佐藤智佳(さとうちか)

 「ちょっとゼミ室に来てくれ」と先生に呼び出されたのは、3月11日の午後だった。
売り手市場と呼ばれる時代において、3月まで就職先が決まっていない、しかもゼミで独りというのは非常に情けなかった。
 教員という仕事はブラックだ、といろいろなところで叫ばれている。やりがいある仕事でも、業務が多すぎて、給料は安すぎる。私が所属する某教育大学でもそのようなことを言っている同期はたくさんいる。

 世の中は、理不尽だ。

 「ブラックだ、やりたくない」と言っていた人間が正規でさっさと採用され、私のように、(と、自分でいうのもおこがましいが、)やる気にあふれている未来ある若者が落とされ、路頭に迷うのである。世の中とはそういう所だ。

 「青空高校に行ってみないか。」

 世の中でもっともかわいそうだ、と思っている私に、救いの手を差し伸べたのは青空高校だった。

 先生の後輩が教頭先生を務めているらしいが、育休代替の臨時教員が決まらないでいるらしい。
 青空高校がある北海道青空町は「ザ・ホッカイドウ」という感じのド田舎だ。隣の家は見えないのが当たり前の農業地帯。街の名前の通り空は美しいが、都市部までは車で1時間ほどかかる。

 そんな訳で、今日から私も新社会人。臨時職員でも、立派な社会人だ、とわざと自分を鼓舞してみる。
 私は幸せ者なのだ! この青空高校で育休代替教員として臨時で採用されることができたから! 売り手市場の世の中で3月まで就職先が決まらなかったのはゼミで私だけだったが、臨時でも立派な立派な社会人だ! 先生だ! 
 威張っているようで、恥ずかしい。でも、こうでもしなければ、臨時採用をバカにし、田舎であることをけなしてくる大学の同期を見返せないと思っていた。
 初出勤早々、育休中の鈴木先生から引継ぎがあった。

 鈴木先生は、落ち着いた女性という感じで、ストレートで少し茶色く染めた髪の先生だった。ジーンズにパーカーを羽織って「家からちょこっと出てきました」という雰囲気だった。
 「昨日まで大学生、だったのよね? こんなところまで来てくれて、ありがとうございます。」
 すごく丁寧にご挨拶いただき、お礼のお菓子までいただいてしまった。手厚すぎる心のつくされかたに、少し怖くなってしまった。

 「いやー、若いときって、都会に行きたいじゃない。なのに、こんなところまで来てくれて、本当にありがとうございます。」

 戸惑っているのを察して、理由を教えてくれた。

 「うちの生徒もそうなんだよね、都会に出て、新しいことをやりたい! でも勇気が出ないって子ばかりなんだよね。だから、ちょこっと背中を押してほしい、かな。今年は何もできない私が言えることじゃないけどね。私は生徒に背中を押してもらうことが多かったかなー。大事なこともいっぱい教えてもらってるしね。」

 「うちで教員やったら、『先生』のとりこになっちゃうと思いますよ。何かあればいつでも言ってくださいね。」

 鈴木先生はバイバイと手を振りながら帰ってしまった。

 先生のとりこ、か。なれるといいな。
 絶望からちょこっとだけ救われた、私が欲しかった「なんでもない」春だった。