尚隆を通した部屋は客間のひとつで、いつ誰が来ても良いようにと整えてある場所だった。たまたま今朝、よく使う部屋とともに掃除をしておいたので、タイミングが良かったと思う。使う人が退屈しないよう、コンパクトサイズのテレビとDVDレコーダーも設置してある。ついでにこの家は母親の仕事の都合もあって、Wi-Fi完備でもある。
 「スマホの充電器、ある?」
 「バッテリーなら持って来たけど」
 「端子なに、Cケーブル? じゃあ持ってくるから」
 「コート、ここでいいかな」
 「そっちのハンガー使って」
 そんな会話を交わしていると、約7ヶ月、話をするどころか顔も見ていなかったことが、嘘のように思えてくる。
 突然こんな展開になって、尚隆はさぞ戸惑っているとは思うが、みづほの方も正直、負けず劣らずの心境であった。どんな顔で対応すべきか判断がつかず、結果的にたぶん、かなり無愛想になっている気がする。しかし愛想良くするのもなんだか違う、というかわざとらしい気がして、できない。
 部屋の使い方をひととおり教えて、廊下へ出る。自分の部屋へ戻ってきてから、やっと大きく息を吐いた。
 ……まさか、こんなことになるなんて。
 同じ屋根の下、親子3人が初めてそろってしまった。しかも別々の部屋とはいえ、一晩を一緒に過ごすのである。
 「…………とりあえず、晩ごはんどうしようかな」
 材料は、ある。母が食べるはずだった分を回せばいい。彼の好みに合うかどうかはわからないけど、いい大人なんだから、もし好きでない物があっても我慢してもらおう。
 考えていたら凛が起きたので、母乳をあげミルクを足し、おんぶひもで背中におぶって、夕食の準備を始めた。


 部屋のテレビをニュース番組に合わせつつ、スマートフォンで仕事のメールが来ていないか、チェックする。届いていた問い合わせに返信を送ってから、この辺りの天気と電車の運行状況がどうなのかを調べていると、障子がそっと叩かれた。
 はい、と反射的に返事をして、姿を現したのは、当然だがみづほである。膝をついて、敷居を踏まないように入ってきて。次いで、廊下に置いていたお盆を持ち上げた。
 「ごはん、作ったから。ありあわせの物しかないけど」
 ちょっと目を見開いた尚隆が見たのは、テーブルに並べられる夕食の皿の数々。鮭の味噌漬けを焼いたものに、ししとうが添えられている。他には、鰹節のかかったほうれん草のおひたし。ひじきとにんじんと油揚げの煮物。具だくさんの豚汁に、茶碗に多めに盛られた白飯。立派な和食膳だった。
 「いや、充分だよ。ありがとう」
 「ごはんと豚汁は、お代わりあるから。要るなら呼んで」
 そう言って、足早にみづほは出ていった。一緒に食べる、という展開を少し期待していたのだが、そういうわけにはいかないようだ、さすがに。
 「いただきます」
 手を合わせ、男物の箸を取る。これは、みづほの父親が使っていた箸だろうか。亡くなった人が使っていた物だと考えても、格別抵抗は感じなかった。むしろ、彼女と母親が亡き家族の思い出を大事にしていると思えて、好ましい。
 まずはお椀を持ち上げ、豚汁をすすった。肉と野菜のだしがよく出ていて、美味しい。知らず笑みがこぼれる。
 みづほの家で一晩過ごした翌朝、彼女が作った朝食を初めて味わった。卵焼きと大根おろし、サラダと味噌汁、白飯といった、当人いわく「簡単なもの」だったが、卵の焼き加減も味付けも、サラダの野菜の切り方も文句のつけようのないレベルだったと思う。彼女が料理上手なのはその時から予想がついていた。