8月は文字通り、灼けるような暑さの日々だった。
 今月になってそれが落ち着いてくれたようで、みづほは正直ほっとしている。なにぶんあまりに暑すぎて、子供を連れて外出するのはためらわれたのだ。
 外遊びが好きな娘の凛は、たどたどしくも言葉を発するようになってからの癖で、出かけられない日はしきりにぐずった。かわいそうには思ったがどうしようもなく、ただただ、不機嫌が治まるまでなだめてやるしかなかった。
 今日は気温が最高でも30度を超えない予報で、なおかつ曇り空。ようやく凛を、お気に入りの公園へ連れて行ってやれる。
 「気をつけてね」
 「わかってる、行ってきます」
 凛をベビーカーに乗せ、母に後を頼んで出かける。いつものマザーズバッグに、ミルク1回分の用意とおやつ、着替えやタオルは入れてある。この1年で慣れた準備に抜かりはない。
 歩いて約10分、たどり着いた公園は人少なだった。みづほたち以外に来ているのは、年頃の近い親子が1組と、兄弟か友達らしき小学生男子の2人組。土曜日の午前中であるせいだろうか。
 凛の片言リクエストに応じて、まずはブランコに向かう。みづほも小さい頃はブランコが好きで飽きずに乗っていた、と今も母からよく言われている。15分ほど乗った後、中央にある砂場へ。持って来た「すなあそびセット」のスコップやバケツを使い、凛と一緒に砂の山を作っていく。
 大小の砂山が3つできたところで、公園に入ってくる新たな人物に気づく。みづほが顔を上げたのを確認してだろう、荷物を持っていない方の手を、顔の高さに上げて振った。
 「……今日は早いのね」
 「朝飯食ってすぐ出たから。あ、これお茶と子供用の水」
 と、尚隆は荷物の中からコンビニの袋を取り上げ、こちらに渡す。ありがとう、と受け取った。比較的和らいだとはいえまだ暑さは感じるから、飲めるものが多いと助かる。
 それにしても、いつもなら午後、昼食時を過ぎてから訪ねてくるのに、今日は早い。時計を見ると10時になったところだ。
 「話があったから。待たせてもらおうかと思ったんだけど、やっぱり早く顔が見たくて」
 「話?」
 「後でいいよ。お、砂だらけだなあ」
 手にも服にも、靴にまで砂粒をいっぱい付けた凛を見て、尚隆が感嘆したように言った。これ持ってて、と他の荷物、いつも持っている鞄や紙袋をみづほに預けてから、砂まみれの凛を抱き上げて水飲み場へと連れて行く。自分の服に砂が付くのもかまわず。
 二人の後ろを追いかけ、尚隆が凛の服の砂を払い、手を洗わせているのを見ながら、マザーズバッグからタオルを取り出した。洗った小さな手を拭き、顔に付いた砂を拭き取る。
 その後、低年齢用のすべり台と、地面を歩かせる練習に、尚隆は辛抱強く付き合った。いや、みづほが見る限りでは決してしぶしぶではなく、むしろ楽しそうな様子であった。
 凛も、相手の好意がわかるのか、尚隆の遊ばせ方が意外と上手だからなのか、きゃっきゃっと喜ぶ声を上げ、楽しげに遊んでいた。そうしてさらに30分ほどが過ぎ、休憩のために凛をベビーカーに乗せ、子供用のおやつを渡す。はしゃいで疲れたのか、ソフトせんべいを右手に持ったまま、凛はうとうとし始めた。
 その様を、可愛いなと思いながらみづほは見つめる。ふと尚隆を見ると、彼も同じように凛を見つめていた。たぶん、みづほと同じように口の端を上げ、優しいまなざしで。
 彼が、愛情深い人であることを、どうして気づかずにいられたのか──否、知っていたはずなのに忘れていたのか。
 ここ半年ほどの、自分や凛への接し方を考えれば、尚隆が子煩悩な父親であることは明らかだった。きっとこの先も、義務感からだけではなく、子供を可愛がってくれるだろう。
 今月、9月で凛は、1歳になった。これからはどんどん言葉を覚えて、物心も付いてくる。
 決断の時が近づいているのかもしれない。いや、おそらくもう、目の前まで来ているのだ。……だが、みづほから切り出すことは、今もはばかられる気分だった。そんな、格好をつけている段階ではもうないと、わかっているにもかかわらず。