愛の転校生
高校に近づくと、生徒が増えてくる。
自転車通学の生徒。歩きの生徒。電車を利用する生徒は最寄りの駅から歩いてくる。
電車は一度に大勢降りてくるので、電車組は徒党を組んで道を占領している。
「道に広がって歩くから、近所から苦情が来るんだよね…… 」
駅から学校までの道の角に、ときどき先生方が立っている。
たまたま谷先生が立っていた。
「おはよう。中山兄妹はいつみても、心が和むねぇ」
「先生。おはようございます。心が和むとおっしゃいましたが、どんな感じに見えますか? 」
「うん。まるで夫婦だ! 」
「ぶはっ! 先生ぇ まさかそんな風にいわれるとは…… 」
「なんてね! イメージだよイメージ。今日も元気に頑張ろう」
「はい…… 」
「おっ。その子がいとこの転校生かな」
「そうです。中山愛です。よろしくお願いします」
「直也君。3人目だけど、任せていいよね」
「はいっ」
その方が都合がいい。
何とか武の近くに、愛をくっつける手だてを考えていたところだ。
「ふう…… 緊張してきました…… 」
「愛ちゃん。リラックスして! 恋は元気主義だよ。ほら。笑って」
「うん。わかった。頑張るよ、お姉ちゃん」
校門に近づくと、愛に視線が集まってきた。
「おお。見ろ!中山直也がハーレムを作っている! 」
「凄い! 美の女神のようだ」
「かわいい」
「美人ね」
口々に賞賛の言葉をいう。
「じゃあ。職員室に案内してくるわ」
エマが愛を連れていった。
教室に入ると、武が黙々と勉強していた。
直也も単語集を取り出して、眺めた。
キーン、コーン、カーン、コーン……
甲高いチャイムの音とともに、谷先生が入ってきた。
「きりーつ。礼! 着席」
「えぇ。今日は転校生を紹介します」
「おおお。またかぁ」
「あっ。凄いかわいい」
愛が教室に入ってきた。
「中山愛と申します。中山直也、エマのいとこです。よろしくお願いします…… 」
直也は武の表情をみていた。
まったく動揺した様子はない。
「では。今度は中山直也の後ろでいいな」
ついに、3方向を囲まれた。
直也も神の一族になったのだから、武も親類である。
これだけ近しい人たちに囲まれた高校生活は珍しいだろう。
武に何かいおうかと思ったが、失敗してはいけないので黙っていた。
今日は授業中に武のネガティブテレパシーもなく、エマも黙っている。
不気味なくらい静まり返って、テレパシーが飛んでこなかった。
休み時間には、武も愛も、黙々と勉強している。
愛がどんな気持ちでいるのかは、想像するしかなった。
沈黙に耐えられなくなってきて、エマを廊下に連れ出した。
「どう思う? あの2人…… 」
人目があるので、テレパシーで話す。
「…… そうね…… 今はそっとしておいた方がいいかも…… 」
「武も、何か思うところがあるんだろう…… いつもみたいにエマにも俺にも絡んでこないし…・ 」
「この無反応が物語っているのかもしれないね…… 」
「というと……? 」
「武も、愛ちゃんを気にしているってこと…… 」
「何とか2人っきりにする方法はないか…… 」
「そういえば、武は武道とか格闘技に興味があるんじゃないかしら…… 」
「戦いの神だから、可能性あるね…… 愛ちゃんは? 」
「実は、ああみえて格闘ファンなのよ…… しかも、かなりディープみたい…… 」
「へえ…… よし! 突破口がみえたかもしれない! 」
次の休み時間に、武に話を振ってみた。
「なあ。武…… 桜葉篤志って知ってる? 」
「んあ? なんだ。急に。愚問だな。桜葉伝説を知らないわけがなかろう…… 」
言葉はぶっきらぼうだが、思わず笑顔がこぼれた。
「もしかして、動画見てたりする? 」
「もちろんだ。グレイシー柔術との死闘は素晴らしいぞ。相手の動きを予測して、見事に関節を取ってフォールするのだ…… まさしく、稀代の格闘の申し子だよ」
