転校生がやってきた

 キーン、コーン、カーン、コーン……
 6時間目が終わった。
 担任の海老原先生が入ってきた。40代の男の先生である。
 髪の毛は真ん中わけで、知的な印象を与える。国語の先生だ。
「明日の朝、転校生を紹介します」
 と言ったのにはビックリした。
「さっき手続きをするといったばかりなのに…… 」
 掃除が始まる。
 教室を箒ではいて、机を運んでいると、廊下が騒がしくなってきた。
「おい! だれだ。あの超絶美人は? 」
「めちゃめちゃかわいい」
 男子も女子も、口々に言っている。
 騒ぎはだんだん近づいてきた。まさか。
「じゃあん。来ちゃった。ナオヤ」
 海老原先生が近づいてきた。
「この子が転校生か。中山の双子の妹なんだよな。二卵性双生児か」
「そ、そうです。二卵性双生児なんです。えへへ…… 」
「騒ぎが起こってしまったから、掃除は終わりにして帰りなさい」
「高校って、楽しいね」
「すみません。それでは、さようなら」


輝く転校生

「今日から2年A組で一緒に勉強する、中山エマさんです」
「おおお」
 担任にエマが紹介されると、どよめきが起こった。
「やったあ! 」
「エマちゃあん」
 女子からも熱烈な歓迎を受けた。
「中山エマです。趣味は料理です。お友達がたくさんできたらいいなと思ってます。よろしくお願いします」
「なるなるうぅ」
「ぼく、お友達」
「ここにもいるよ」
 すでにその魅力でクラスの中心に入ってきている。
 昨日学校にきて、一目見てから学校中の噂になっていた。
 SNSには写真や動画もアップされていて、ファンクラブができつつある。
 専用のフォトブックを作り始める者もいた。
 もちろん本人の許可を得ていない。
 直也は兄として、しっかり目を光らせることにした。
 またこういうときには、妬みをもつ人がでてくるものだ。
 強い光が当たるところには、濃い影ができる。
 コンプレックスを抱く者もいるはずだ。
 気を引き締めるべきだろう。
「ちょっと、直也も出てきてくれ」
「はい」
 直也はエマの隣に立った。
「えっと。エマは僕の双子の妹です。事情があって、今日から転校してきました。この場を借りていいたいことがあるのですが、写真や動画を撮るときは一言お願いします」
 兄らしくいえた。
 直也は自分に満足した。
「そうだな。写真、動画はトラブルのもとだ。軽はずみにアップしたりしないように。最近ネットトラブルが増えているから注意しなさい」
「はあい」
 皆スマホを持っているし、学校では自分の端末を登録してWi-Fiを使い放題にできるBYODが始まっている。
 授業でも自分の端末で提出書類を書いたり、動画で予習復習することもある。
 密かに普通教科は民間企業が制作した動画の方が質が良いといわれている。
 学校の先生も大変な時代になったものだ。
「席は当分、学校に慣れるまで直也の隣にしよう」
「はい。ありがとうございます」
 すっかりエマは注目の的になった。
 1時間目は数学である。いきなり数Ⅱだが、大丈夫だろうか。
「この問題が解ける人」
 かなりの難問がスライドに映し出された。
 手元の端末に手書きすると映し出される仕組みになっている。
「はい」
 エマが名乗りをあげた。
 そしてすらすらと答えを書いた。
 ものすごいスピードで、字もきれいだ。
「はい。正解です。転校したばかりだけど、心配なさそうだね」
 他の授業でもこんな調子で、エマはどの教科も完璧にこなした。
 体育の時間は、マット運動である。
 2クラス合同で、男女別々のところで授業が行われる。
 マットの上で前転、開脚前転、倒立前転を連続でやった。
 まるで重力に逆らって体が動くかのようにきれいな動きで、これも完璧にやりとげた。
「すごい! 」
「さすがエマちゃん」
「神だ」
 パチパチパチ……
 拍手喝采を浴びているのが聞こえた。
 お昼のお弁当は、エマが作ってくれた。
 冷凍食品は使わず、きちんとだしをとった本格的な料理だった。
「エマ。めちゃくちゃうまいよ」
「いいなあ。直也。俺にもこんな妹がいたらなあ」
 横溝がやってきて、一緒に弁当を広げた。
「見てくれよ。うちは冷凍食品ばっかりだぜ」
「エマちゃん。何でもできて凄いね。あこがれるわあ」
