤ様も、奇跡のような力を秘めておられる。あのお2人は、一体どこへ向かうのでしょう…… 」
「2人を正しい方向へ導いていただけませんか…… 闇を光に変えるために…… 」
「私は闇を、根こそぎ冥府へ葬ってしまいました…… 私も闇なのです…… この手は血で汚れています…… 」
「今は2大神などと呼ばれていますが、あなた様の力添えもあり、地球人の皆様に目を覚まさせられました…… 前に進む以外ないのです…… どんなに辛い過去があっても…… 前にしか道はないのです! 違いますか! 」
「エリス様が、唯一の希望です…… 私がこうして何とかやってこられたのは、エリス様をお救いできたからです…… 」
「今日祝宴に招いた若者たちは、眩しい光に包まれています。きっと我々の、けがれた過去を清めてくれることでしょう…… 」
しばらく、空を見つめていた……
ムラマサはゼノンの方へ眼をやった。
「すみません。わたくしがやるべきことは、空をぼんやり眺めることではありませんね」
「さあ。中へどうぞ。一緒に席についてください」
部屋へ戻るとムラマサに、ゼノンが席を譲り脇に座った……
ムラマサが立ち上がると、一同が視線を向けた。
「皆さま…… このムラマサは、かつて『シエル』と呼ばれておりました…… 訳あって、今日まで執事としてゼノン様にお仕えさせていただいておりました」
誰一人として、動く者はいなかった。
皆金縛りにあったように、いつも気さくなムラマサが見せた本当の姿を見ていた。
薄水色のネフェーロマが、ムラマサを煽っていた……
「これは、風の神ゼフュロスの力です。わたくしは、ゼフュロスを血の色に染めた罪深い神でした…… ですが、同じ過ちを繰り返さないために、聖なる風を正しい方向へ導こうと思うに至りました…… 」
ムラマサが、ゼノンをみた。
「ムラマサさん。いやシエル様。どうか中山直也を正しい方向へお導き下さい。このゼノンのことは、お気づかいなく。存分にお力を振るってください…… 」
ゼノンが立ち上がって深々と最敬礼をした。
それをみた一同が立ち上がり、皆ならって礼をした……
伝説の神シエルが、直也の方へ歩み寄ってきた。
「ゼフュロスの力は最強にして最凶…… 使い手の心次第で、大量殺りく兵器になりうるのです…… 心して使ってください…… 明日、エデンでお待ちしております」
「ムラマサさん。ありがとうございます」
直也は笑顔を返した……
席に着くと、また食事が再開された。
武と愛が手を止めた。
武が立ち上がって話し始めた……
「皆さん。シエル様のお陰で、我々は長きにわたる平和を享受してきました。自分も血に染まった軍神です…… 戦うために生まれてきた、自分の宿命を重荷に感じることもありました…… ですが 地球で生活してから、何かを守るための戦いは正義の戦いなのだと確信しました! ここに誓います! 自分は、美と愛の女神を妻とし、終生守り抜きます! そして地球を。宇宙を。この森羅万象のすべてを平和に導くために戦います! 」
愛が立ち上がった。
「私は軍神の妻となり、自身も戦いの神に相応しい存在になるよう努めます…… 」
直也とエマが立ち上がり、拍手を贈った。
それに呼応するように一同立ち上がり拍手が起こった……
パチパチパチ……
「うむ。これで神の一族の主軸が確かなものとなった! 存分に励んでくれ! 」
アポロが激励の言葉を述べて三々五々となった……
翌日も、4人揃ってエデンに向かった。
ゼノンの神殿前ムラマサが待っていた。
「ムラマサさん。約束通り、きました…… 」
老爺は少し俯いて笑った。
「ナオヤ様。エマ様。お話があります。中へどうぞ。マルス様とアフロディテ様は、アポロ様のところへ行くように言付かっております…… 」
マルスは軽く頷くとアポロ神殿へ向かった。
「では。参りましょう…… 」
中では、ゼノンが待っていた。
「シエル様。玉座へどうぞ」