「へえ。実はさ。俺、最近格闘技に興味が出てきたんだ。お勧めのベストバウトがあったら教えてくれ」
「そうか。とりあえず今言った桜葉篤志とグレイシ―一族の試合は見ておくべきだ。この知識がなければ総合格闘技の解説で何を言っているのかわからないだろう…… 立ち技系も押さえておくべきだ。中軽量級の選手の試合がいい。1990年代は黄金期だった。どの試合も素晴らしい。毎年日本人は、戦いに感動しながら年越しをしたのだ…… 」
「なあ。今夜ちょっとだけ、うちの大画面で見てみないか? 武の解説を聞きながら見てみたいんだ」
「ああ。いいとも。うちのテレビは小さくてな…… ご両親が迷惑でなければ」
「多分平気だと思うけど、電話で聞いておくよ。今夜が楽しみだな」
「はは。ナオヤも格闘技が好きだなんて知らなかったぞ。受験勉強の息抜きにはちょうどいい。いろいろ教えよう」
「やった! 」
こんなに食いつきがいいとは。
内心ガッツポーズを取っていた。
この話題に愛ちゃんも乗せて、うまく2人の距離を縮められれば成功だ。
エマもにっこり微笑んだ。
「ねえ。愛ちゃんも一緒に見よう。さっきの…… 桜葉篤志って知ってる? 」
「うん。世界中に知れ渡ってる伝説の格闘家だよ。私、大好きなの」
「ねえねえ。愛ちゃんも大好きだってさ! 」
「おお。そりゃあいい。4人でみよう! 」
「あ、ああ。そうだな」
武も愛の方をみた。
少し表情が柔らかくなったような気がした。
夜、中山家に武もやってきた。
「こんばんは。夜分恐れ入ります。おじゃまします」
「いらっしゃい。今日は賑やかね」
母が出迎えた。
父も起きて、リビングにいた。
「それじゃあ。私は失礼するよ」
「夜遅いので、すぐに失礼します。すみません」
「せっかくだから、武君も夕飯を食べて行ってちょうだい。見ながらどうぞ」
「ありがとうございます」
武は相変わらず礼儀正しい。
テーブルに夕飯を並べると、直也がリモコンを取り出した。
「では早速。『桜葉篤志』」
とリモコンに向かっていうと、音声認識で検索された。
「ああ。これがいいかな『ハイソ・グレイシー×桜葉篤志』」
すると、画面にリングが映し出された。
照明を見上げるようにリングサイドのアングルから、伝説の格闘家、桜葉篤志が映し出された。
会場の歓声がすごい。
「ねえ。ナオヤ。私、こういうの初めて見るんだけど、水着みたいな服で、あんなに露出した女の子がなんでリングを歩いてるの? アナウンサーの隣にいるアイドルっぽい女の子も胸元全開だし…… 」
「ん? ううぅん。 なぜって言われると…… 視聴率を稼ぐためじゃないかな…… 何秒かに一度女の子が映るようにしてるって、何かに書いてあった気がする」
「だからってさ。ちょっと下品じゃないかしら…… 」
「まあね。マスコミ業界は数字出すことが最優先でさ…… そんなもんだよ」
「武と愛は、画面に釘付けになっている。目つきが真剣だ」
「ハイソは、グレイシー一族の中でもテクニシャンで、200戦無敗という戦績を残している。ビクソンと並ぶ強敵だ。桜葉はこの試合のために秘策をいくつも用意していたんだ」
低い声で武が説明してくれた。画面からも同様な解説が聞こえるが、武はより具体的に話してくれる。
「桜葉さん。カッコいいですぅ…… 」
愛が呟いた。
直也は、正直なところ冴えないおじさん、と心の中で思っていた。
見た目はそんな感じである。
スーツを来てそこら辺を歩いていたら、うだつが上がらない無精ひげを生やしたサラリーマンに見えそうだ。
試合は膠着状態が続いた。
その間も武は解説を続ける。
よほどのマニアらしく、選手の私生活や趣味まで知り尽くしている。
「武はすごいね。どこでそんな情報を…… 」
「ネットで調べればすぐにわかるぞ」
「ごめん。武。今更だけど、グレイシー柔術ってどんな格闘技なの? 」