 篠田も一緒に食べ始めた。
 いつもは横溝や男連中としか話さないのだが、エマがいるので女子も話しかけてくるようになった。
「部活はどうするの? 」
 篠田がエマに聞いた。
「部活……? 」
「ええっとお。はは。俺は帰宅部だけど、バレー部とかテニス部とか、写真部とか、美術部とか、放課後になにか運動部か文化部に入るのかなって」
 ときどきエアポケットに入ったように、知らない単語があると会話が止まってしまう。
 やはりしばらくは、直也がついていないと危ない。
 ムラマサさんが、正体は明かさないように、と釘を刺していた。
 運動部に入ると、できすぎて目立ってしまうだろう。
 文化部なら良いと思った。
「私は、ナオヤと同じがいい」
「じゃあ、家に帰る帰宅部だな」
 内心ホッとした。
 まてよ。スポーツも勉強も万能だとしたら、周りが放って置かないのではないだろうか。
「中山エマさんって…… 」
「私です」
「私はバレー部部長の太田です。キミ、運動神経が凄いって評判だけど、よかったらバレーボールやってみない? 」
「あっ。ちょっとお。抜け駆けはだめよ。バスケ部はどう? 私はバスケ部部長の高山よ」
 バスケもバレーもチームプレイだから、優秀な選手に入ってもらいたいのだろう。
 やはり、こんな勧誘が今後もあるのかもしれない。
「ちょっと、見学していこうか」
「うん」
「じゃあ、いま体育館でバレー部とバスケ部が練習するからぜひ見にきてくれるかな」
 さっそく、体育館へ向かった。
 バスケ部もバレー部も、1チームやっとできるくらいの人数だった。
 足腰を鍛える基礎トレーニングに始まり、ボールを使った練習に移る。
 目まぐるしく部員が動き、迫力があった。
 考えてみると、エマは基礎練習などしなくてもいいのではないだろうか。
 元々、普通ではないフィジカルをもっているのだ。
「運動部は、どこもこんな感じで、基礎体力をつけるための練習と、技術的な練習を積み重ねるんだ」
「ほおお。おもしろいね。地球は重力が強いから、負けない足腰を作るんだね」
「ちょっ、外で『地球は』とかいっちゃいけないよ」
 あまり自分がやるイメージはないようだ。
 一応マネージャーさんと、近くにいた部員に挨拶をして立ち去った。
「ありがとうございました。これで失礼します」
 放課後の体育館は熱気があふれていて、いるだけでやる気にさせる。
 だが、エマは生まれつき何でもできるから、向上心とかスポーツ根性モノのストーリーは想像できないだろう。
 こういうキャラはチームプレイには向かない。
 やるなら個人競技だろう。
 帰り道では、部活の話題になった。
「エマは、やりたいスポーツある? 」
「私は、スポーツには向かないのかもしれないね」
 珍しく沈んだトーンでいった。
 俺の考えを察しているのだろう。
 スポーツをする意味から考えなくてはならなくなった。
「人間は、自分の体を鍛えて努力することに価値を見出すものなんだ」
「へえ。そうなんだね。勉強と一緒だね」
「始めからできる人は、努力しなくてもいい。でも、そういう人がいると頑張っている人の邪魔をすることになるかもしれない」
「うん。わかるよ。私は別のことをやった方がよさそうだね」
「エマは何も悪くないよ。ごめんね。こんな言い方をして」
「スポーツをするのは、自分でもあまり気が進まないよ。きっと私に合った何かが学校にあると思うよ」
 あっけらかんとしていった。
「エマは勉強も運動も抜群にできて、皆の人気者だよ」
 家に帰ると、母に言った。
「あら。そうなの。母さんも鼻が高いわ」
「それで、バレー部とバスケ部の勧誘がきたんだけどね」
「運動神経がいいなら、やってみたら」
「うちは部活が弱いから、引っ張りだこだろうけど、努力しなくてもできるエマが入ってプラスになるかな」
「なるほどね。エマちゃんはどう思うの」
「私は、ナオヤのいう通りだと思う」
「そう。じゃ、文化部はどうなの」
「ナオヤ。明日、文化部も見てこようよ」
「ああ。そうだね」
「ところで、父さんと相談したのだけど、私は主婦として家事に専念することにしたわ」
「えっ。そうなの。お金には困ってないし。いいと思うよ」
 エマの分の家事が増えるだろうし、そうすべきだろうと思った。

