3月は正直学校に行きたくなかった。10年近く勤めていて初めてだ。
 職員に人事異動が公表されて、予想どおり驚かれた。「まだまだ、これからなのに、なんで退職?」と。実家に帰らなくてはいけなくなり、もう次の勤め先も「仙台学園大学附属高校」に決まったと、ありのままを淡々と話す。

 「なんで言ってくれなかったの!?」

 「辞めるのにサラッと授業できちゃうって…。」

 止めるものは居なかったが、非難はされた気がする。私だって「サラッと授業」なんてしたくなかった。でも、管理職にノーを突きつけられたのだ。そうするしか、そうするしか組織の人間として許されなかったのだ。

 3月の業務といえば、入試、次年度計画。どれも私が居なくなったあとに向けての業務だ。もう私がいなくなったその後のことなんて、どうでもよかった。私の計画を許さなかった上司のために働く気など起きなかった。
 でも、私は完全に仕事人間だ。行きたくなくても毎日出勤した。気持ちに反して仕事はどんどん湧いてくる。入試の運営も、次年度の計画も、突然終わった今年度の処理も。私の次にこの仕事をする誰かが困らないように、苦しさを紛らすために仕事に明け暮れた。

 3月末まで生徒に会うことなく学校に通い続け、仙台へ旅立つ時が来た。私は離任式もなく、ただ、学校通信にあいさつ文を寄せただけで、北海道での教員生活に終止符を打った。結局、最後まで生徒たちに「さよなら」も「ありがとう」も言えなかった。
 飛行機の中で本でも読もうとカバンに手を伸ばした。本の前に、学校から持ってきた生徒の英作文に触れてしまった。

 原田祐美。

 私がなんとか救いたいと思っていた生徒だ。彼女を救えたのだろうか?

 「思ったときに気持ちを伝えられないのが、人間、一番辛いんだ。」

 原田越しに山崎に向けたメッセージを思い出す。俺じゃないか。さよならを言えず、ありがとうも言えず、人間としてサイテーなやつに成り下がったものだ。
 「人間として」…。そうだ、俺、辛いんだ。「河野先生」はサラッと授業できちゃう仕事人間だけど、「河野孝志」は、辛くて辛くてたまらない、人間なんだよ。

 気づいてしまうと、歯止めはかからなかった。ハンカチで目頭をおさえ、鼻水はマスクで隠しているけど、限界だ。涙が止まったらマスクを取り替えよう。

 人間になった私は、少し軽くなった気がする。もう地面に着いていないもの。
 そうやって私は北海道を旅立った。

 2020年4月1日。
 私の教員人生、第2章が始まる、ハズだった。

 同期の紹介で、仙台学園大学附属高校で働くことは決まっている。しかし、出勤は控えるように言われてしまった。

 「河野先生、北海道からでしたよね? 北海道ってクラスター? 出てたじゃないですか。だから、大事をとって2週間はお休みください。あ、欠勤とか有休とかにはしないですから。教科書をご自宅に送りますんで、教材研究していてください。」

 2週間か。働きすぎて人間であることを忘れていた私にはちょうどいい冷却期間だ。この期間は共に実家で暮らす両親と妹とも接触を避けることにしていた。
 北海道の、南風館の生徒を思い出し、人間の「河野孝志」を取り戻していく。

 2週間後に高校に向かう私は、初任者の頃より初々しかったと思う。私は組織の人間として、生徒たちに悪いことをしてしまった。さよならを言えないなんて、サイテーだ。だから、もう「河野先生」ではなく「河野孝志」として、人間の私でぶつかっていこうと決意した。
 春の空気は命のにおいがした。もう桜は散っている。でも、何かが生まれる。新しい何かが始められる予感がした。