「グレイシ―柔術とは、日本発祥の柔術をある日本人がブラジルに伝えたことが元で広がったのだ。だからブラジリアン柔術とも呼ばれている。ブラジルには、様々な格闘技があるが、グレーC一族が学んだ技は、体格が優れた相手を打ち負かす驚異の技だと評判になった。グレイシー柔術の道場はブラジルに根付き、その強さが総合格闘技や、何でもありという意味のヴァーリ…トゥ―ドで証明されて、日本でも柔術ブームが起こった。」
「柔道とは違うのか? 」
「むう。そこからか。柔道は明治時代に、危険性が少ない投げ技を中心に再編成した武道だ。柔術には相手を殴る当て身や関節技など、危険な技もある。安全性を高めた柔道が世界中に広がり、オリンピック競技になったのだ。」
「なぜ日本の武道である柔術の人気が出たんだろう」
「技を習得するための練習方法が優れていると思うぞ。体格には恵まれないが、勤勉な日本人の国民性が色濃く感じられる。例えば基本を何千回も繰り返して、技を体に覚え込ませるところや、毎日の稽古をルーティーンにして、誰でもある程度の力を身に着けられるようにしたところが優れた点だ」
「なるほど。武は格闘技の評論家だな」
「特に日本の武道は、調べると面白いぞ」
食事終えたエマが立ち上がった。
「さきにお風呂いただくわね。ごゆっくり」
直也に目くばせをした。
「ああぁ。そうそう。ちょっと父さんに頼まれたことがあったんだった。ちょっと失礼」
直也は2階に上っていった。
後には、武と愛が残された。
「あ。あのう。武さん」
「ん? 」
「総合と立ち技系と、プロレスでは、何が好きですか? 」
愛はやっとの思いで聞いた。
直也とエマが一生懸命愛のためにこのチャンスを作ってくれたことに感謝していた。
何としてもその気持ちに報いたい、という思いが強い。
「そうだな。細菌は立ち技系に興味があるかな」
「私、魔棲斗選手が好きなんですけど、引退してから復帰して、ラストマッチが企画されてますよね」
「ああ。俺も気になってたんだ。亡くなったキット選手も凄かったが、この2人の活躍が立ち技系格闘技ブームを起こしたと言っていい」
「あの…… チケット取ったんですけど、一緒に行きませんか? 」
「え? ホント? 行きたい。一緒に行こう! 」
武がかなりのハイテンションになった。
大当たりだ。
「やった! 私も嬉しいです! 」
愛も飛び上がって喜んだ。
「連絡とりたいのでSNSも交換しましょう」
「ああ。いいよ」
これでいつでも連絡できる。
やはり学校で顔を合わせるが、周りの目がある。
SNSであればプライベートなこともやり取りできる。
愛は天にも昇る気持ちだった。
武も普段見せたことがないような、明るい顔をしてみせた。
「うん。それじゃあ。夜遅いしそろそろ失礼するよ。皆さんによろしく! 」
「あ…… また一緒に動画みましょう」
「ああ。今日は楽しかった」
武は愛を眩しそうに見つめてから、帰っていった。
「やったあ! 」
飛び上がって喜ぶと、エマが風呂場から出てきた。
「ふふふ…… やったじゃないのさ…… コノコノォ! 」
直也も降りてきた。
「これは脈アリだぞ。武の反応は明らかに美の女神の魅力の虜になっていた! これで我らのミッションは成功したな」
「あとは。愛ちゃん。楽しんでいれば大丈夫よ」
「うわあ。武さんと2人でお出かけなんて、夢みたい…… 」
「ねえ。思ったんだけど、武って結構派手目の女が好きなんじゃないかしら。ちょっとだけイメチェンしてみようよ」
「格闘技好きだからな。勝負に出てみるか」
美の女神降臨
翌朝、いつものように4時に起きると、エマがやってきた。
「ねえ。ポニーテールはどうかな」
「ん? ああ。攻めてる感じするな。活発な女を演出するべきだ。うん」