高校の部活動

 翌日の放課後。
「美術部の顧問に見学してもいいか話してみよう」
「うん」
 直也は、美術準備室の沢井先生を訪ねていった。
 準備室のドアには、植物のスケッチがたくさん貼られていた。
 沢井先生の作品である。
 スケッチの隙間をノックした。
 コンコン
「はいっ。どうぞ」
「2年A組の中山直也と、中山エマです。失礼します」
「おお。キミが噂の転校生だね。文武両道で才色兼備だと評判だよ」
「私たちに、美術部の見学をさせてください」
「そうか。美術に興味があるんだね。うちはのんびりしてるから、いつでも来たらいいよ」
 美術室に案内してくださった。
「いつも自分が描きたいものを描き、作りたいものを作っている感じです。せっかくだから、何か描いてみるかい」
 2人は鉛筆で、ちょうどそこにあったリンゴを描いてみた。
 エマはしばらく直也がすることを眺めていた。
「スケッチはしたことある? 」
「初めて描くよ」
 そうだろうな、と思った。
 こんなことが今後も続くのであれば、担任の海老原先生には「記憶喪失」だといっておいた方がいいかもしれない。
「鉛筆でリンゴを写し取ればいいのね。よおし」
 エマが描き始めた。
 目つきが鋭くなり、真剣そのものだった。
 やはりうまい。
 写真のように正確無比に写し取った。
「エマはすごいね」
 そこに数人の女子がやってきた。
「あっ。あの人が噂のエマさんね」
「美術部に入ったのかなぁ」
 こんな会話が聞こえてきた。
 2人の女子生徒が近づいてきた。
「エマさん。私はB組の浜田。こっちが外山よ」
「私はA組の中山エマです。よろしくね」
 この2人は見覚えがあった。
 ちょっと感じ悪い、と前から思っていた。
「あなた。転校してくる前はどこにいたの? 」
 ドキッとした。
 今まで誰にも聞かれなかったことを、直球で聞いてきた。
「…… 」
 エマは、どういえばいいのか答えを用意していなかった。
 事前に打ち合わせるべきだった。
「あれっ。どうしたの? 軽い気持ちで聞いたんだけど」
「何かわけがあるの? 」
 外山がさらに追及してくる。
 下手なことを答えるとSNSで拡散されるかもしれない。
 エマは注目の的だ。
 イメージが崩れるのも、あっという間だろう。
「このお兄さんとは、どんな関係なの? 急に双子の妹ですっていわれても。こんなこと普通じゃないわ」
 ここは下手に答えない方がいいと思った。
 直也はエマに目くばせをした。
「おい。初対面でいきなり突っ込んだこと聞くのは失礼だぞ。親しくもない人に身の上話をするほど馬鹿じゃないぞ」
「あら。ごめんなさいね。私たちも、エマさんみたいにデキる女になりたいわ」
「美人だし。才色兼備で何でもできるなんて。あこがれの的だわ」
 浜田も外山も、くすくす笑っている。
 やはり感じ悪い。SNSで何か悪いことをいっているんじゃないだろうか。
「あらあ。絵も上手なのね」
「でも写真みたいで味気ないわ」
「じゃ。お邪魔してごめんなさい」
 というと立ち去った。
 美術部員ではなかったようだ。
 安心した。
「エマ? 」
 エマが、俯いているのに気付いた。
「味気ない…… ナオヤ。味気ないってどういう意味かな」
「…… 」
 直也は答えに詰まった。
「私、何でもできてしまうから、味気ないの。外山さんがいったように、自分でも思うのよ」
 薄々は感じていた。
 神だから何でもできて当然だ。
 でも、人間は無能だから努力する。
 努力して成功を手に入れると達成感を味わう。
 それがエマにはないのである。
「なんだか、空しいな…… 」
「エマ。気にすることないさ」
 ハッと我に返ったように、エマが笑顔を取り戻した。
「絵を描くのは楽しいよ」
「そうか」
 今日はこれくらいにして、帰宅した。
 ムラマサが、リビングで母と話していた。
「お帰りなさいませ」
 立ち上がると、丁寧にお辞儀をした。
 さっきの、美術室での出来事を話してみた。
「そうですか…… エマ様。神は孤独なものです。全能であるがゆえに、人間が味わう喜びを失ってしまうことも宿命なのです」


