頑張ることって、どうでもいいことなの?
私の高校生活って、何だったんだろう?
卒業式が無くなったって連絡網がきて、涙も出なかった。「心にポッカリ、穴が」ってこういうことを言うんだなって思った。
きっと「高校卒業」なんて、そんなもんなんだよ。だって卒業式って、体育館に集まって紙切れもらって、写真を撮って終わりじゃん。なくなってもきっと、人生にそんなに影響ない。そう思い込もうとしていた。
あってもなくてもいい卒業式が無くなって、もちろんその後のクラス会も中止。友達と遊びに出かけるのも「控えなさい」だって。まあ、もう1か月も休みになるってないだろうから、お得なのかな? ははは。
卒業式があるはずだった3月1日の数日後に、分厚いレターパックが届いた。
卒業証書。
成績通知書。
卒業証明書。
卒業アルバム。
私の卒業式って、ワンコインで済んじゃうわけ? そんなに安っぽいことなのかな?
この状況で「仕方ない」というのは、理解できる。でも、心が納得できていない。どこにぶつけたらいいのかわからない怒りが、常にどこからともなくあふれてくる。この気持ちをどう言っていいのかわからないけど、一番近いのは「苦しい」かな? でも「苦しい」だけじゃない、なんとも言えない気持ちが、心の中でどんどん大きくなっていた。
卒業式だった日から3週間くらい経って、学校から小さな茶封筒が届いた。もう卒業「させられた」はずなのに、なぜだろう?
中身はA4の学校通信1枚。離任する先生の紹介だった。
「河野孝志先生、退職。」
「え?」
あいさつ文には「故郷の仙台へ帰ることになりました」とある。最後に話したのはいつだろう? 英作文の話、したときかな? あんなに熱心に教えてくれたのって、いなくなっちゃうからなの? 「思ったときに気持ちを伝えられないのが一番辛い」って言ってたじゃん。
私、もしかして、今、「辛い」のかな?
気づくと学校通信は涙でグショ濡れだった。
18歳にもなって、わんわん泣いた。
声をあげて泣いた。
なんで卒業式、できないの?
なんで「さよなら」って言えないの?
先生、やっぱり、「思ったときに気持ちを伝えられない」って、辛いよ。辛すぎるよ。
私は布団をかぶって、一日中泣いていた。
母は気持ちを察してそっとしておいてくれた。でも、理解はしてないだろうな。
私は布団から出るのに一日かかった。
明日なんて、なくてもいいと思っていた。
2020年4月1日。
私は高校生から新社会人になった。
私の会社は札幌に集まって入社式をするのが通例だったが、このコロナで、各店舗で辞令をもらうだけの簡素な式になった。
私は採用になったその日から「リモートワーク」という自宅研修を受けることになった。パソコンに向かって、講義の動画を見る。たまにテレビ電話がつながっているときもあって、意見を交わすこともあった。
私がやりたいことって何なんだろう?
河野先生に言われたとおり、私のやりたいことはこの会社にない。自宅研修もさっぱりつまらない。こんなこと、ずっとやっていて何のためになるのかな?
「思ったときに気持ちを伝えられないのが、人間、一番辛いんだよ。」
先生の言葉がこだまする。
私、「辛い」んだよ。
辛いまま、生きていて、いいの?
自宅研修のパソコン画面を見ながら、スマホに手が伸びた。バレないように検索する。
見つけた。
仙台学園大学。
今日のメニューが終わって、ガラクタの中から便箋を探し当てた。さっと書いて、また探し物を始める。高校の教科書とノートと、使わなかった参考書。
便箋に書いたのは「退職願」。母が出さないと言っていた入学金が稼げたら辞める決意ができた。
私は河野先生にさよならを言うために、先生や後輩たちに育ててもらった恩を返すために、やっぱり先生になろうと決めた。
あ。
やっと桜が咲いた。ゴールデンウィークを前にした、ある午後の出来事だった。
私の高校生活って、何だったんだろう?
