2022年3月1日。
 私の卒業式を迎えても、コロナ禍はおさまっていなかった。でも、なんとなくいままで通りというか、普通の生活ができつつある。そんな感じ。

 私の高校生活、まず、マスクが欠かせなくなった。白じゃないマスクも目立たなくなった。まあ、クラスのみんなは幼稚園からのイツメンだから、顔がわからないなんてことないけど、先生方の顔はわかんなくなっちゃった。新しく来た体育の先生がイケメンだって話してたけど、卒業アルバムでそうでもないことが判明して「マスク詐欺だ!」なんて言っていた。
 あと、残念だけど修学旅行は中止になった。もともと関西の予定だったけど、函館になり、札幌になり、結局は「コロナが増えてるから行けません」だって。なんか、行けるって期待していたのがバカだなって思っちゃった。
 2年生の学校祭も体育祭も、行事は全部中止だった。「智佳先生とまたステージに出たい!」って思ってたけど、ステージ自体無くなっちゃった。それでもコロナはおさまらなくて、3年生になってもいろいろと制約があった。

 3年生になると、コロナ2年目だから、いろいろと「学習したな」って場面が増えた。学校祭も体育祭も、縮小バージョンだけど、実施できたし、2年生は修学旅行も行っている。
 ちょっとの差でできることとできないことの差が生まれるのが、なんか悲しいな、と思ってる。私なんて、あと数時間生まれるのが遅かったら、修学旅行行けたんだよ! まあ、智佳先生に出会うこともなくなっていたけど。
 ちょっとずつ違って、ちょっとずつ辛さも違うけど、この時代を乗り越えたのは強いのかな? って思ってる。

 私が1年生だった、コロナ1回目の卒業式は卒業生だけ、2年生のコロナ2回目は保護者も入れて、そして今年は在校生も入れてできるようになった。
 やっぱり来賓の長い話はないし、卒業証書も代表がもらって終わり。だけど、みんなに祝福してもらえるのが、きっと、すごく嬉しいことなんだろうなって思う。

 「ここに智佳先生がいたらな。」

 卒業式は30分くらいで終わってしまった。でも、みんなの思いが詰まった30分だった。これからの決意を胸に、廊下から教室へ踏み出していく。智佳先生は智佳先生の学校で卒業式だ。ここにいるはずがない。

 「え、智佳先生?」

 祝辞というものがある。国会議員や大学の先生方にまじって、智佳先生のメッセージが貼ってあった。

 「楽しいことを『楽しい』と言うこと 悲しいことを『悲しい』と言うこと 素直な気持ちを忘れないでください 私はみなさんと出会えて幸せです」

 そんな感じだった。立ち止まって見ることはできなかったけど、すごくわかりやすい言葉だった。
 私も智佳先生と出会えて幸せだ。でも、何も言えなかった。未だに何も言えてない。このツッカエを取らないと、前には進めない気がした。

 「先生、お願いがあります。」

 私は失礼を承知で、今野先生に質問に行った。智佳先生となんとか連絡を取る手段はないかと。

 「いやー、僕も連絡先知らないんだよね…。ちょっと勇気いるかもしれないけど、学校に連絡してみたら?」

 ラインとかメールとかなら、簡単に伝えられたと思う。でも、2年越しなんだから、できるだけリアルに伝えたいと思った。

 2022年8月。
 超早生まれの私がやっと自動車運転免許を取れたのはゴールデンウィークが終わってからだった。車が買えたのは初ボーナスが出てからで、届いたのは8月になっちゃった。
 まだ町内しか運転してないけど、少しずつ遠くへも行っている。先週は西端まで、今週は東端まで。そして来週は南風館まで行こうと思っている。
 何時間かかるかわからない。
 どれだけ時間がかかってもいい。
 諦めちゃだめだ。
 絶対に伝える。

 私の2年越しの「ありがとう」の旅が始まる夏がきた。