神のアイデンティティ

「おはよう。エマ」
「ナオヤ。私、美術部に入部したいの。一緒に入部しようよ」
 リビングで朝食を食べながら、エマが言った。
 昨日の一件で、エマのコンプレックスを知った。
 きっと絵を描くことで、自分の個性を知ることができるかもしれないと思ったのだろう。
「ああ。いいよ」
 簡潔にいった。
 高校へ向かうと、相変わらずエマは人目を引いた。
「エマちゃんかわいい」
 などという声も聞こえたが、妬みの視線も感じるようになった。

 放課後、美術部顧問の沢井先生を訪ねた。
「おお。そうか。入部するか。じゃあ、今日も描いていくかい」
「昨日は誰もこなかったようですが、活動日が決まっているのですか? 」
「放課後は毎日来ていいことになっているぞ。まあ。あまり固く考えずに各自の事情に合わせて制作したらいい。今日は美術部展に向けた制作の打ち合わせをするから全員くる。ちょうどいいから皆に紹介しよう」
「部員は何人いますか」
「一応5人いるよ」
「では、リンゴをもう一度描かせてください」
 とエマが言いだした。
 昨日浜田と外山に言われたことを気にして、納得がいくまで描いてみたいようだ。
「あっ。中山エマさんだよね」
 B組の松村がやってきた。
「すごい。近くで見るととっても可愛いわ」
「初めまして。中山エマです」
「勉強も運動も凄くできるって噂だよ」
「そんなことないよ」
 エマに関しては、こういう話題しかないようだ。
「俺たち、美術部に入部するのでよろしくね」
「そうなの。エマちゃんが入るなら、みんな気合が入るわ」
「んっ。あれはまさか、噂の中山エマか!? 」
 部長の田村だ。
「こんにちは」
「うわあ。凄い。石膏像みたいに整ってるなあ」
「そうでしょ。石膏デッサンの代わりにエマちゃんを描きましょうよ」
「それはいいな。よし」
「やっぱり噂は本当だたのか。あの中山エマが、こんな冴えない美術部に」
 2年の石川がきた。
「俺は石川洋二郎だ。浜田と外山がエマちゃんのことばっかり言うので、うちのクラスは噂で持ち切りだよ」
 2年の猪瀬と1年の吉岡もきた。
「こんちはあ」
「エマ先輩だあ。もしかして美術部に入ったんですか」
「今日から入部します。よろしくね」
「これで美術部も7人になった。後は1年生が入ってくれればいいのだけど」
「人気には波があるものよ」
 ガヤガヤと騒がしくなってきた。
 騒ぎを聞いて、沢井先生がやってきた。
「中山エマは、えらい人気者だなあ。皆聞いてください。中山直也と中山エマが今日から美術部員に加わりました。2人とも、わからないことは何でも聞いてください」
「中山直也です。2年A組です。よろしくお願いします」
「中山エマです。同じくです」
「よし。早速だが、美術部展にデッサン1枚と他に1点水彩画や油絵などを出品してもらいたい」
「わかりました。早速ですが、エマさんにモデルになってもらってデッサンしたいのですが」
「中山さんはいいかな」
「はい。絵のモデルですね」
 20分ポーズして10分休み、もう一度20分ポーズすることになった。
 背もたれがある椅子を一脚持って来て、エマがそれに座った。
 6人がエマを囲んで描くことになった。