卒業式が無くなったって連絡網がきて、涙も出なかった。「心にポッカリ、穴が」ってこういうことを言うんだなって思った。
きっと「高校卒業」なんて、そんなもんなんだよ。だって卒業式って、体育館に集まって紙切れもらって、写真を撮って終わりじゃん。なくなってもきっと、人生にそんなに影響ない。そう思い込もうとしていた。
あってもなくてもいい卒業式が無くなって、もちろんその後のクラス会も中止。友達と遊びに出かけるのも「控えなさい」だって。まあ、もう1か月も休みになるってないだろうから、お得なのかな? ははは。
卒業式があるはずだった3月1日の数日後に、分厚いレターパックが届いた。
卒業証書。
成績通知書。
卒業証明書。
卒業アルバム。
私の卒業式って、ワンコインで済んじゃうわけ? そんなに安っぽいことなのかな?
この状況で「仕方ない」というのは、理解できる。でも、心が納得できていない。どこにぶつけたらいいのかわからない怒りが、常にどこからともなくあふれてくる。この気持ちをどう言っていいのかわからないけど、一番近いのは「苦しい」かな? でも「苦しい」だけじゃない、なんとも言えない気持ちが、心の中でどんどん大きくなっていた。
卒業式だった日から3週間くらい経って、学校から小さな茶封筒が届いた。もう卒業「させられた」はずなのに、なぜだろう?
中身はA4の学校通信1枚。離任する先生の紹介だった。
「河野孝志先生、退職。」
「え?」
あいさつ文には「故郷の仙台へ帰ることになりました」とある。最後に話したのはいつだろう? 英作文の話、したときかな? あんなに熱心に教えてくれたのって、いなくなっちゃうからなの? 「思ったときに気持ちを伝えられないのが一番辛い」って言ってたじゃん。
私、もしかして、今、「辛い」のかな?
気づくと学校通信は涙でグショ濡れだった。
18歳にもなって、わんわん泣いた。
声をあげて泣いた。
なんで卒業式、できないの?
なんで「さよなら」って言えないの?
先生、やっぱり、「思ったときに気持ちを伝えられない」って、辛いよ。辛すぎるよ。
私は布団をかぶって、一日中泣いていた。
母は気持ちを察してそっとしておいてくれた。でも、理解はしてないだろうな。
私は布団から出るのに一日かかった。
明日なんて、なくてもいいと思っていた。
2020年4月1日。
私は高校生から新社会人になった。
私の会社は札幌に集まって入社式をするのが通例だったが、このコロナで、各店舗で辞令をもらうだけの簡素な式になった。
私は採用になったその日から「リモートワーク」という自宅研修を受けることになった。パソコンに向かって、講義の動画を見る。たまにテレビ電話がつながっているときもあって、意見を交わすこともあった。
私がやりたいことって何なんだろう?
河野先生に言われたとおり、私のやりたいことはこの会社にない。自宅研修もさっぱりつまらない。こんなこと、ずっとやっていて何のためになるのかな?
「思ったときに気持ちを伝えられないのが、人間、一番辛いんだよ。」
先生の言葉がこだまする。
私、「辛い」んだよ。
辛いまま、生きていて、いいの?
自宅研修のパソコン画面を見ながら、スマホに手が伸びた。バレないように検索する。
見つけた。
仙台学園大学。
今日のメニューが終わって、ガラクタの中から便箋を探し当てた。さっと書いて、また探し物を始める。高校の教科書とノートと、使わなかった参考書。
便箋に書いたのは「退職願」。母が出さないと言っていた入学金が稼げたら辞める決意ができた。
私は河野先生にさよならを言うために、先生や後輩たちに育ててもらった恩を返すために、やっぱり先生になろうと決めた。
あ。
やっと桜が咲いた。ゴールデンウィークを前にした、ある午後の出来事だった。