「学校は校則があるから、お化粧できないけど、帰りに口紅とチークだけでもつけて見せつけてやるのよ! 」
「おお。美の女神様降臨だな! 」
「なんか、こっちまでテンション上がってくるね」
学校に着くと、愛が髪を上げていることが目を引くようで、周りの視線を集めた。
エマも目を引くが、愛は煌めくような、みずみずしい魅力のオーラを放っていた。
「これが美の女神の本気か…… 」
直也は思わず呟いた。
「そうね。愛ちゃんが本気を出したら、振り向かない男はいないはずよ」
教室には、武がすでに来ていて勉強していた。
愛が近づいていくと、聞いた。
「武さん。おはようございます。いつも何時に来てるんですか? 」
「ああ。俺はいつも6時半くらいかな…… 」
「えっ! そんなに早く!? 勉強がはかどりそうですね…… 私も来ていいですか」
「ああ。いいよ」
武は顔を上げて、愛をみた。
しばらく見つめていた……
「き…… 今日は髪を上げたんだな。とっても似合ってるぞ」
エマと直也は内心驚いた。
あの無骨者の武が、愛を褒めた。
教室の入口でみていたエマがいった。
「い…… 意外と女性に優しい男子感だすのね」
「武はカッコいいし、モテる男子だよ。エマとの相性がイマイチなだけでさ…… 」
「そうね。これってもしかして、理想的な美男美女カップルじゃない? 」
「まずいな。俺たちの影が薄くなりそうだ」
「ふふふ…… 時代は移り変わるものよ…… 私達はゴールインしたんだしね」
武の表情が、明るく活き活きとしてきた。
愛も、思い切ってアプローチしたことが、うまくいっているので、自然に笑顔がでるようになった。
「傍目からみて、文句なしのカップルよね…… 愛ちゃん、幸せそう…… 」
「エマ。まだちょっと早いぞ…… 超えなくてはいけない壁が目の前にある」
「えっ。なあに? 」
「どちらが、どのタイミングで告白するかだ」
「むむむ。そうね。武からは難しいかもしれないわね」
「そうだ。愛ちゃんを、もうひと押し勇気づける必要がありそうだ…… 」
「どうしたらいいかな。私、ソワソワしてきちゃった…… 」
「ちょっと考えておこう」
それから、武と愛がときどき目を合わせて笑うようになった。
帰りがけに、予定通り愛が薄化粧をして予備校へ向かった。
「ここでのポジション取りが大事になる。愛ちゃんは俺たちと離れて、武と中間の位置に座るんだ」
と事前に指示しておいた。
直也たちと一緒だと、話しかけにくいかもしれないし、視線を送るとすぐに気付かれると思ってみないかもしれない。
そこを考えた上での作戦である。
この「孤独少女作戦」は功を奏した。
武は愛が気になりだしたようで、何度も視線を送っているところを確認した。
「ふふふ…… もう一息ですぜ。ダンナ…… 」
「よし。武はメロメロになりつつある。あとは自然に告白するだけだ。愛ちゃんを焚きつけて、炎の情熱をもってすれば…… 当然炎の化身、エマの役目になる! 」
「そうね。もう小細工はいらないわね」
それからというもの、武と愛の距離は縮まっていった。
そして、週末に2人で魔棲斗選手のラストマッチをメインにした、イベントをみてくると、
「お姉ちゃん。ナオヤさん。応援ありがとうございました」
「うんうん。それで…… 」
「愛ちゃん。顔がにやけてる…… 」
「今度、エデンに行って報告してきます。プロポーズされちゃいました」
「ええっ。武から? 」
「おお。答えは!? 」
「エデンで言うことにしました」
「即答しなかったんだ…… 」
「その心は? 」
「お姉ちゃんとナオヤさんがしたみたいに、皆さんの前で誓いたいの! あれ、めちゃめちゃ良かったです…… 」
「ふむ。俺たちは、伝説を作ってしまっていたのか…… 」
「武さんに『皆さんが泣くセリフを考えて』って言ってあります」
「おおお。今の武にならできるかもしれない…… 」
「また伝説ができるのね」