「せっかくだから、混ぜてもらおうかな」
 沢井先生もスケッチブックを持って入ってきた。
 椅子に座ったエマに、ポーズの注文がつく。
 目線の方向やら、足の位置やら。
「ちょっと体を捻ってもらえるかな」
 田村がいうと。
「おいおい。皆、モデルは結構大変なんだぞ。もっと楽なポーズにしてやりなさい」
 沢井先生がたしなめた。
 やっぱりエマは絵になる。美人だし、体が引き締まっていて頭部も体も完璧な比率に見えた。
「よろしくお願いします」
 挨拶をしてタイマーをセットすると、鉛筆が紙を擦る音だけが響くようになった。
 2ポーズがあっという間に終わってしまった。
「凄いわ。やっぱりエマちゃんは美人だから、絵がうまくなったみたいに見えるよ」
 松村が満面の笑みでエマにスケッチを見せた。
「うわあ。上手だね。さすが美術部員」
 エマは他の部員の絵も見せてもらい、しきりに感心していた。
「エマちゃん。ありがとう。今度は私がモデルになるから描いてみて」
 猪瀬が申し出た。
「あっ。私も描いて欲しいです」
 吉岡も言いだした。
 引き続き2人を20分ずつ描くことになった。
 直也は描きながら、ふとエマの顔を見た。
「物凄い集中力で描いているんだな」
 エマの顔を見ると真剣そのもので、息をのむほどだった。
「エマちゃんの絵を見せて」
 猪瀬に見せると
「凄いね。まるで写真みたいだわ」
「どれどれ」
「うわぁ」
「上手ね」
 ため息交じりに、皆褒めていた。
「エマさん」
 松村が深刻そうに呼んだので、視線が集まった。
「私の絵、味気ないって思いませんか」
 当の本人は、俯いて暗い顔をしていた。
 少しの間、部屋の空気が重たくなった。
「昨日、浜田と外山がエマの絵を見てそういったんです。エマはそれをずっと気にしているみたいで…… 」
 田村がエマに近づいてきた。
「エマさん。絵の表現は人それぞれでいいんです。写真のように正確に描写できるということは、客観的に対象を捉えている証拠だよ。それを味気ないと感じる人がいたとしても、それはそう捉えた人の個性がそうさせるのだと思う。現にいま部員のみんなが上手さに驚いていることも、部員の皆の個性だよ。表現する人がいちいち落ち込む必要はないと思う。自分が思ったように描くことが大事なんじゃないかな」
「そうだよ。エマの絵は対象を素直に捉えていると思うよ。観察力が抜群だから皆驚いているのだよ」
 直也は、田村に諭してもらえて嬉しかった。
 自分より美術を良く知っている人が言うと説得力があった。
「そうだ。沢井先生は何ていうかな」
 準備室に入ってエマの絵を見ていただいた。
「そうか。そうか。中山はデッサン力があるなあ。水彩画や油絵を描いたら、どんなにリアリティを表現できるか。楽しみだよ」
 素直に喜んでくださった。
「やっぱり浜田と外山が、悪意を持っていっただけなんじゃいかな。だれも、味気ないなんて思わないよ」
 直也は美術部に入って良かったと思った。
 エマのコンプレックスにどう向き合えばいいのかわからなかったが、何も問題はない、と皆が受け入れてくれる。
「先生。ありがとうございます。私、自分の絵が写真みたいで味気ないと思っていました」
 エマも落ち着きを取り戻していた。


