喉に何かが詰まったような表情で、澄美子は沈黙する。その反応で、澄美子があの日の、あの夜の一幕を見ていたのは間違いないと思われた。
 尚隆は辛抱強く待った。澄美子が自分から話してくれる時を。──そして数分後、澄美子は折れた。
 「……会うのを見ていたのは、確かです。あなたの様子が気になったので、タクシーは途中で降りて、どこに行くつもりなのか後を付けました」
 では、電車に乗ってみづほの家まで行く道中、ずっと付いてきていたのか。まったく気づかなかった自分が愚かしく、また、澄美子のその行動に若干怖さを覚えた。だが、納得はいった。
 「それで、見たことを専務に話したというわけですか」
 「違います!」
 「え?」
 「違うんです、見てはいましたけど、誰にも言ってません。言いたくありませんでした。私にだって、プライドがありますから──今思えば、私がいた道の反対側に、ずっと立ってる男の人がいたような気はしますけど」
 「そう、ですか。……けどなぜ、僕の後を付けたり」
 追及に、澄美子はまた沈黙する。怒りは影を潜め、今は、なにやら張りつめた表情になっていた。
 澄美子が「いたような気がする」と言った人物はまず間違いなく、本庄だろう。数ヶ月前、みづほに関わることを止めるふうな捨て台詞を吐いておきながら、内心は、彼女を陥れる機会をしぶとく狙っていたのだ。あの場に行き合ってさぞかし、喜んだに違いない。
 「………………なかったから」
 「え、何て」
 「離れていってほしく、なかったから」
 今や泣き出しそうにゆがんだ顔の澄美子の、美しい切れ長の目からぽろりと、本当に涙が落ちる。
 「いつもそうなんです。私が、本当に気を許せると思った人は、何も言わずに私から離れてしまう。友達も、男の人も。
 ……だから、久しぶりにそういう人だと思えた、あなたには離れていってほしくなかった。なのに、会社の女の人と噂があったって聞いて……あの時、早く帰りたそうにしていたのは、その人に会うためかもって思ったら、いてもたってもいられなくなって」
 美人がぽろぽろと涙を流し、声を震わせて泣く様子は想像以上に目立つものらしい。気づくと周囲の視線がこちらに集中しており、店員もあからさまに顔を振り向けて見ている。しかも、致し方ないが軒並み、尚隆を責めるような視線だ。居心地悪いなんて言葉では足りないレベルの居たたまれなさだが、立ち上がって去るわけにもいかない。
 「そしたら、本当に女の人と会ってて、どうしようって──
 わかってるんです、私。自分がわがままな女だってこと。どんなにもてはやされても褒められても、自分は欲しいものがなくならない、執着してしまう子供から成長していないんだって」
 だめですね、と澄美子はようやく取り出したハンカチで、涙を拭った。マスカラが少し、ハンカチに付いたように見えた。
 「父や母には、一人っ子だからって甘やかしはしない、って言われながら育てられたんですけど……でも、どこかでやっぱり甘やかされていたんでしょうね。周りが言う『よくできた子』でいるのは楽だったし気分も良かったけど、両親にまでそう言われるのは、窮屈でもありました」
 なまじ容姿が良く、何でも器用にこなす能力を持っていたからこそ、誰もが澄美子を「よくできた子」として扱った。一人娘には甘い両親も、周りの評価の高さ、それが与える心地よさに、娘の本質や悩みには気づかなかったのか──もしくは、気づいていたが知らないふりをしたのかもしれない。本人が言わないのをいいことに。