高校に近づくと、生徒が増えてくる。
自転車通学の生徒。歩きの生徒。電車を利用する生徒は最寄りの駅から歩いてくる。
電車は一度に大勢降りてくるので、電車組は徒党を組んで道を占領している。
「道に広がって歩くから、近所から苦情が来るんだよね…… 」
駅から学校までの道の角に、ときどき先生方が立っている。
たまたま谷先生が立っていた。
「おはよう。中山兄妹はいつみても、心が和むねぇ」
「先生。おはようございます。心が和むとおっしゃいましたが、どんな感じに見えますか? 」
「うん。まるで夫婦だ! 」
「ぶはっ! 先生ぇ まさかそんな風にいわれるとは…… 」
「なんてね! イメージだよイメージ。今日も元気に頑張ろう」
「はい…… 」
「おっ。その子がいとこの転校生かな」
「そうです。中山愛です。よろしくお願いします」
「直也君。3人目だけど、任せていいよね」
「はいっ」
その方が都合がいい。
何とか武の近くに、愛をくっつける手だてを考えていたところだ。
「ふう…… 緊張してきました…… 」
「愛ちゃん。リラックスして! 恋は元気主義だよ。ほら。笑って」
「うん。わかった。頑張るよ、お姉ちゃん」
校門に近づくと、愛に視線が集まってきた。
「おお。見ろ!中山直也がハーレムを作っている! 」
「凄い! 美の女神のようだ」
「かわいい」
「美人ね」
口々に賞賛の言葉をいう。
「じゃあ。職員室に案内してくるわ」
エマが愛を連れていった。
教室に入ると、武が黙々と勉強していた。
直也も単語集を取り出して、眺めた。
キーン、コーン、カーン、コーン……
甲高いチャイムの音とともに、谷先生が入ってきた。
「きりーつ。礼! 着席」
「えぇ。今日は転校生を紹介します」
「おおお。またかぁ」
「あっ。凄いかわいい」
愛が教室に入ってきた。
「中山愛と申します。中山直也、エマのいとこです。よろしくお願いします…… 」
直也は武の表情をみていた。
まったく動揺した様子はない。
「では。今度は中山直也の後ろでいいな」
ついに、3方向を囲まれた。
直也も神の一族になったのだから、武も親類である。
これだけ近しい人たちに囲まれた高校生活は珍しいだろう。
武に何かいおうかと思ったが、失敗してはいけないので黙っていた。
今日は授業中に武のネガティブテレパシーもなく、エマも黙っている。
不気味なくらい静まり返って、テレパシーが飛んでこなかった。
休み時間には、武も愛も、黙々と勉強している。
愛がどんな気持ちでいるのかは、想像するしかなった。
沈黙に耐えられなくなってきて、エマを廊下に連れ出した。
「どう思う? あの2人…… 」
人目があるので、テレパシーで話す。
「…… そうね…… 今はそっとしておいた方がいいかも…… 」
「武も、何か思うところがあるんだろう…… いつもみたいにエマにも俺にも絡んでこないし…・ 」
「この無反応が物語っているのかもしれないね…… 」
「というと……? 」
「武も、愛ちゃんを気にしているってこと…… 」
「何とか2人っきりにする方法はないか…… 」
「そういえば、武は武道とか格闘技に興味があるんじゃないかしら…… 」
「戦いの神だから、可能性あるね…… 愛ちゃんは? 」
「実は、ああみえて格闘ファンなのよ…… しかも、かなりディープみたい…… 」
「へえ…… よし! 突破口がみえたかもしれない! 」
次の休み時間に、武に話を振ってみた。
「なあ。武…… 桜葉篤志って知ってる? 」
「んあ? なんだ。急に。愚問だな。桜葉伝説を知らないわけがなかろう…… 」
言葉はぶっきらぼうだが、思わず笑顔がこぼれた。
「もしかして、動画見てたりする? 」
「もちろんだ。グレイシー柔術との死闘は素晴らしいぞ。相手の動きを予測して、見事に関節を取ってフォールするのだ…… まさしく、稀代の格闘の申し子だよ」