神と体育祭

 もうすぐ体育祭なので、LHRで出場する種目が話し合われた。
「エマちゃんは速いから100m走と100mリレーのアンカーで決まりだね」
 体育委員の長野が教壇に立って、種目を黒板に書き写してから言った。
「今年はいい勝負できるかもしれないよ」
 他のクラスメイトもエマに期待をかけている。
「えへへ。こういうのもいいもんだね。ナオヤは何に出るの」
「俺は、何でもいいよ」
 運動が苦手な生徒は、障害物競走とか、グルグル回るリレーというその場で回って目を回してから走る競技に殺到した。
 3人4脚リレーと、ムカデリレーも人気だった。
 足が速い生徒以外は団体競技をやりたがるものである。
「結局俺は200m走と100mリレーか」
「ナオヤも結構速いから、自信もって走ろうよ」
「じゃあ、100mリレーは中山直也君が1走で、エマちゃんがアンカーってのはどうかな」
「おお。中山チームに賛成」
「よし。チーム中山」
 なんとなくノリでナオヤが1走になってしまった。
 本来男子がアンカーを走るものである。
 だがビジュアル的にエマが颯爽とアンカーを走る絵を誰もがイメージして決めたようだ。
「まあ。体育祭もお楽しみの要素があるから、タイムだけで決めなくてもいいか」
 直也はそういって自分を納得させた。

 家に帰ると、ムラマサに体育祭の選手決めがあったことを話した。
「なるほど。皆で思い切り走って、得点を争う。こういう行事をエマ様は楽しみにしておられましたよね」
「うん。ハチマキしめて走ってみたかったの」
 だが、直也は心配していた。
 それをムラマサにいってみた。
「喜んでいるところ、水を指すようで申し訳ありませんが、もしエマが全力を出してしまうと、事件になるかもしれません」
「と、いいますと」
「例えば、世界記録を更新してしまった場合です。そこまでいかなくても、全国大会レベルのタイムを出せば、見る人が見ればわかるかもしれません。体育祭でタイムは測りませんが、陸上部の生徒と一緒に走ったり、男子と一緒に走ったりすればわかります」
「なるほど。直也さんはすっかり、お兄さんらしくなられましたね。安心してエマ様をお任せできます」
「だからエマ。リレーでは決して男子より速く走らないように気をつけるんだ。あと100m走でもあまり差をつけすぎないように」
「はい。わかりました。ナオヤのいう通りにします」
「直也さん。美術部はどうでしたか。昨日の様子が気になっていたのですが」
「美術部の人たちは、エマのデッサン力を認めてくれました。顧問の沢井先生は、水彩画や油絵を描くのを楽しみにしている、とおっしゃいました。昨日の件は、ある生徒の僻みからくる悪意ある言葉が原因だったと思いました」
「そうですか。出る杭は打たれる、といいますが、今後もエマ様に敵対する人がでてくるでしょう。これも社会性を身につけて成長するために必要な試練なのです」
「僕も同じように思います。自分と反りが合わない人は、どこにでもいますから」

 体育祭当日、ハチマキとゼッケンが配られた。
「わあい。これつけると、気分がでてくるね。きつめにしめて、気合い入れよっと」
「そうだね。俺も気合い入ってきた。エマ。昨日いったことは忘れないようにね」
「うん。楽しんでいこう」
 女子100m走では、エマがトップだった。
 不自然な部分もなく、安心した。
「よし。200m走だ。応援してくれ」
「フレー。 フレー。 ナオヤ」
 直也は途中で少し失速気味だったが、同じ走者のなかでは1位だった。
「やったね。ナオヤも1位だよ」
「うん。なんか今日は調子が良かった。エマ効果だな」
 そして最終種目の、100mリレーが始まった。
「ヨーイ! 」
 パン!!
 合図とともに直也は、頭が真っ白になった。
 無我の境地で腕と足をできるだけ速く、無駄なく回転させることだけを考えていた。
「よっし! 1位でバトンを渡したぞ」
 途中で2人に抜かれて3位に後退した。
 そしてアンカーのエマへバトンが渡る。
「いっくぞお! 」
 エマもテンションが最高潮に達していた。
 凄まじいダッシュで2人を抜き去ると、2位の選手と間を開き過ぎないようにペースを保ってゴールした。
「やったあ。うちのクラスが1位だ」
「エマちゃん凄い」
「神だ」
「A組の守護神」
「救世主」
 そして総合でもA組が優勝した。

「ああ。今日は楽しかったなあ」
「直也さん。こんなに生き生きしたエマ様は久しぶりに見ましたよ。ここにきて本当に良かったです」
「いえ。僕も、エマと一緒だと何でも上手くいくような気がしています。お礼をいいたいのはこっちですよ」