ゼノンが立ち上がり、席を譲った。
ムラマサシエルは、独特の雰囲気を放っている。
落ち着きがあるが、やはり血の匂いを感じさせる。
ゼノンよりも、遥かに威圧感があった。
「ナオヤ様。わたくしは、これから火星へ乗り込もうと思っております」
シエルは穏やかに、そしてきっぱりと言った。
その場に緊張が走った……
ゼノンは、驚いた様子ではない…… 口元は笑っているように見えた。
そして一瞬ハッとしたが、直也にも当然の流れのように思えた。
「はい。シエル様が、そうおっしゃるのであれば、お供いたします…… 」
「その前に、お聞きしたいことがあります」
「何でしょうか…… 」
「ナオヤ様。『力』とは何ですか? 」
強さの象徴のようなシエルの言葉である。
だが、その力が自身を苦しめているのだ。
直也は悩んだ……
心の奥底にあるものを、必死に探した……
シエルは俯いたきり、答えを待っている。
そして……
「はい。力とは…… 」
シエルは直也を見つめた。
射貫くような、強いまなざしで。
「力とは、現象です」
「現象…… ですか」
「僕は、エマに出会ったお陰で、神の力を覚醒しました。恐らく出逢いがなければ、ただの地球人として一生を送ったでしょう」
シエルは頷いた……
「推測ですが、シエル様に見出され、力を得て今ここにいるのです…… 最強の風の力を持つに至ったことも、偶然ではないと思っています…… 大きな力を持つ者は、大きな現象を起こします。地球も、宇宙も、すべてを超越した森羅万象を左右する現象を起こすのです」
目を閉じると、何度か頷いて見せた……
「なるほど。一理あると思います…… その森羅万象は、『イメージ』の中にあります。忘れないでください。良くも悪くも、自分が思った通りのことが起こります…… できると信じればできるし、できないと嘆けば、できないのです…… 」
今度は、エマの方をみた。
「エマ様。『正義』とは何ですか? 」
「正義…… 」
「正義の炎」と口癖のように、何度も言ってきた……
だが、いざこう質問されると即答できなかった……
正しさ、とは何だろうか。
よく考えてみると、物事に正しいことなどあるのだろうか……
正義と炎は、本当に関連があるのだろうか……
争いが起こるとき、お互いに異なる正義を振りかざす。
正義は思い込みだ、という人もいる。
確かに始めから正しいことが、世の中にあるとは思えない。
自分の心が正義を作り出すのである。
そして、その正義を誰もが共有するとは限らない。
人によって、神によって、正義の内容が異なるから、この世界の秩序が成り立つのだ。
集団を形成し、組織を作るとき、正義を共有するだろう。
だがそれは構成員の、心にまで深く浸透するわけではない。
正義は「建て前」を作り出し、人を迷走させることがある。
ウラノスにも、思い描く正義があるはずだ。
だがそれは受け入れがたいものである……
「正義とは…… 思い込みです」
シエルは満足げに笑みを浮かべた。
「良い答えですね…… 私の問いに、正面から向き合って考えていることがわかりました…… 2人とも。忘れないでください。物事に『答え』はありません。自分の経験が今のような答えをもたらしたのです。これらは流動的です。今後経験を積むほどに、深く、広く森羅万象を捉えるようになることでしょう…… 」
ゼノンは、立ったまま俯いて目を閉じている……
しばらく間があった……
「わたくしは…… ナオヤ様と、エマ様を心から愛しています。力も、正義も、愛がなければ、ただの幻想です…… お2人の誠の心に打たれました。このムラマサシエルは、心を揺さぶられ、痺れました…… 寝かしつけていた鬼が呼び起こされたのです…… 」
シエルは立ち上がり、直也とエマに近づいた。
そして2人の手を取った……
「よくぞ…… 神の一族に、愛という熱をもたらしてくれました…… ありがとう…… この言葉しか返せるものがありません…… 」