「へえ。実はさ。俺、最近格闘技に興味が出てきたんだ。お勧めのベストバウトがあったら教えてくれ」
「そうか。とりあえず今言った桜葉篤志とグレイシ―一族の試合は見ておくべきだ。この知識がなければ総合格闘技の解説で何を言っているのかわからないだろう…… 立ち技系も押さえておくべきだ。中軽量級の選手の試合がいい。1990年代は黄金期だった。どの試合も素晴らしい。毎年日本人は、戦いに感動しながら年越しをしたのだ…… 」
「なあ。今夜ちょっとだけ、うちの大画面で見てみないか? 武の解説を聞きながら見てみたいんだ」
「ああ。いいとも。うちのテレビは小さくてな…… ご両親が迷惑でなければ」
「多分平気だと思うけど、電話で聞いておくよ。今夜が楽しみだな」
「はは。ナオヤも格闘技が好きだなんて知らなかったぞ。受験勉強の息抜きにはちょうどいい。いろいろ教えよう」
「やった! 」
こんなに食いつきがいいとは。
内心ガッツポーズを取っていた。
この話題に愛ちゃんも乗せて、うまく2人の距離を縮められれば成功だ。
エマもにっこり微笑んだ。
「ねえ。愛ちゃんも一緒に見よう。さっきの…… 桜葉篤志って知ってる? 」
「うん。世界中に知れ渡ってる伝説の格闘家だよ。私、大好きなの」
「ねえねえ。愛ちゃんも大好きだってさ! 」
「おお。そりゃあいい。4人でみよう! 」
「あ、ああ。そうだな」
武も愛の方をみた。
少し表情が柔らかくなったような気がした。
夜、中山家に武もやってきた。
「こんばんは。夜分恐れ入ります。おじゃまします」
「いらっしゃい。今日は賑やかね」
母が出迎えた。
父も起きて、リビングにいた。
「それじゃあ。私は失礼するよ」
「夜遅いので、すぐに失礼します。すみません」
「せっかくだから、武君も夕飯を食べて行ってちょうだい。見ながらどうぞ」
「ありがとうございます」
武は相変わらず礼儀正しい。
テーブルに夕飯を並べると、直也がリモコンを取り出した。
「では早速。『桜葉篤志』」
とリモコンに向かっていうと、音声認識で検索された。
「ああ。これがいいかな『ハイソ・グレイシー×桜葉篤志』」
すると、画面にリングが映し出された。
照明を見上げるようにリングサイドのアングルから、伝説の格闘家、桜葉篤志が映し出された。
会場の歓声がすごい。
「ねえ。ナオヤ。私、こういうの初めて見るんだけど、水着みたいな服で、あんなに露出した女の子がなんでリングを歩いてるの? アナウンサーの隣にいるアイドルっぽい女の子も胸元全開だし…… 」
「ん? ううぅん。 なぜって言われると…… 視聴率を稼ぐためじゃないかな…… 何秒かに一度女の子が映るようにしてるって、何かに書いてあった気がする」
「だからってさ。ちょっと下品じゃないかしら…… 」
「まあね。マスコミ業界は数字出すことが最優先でさ…… そんなもんだよ」
「武と愛は、画面に釘付けになっている。目つきが真剣だ」
「ハイソは、グレイシー一族の中でもテクニシャンで、200戦無敗という戦績を残している。ビクソンと並ぶ強敵だ。桜葉はこの試合のために秘策をいくつも用意していたんだ」
低い声で武が説明してくれた。画面からも同様な解説が聞こえるが、武はより具体的に話してくれる。
「桜葉さん。カッコいいですぅ…… 」
愛が呟いた。
直也は、正直なところ冴えないおじさん、と心の中で思っていた。
見た目はそんな感じである。
スーツを来てそこら辺を歩いていたら、うだつが上がらない無精ひげを生やしたサラリーマンに見えそうだ。
試合は膠着状態が続いた。
その間も武は解説を続ける。
よほどのマニアらしく、選手の私生活や趣味まで知り尽くしている。
「武はすごいね。どこでそんな情報を…… 」
「ネットで調べればすぐにわかるぞ」
「ごめん。武。今更だけど、グレイシー柔術ってどんな格闘技なの? 」
「グレイシ―柔術とは、日本発祥の柔術をある日本人がブラジルに伝えたことが元で広がったのだ。だからブラジリアン柔術とも呼ばれている。ブラジルには、様々な格闘技があるが、グレーC一族が学んだ技は、体格が優れた相手を打ち負かす驚異の技だと評判になった。グレイシー柔術の道場はブラジルに根付き、その強さが総合格闘技や、何でもありという意味のヴァーリ…トゥ―ドで証明されて、日本でも柔術ブームが起こった。」
「柔道とは違うのか? 」
「むう。そこからか。柔道は明治時代に、危険性が少ない投げ技を中心に再編成した武道だ。柔術には相手を殴る当て身や関節技など、危険な技もある。安全性を高めた柔道が世界中に広がり、オリンピック競技になったのだ。」
「なぜ日本の武道である柔術の人気が出たんだろう」
「技を習得するための練習方法が優れていると思うぞ。体格には恵まれないが、勤勉な日本人の国民性が色濃く感じられる。例えば基本を何千回も繰り返して、技を体に覚え込ませるところや、毎日の稽古をルーティーンにして、誰でもある程度の力を身に着けられるようにしたところが優れた点だ」
「なるほど。武は格闘技の評論家だな」
「特に日本の武道は、調べると面白いぞ」
食事終えたエマが立ち上がった。
「さきにお風呂いただくわね。ごゆっくり」
直也に目くばせをした。
「ああぁ。そうそう。ちょっと父さんに頼まれたことがあったんだった。ちょっと失礼」
直也は2階に上っていった。
後には、武と愛が残された。
「あ。あのう。武さん」
「ん? 」
「総合と立ち技系と、プロレスでは、何が好きですか? 」
愛はやっとの思いで聞いた。
直也とエマが一生懸命愛のためにこのチャンスを作ってくれたことに感謝していた。
何としてもその気持ちに報いたい、という思いが強い。
「そうだな。細菌は立ち技系に興味があるかな」
「私、魔棲斗選手が好きなんですけど、引退してから復帰して、ラストマッチが企画されてますよね」
「ああ。俺も気になってたんだ。亡くなったキット選手も凄かったが、この2人の活躍が立ち技系格闘技ブームを起こしたと言っていい」
「あの…… チケット取ったんですけど、一緒に行きませんか? 」
「え? ホント? 行きたい。一緒に行こう! 」
武がかなりのハイテンションになった。
大当たりだ。
「やった! 私も嬉しいです! 」
愛も飛び上がって喜んだ。
「連絡とりたいのでSNSも交換しましょう」
「ああ。いいよ」
これでいつでも連絡できる。
やはり学校で顔を合わせるが、周りの目がある。
SNSであればプライベートなこともやり取りできる。
愛は天にも昇る気持ちだった。
武も普段見せたことがないような、明るい顔をしてみせた。
「うん。それじゃあ。夜遅いしそろそろ失礼するよ。皆さんによろしく! 」
「あ…… また一緒に動画みましょう」
「ああ。今日は楽しかった」
武は愛を眩しそうに見つめてから、帰っていった。
「やったあ! 」
飛び上がって喜ぶと、エマが風呂場から出てきた。
「ふふふ…… やったじゃないのさ…… コノコノォ! 」
直也も降りてきた。
「これは脈アリだぞ。武の反応は明らかに美の女神の魅力の虜になっていた! これで我らのミッションは成功したな」
「あとは。愛ちゃん。楽しんでいれば大丈夫よ」
「うわあ。武さんと2人でお出かけなんて、夢みたい…… 」
「ねえ。思ったんだけど、武って結構派手目の女が好きなんじゃないかしら。ちょっとだけイメチェンしてみようよ」
「格闘技好きだからな。勝負に出てみるか」
美の女神降臨
翌朝、いつものように4時に起きると、エマがやってきた。
「ねえ。ポニーテールはどうかな」
「ん? ああ。攻めてる感じするな。活発な女を演出するべきだ。うん」
「学校は校則があるから、お化粧できないけど、帰りに口紅とチークだけでもつけて見せつけてやるのよ! 」
「おお。美の女神様降臨だな! 」
「なんか、こっちまでテンション上がってくるね」
学校に着くと、愛が髪を上げていることが目を引くようで、周りの視線を集めた。
エマも目を引くが、愛は煌めくような、みずみずしい魅力のオーラを放っていた。
「これが美の女神の本気か…… 」
直也は思わず呟いた。
「そうね。愛ちゃんが本気を出したら、振り向かない男はいないはずよ」
教室には、武がすでに来ていて勉強していた。
愛が近づいていくと、聞いた。
「武さん。おはようございます。いつも何時に来てるんですか? 」
「ああ。俺はいつも6時半くらいかな…… 」
「えっ! そんなに早く!? 勉強がはかどりそうですね…… 私も来ていいですか」
「ああ。いいよ」
武は顔を上げて、愛をみた。
しばらく見つめていた……
「き…… 今日は髪を上げたんだな。とっても似合ってるぞ」
エマと直也は内心驚いた。
あの無骨者の武が、愛を褒めた。
教室の入口でみていたエマがいった。
「い…… 意外と女性に優しい男子感だすのね」
「武はカッコいいし、モテる男子だよ。エマとの相性がイマイチなだけでさ…… 」
「そうね。これってもしかして、理想的な美男美女カップルじゃない? 」
「まずいな。俺たちの影が薄くなりそうだ」
「ふふふ…… 時代は移り変わるものよ…… 私達はゴールインしたんだしね」
武の表情が、明るく活き活きとしてきた。
愛も、思い切ってアプローチしたことが、うまくいっているので、自然に笑顔がでるようになった。
「傍目からみて、文句なしのカップルよね…… 愛ちゃん、幸せそう…… 」
「エマ。まだちょっと早いぞ…… 超えなくてはいけない壁が目の前にある」
「えっ。なあに? 」
「どちらが、どのタイミングで告白するかだ」
「むむむ。そうね。武からは難しいかもしれないわね」
「そうだ。愛ちゃんを、もうひと押し勇気づける必要がありそうだ…… 」
「どうしたらいいかな。私、ソワソワしてきちゃった…… 」
「ちょっと考えておこう」
それから、武と愛がときどき目を合わせて笑うようになった。
帰りがけに、予定通り愛が薄化粧をして予備校へ向かった。
「ここでのポジション取りが大事になる。愛ちゃんは俺たちと離れて、武と中間の位置に座るんだ」
と事前に指示しておいた。
直也たちと一緒だと、話しかけにくいかもしれないし、視線を送るとすぐに気付かれると思ってみないかもしれない。
そこを考えた上での作戦である。
この「孤独少女作戦」は功を奏した。
武は愛が気になりだしたようで、何度も視線を送っているところを確認した。
「ふふふ…… もう一息ですぜ。ダンナ…… 」
「よし。武はメロメロになりつつある。あとは自然に告白するだけだ。愛ちゃんを焚きつけて、炎の情熱をもってすれば…… 当然炎の化身、エマの役目になる! 」
「そうね。もう小細工はいらないわね」
それからというもの、武と愛の距離は縮まっていった。
そして、週末に2人で魔棲斗選手のラストマッチをメインにした、イベントをみてくると、
「お姉ちゃん。ナオヤさん。応援ありがとうございました」
「うんうん。それで…… 」
「愛ちゃん。顔がにやけてる…… 」
「今度、エデンに行って報告してきます。プロポーズされちゃいました」
「ええっ。武から? 」
「おお。答えは!? 」
「エデンで言うことにしました」
「即答しなかったんだ…… 」
「その心は? 」
「お姉ちゃんとナオヤさんがしたみたいに、皆さんの前で誓いたいの! あれ、めちゃめちゃ良かったです…… 」
「ふむ。俺たちは、伝説を作ってしまっていたのか…… 」
「武さんに『皆さんが泣くセリフを考えて』って言ってあります」
「おおお。今の武にならできるかもしれない…… 」
「また伝説ができるのね」