今日、目が覚めたらすべてが夢だったらいいのにと何度も思った。でも夢じゃなかった。私の青空生活は今日で打ち止め。普通に立っていられるのが不思議なくらい、落ち込んでいた。倒れなかったのが本当に奇跡だ。
また奇跡。今日は偶然1年生も2年生も授業が入っていた。時間割を入れたのは私だ。最近は英語が多めだったから、少なくしていた。それなのに2つとも授業があるなんて。奇跡。
 2年生の授業は笑い泣きしていた。休校、そして今年度の締めくくりをみんなで喜んだ。中身はぐちゃぐちゃだった。でも今までで一番いきいきしていて、一番楽しい授業だった。
 そして1年生だ。
 「今日は今年最後の授業です―――。」
 言葉が詰まってしまった。
 何を言おうとしても涙があふれてしまう。
 ダメだ。ここで泣いたらだめだ。
 わかってはいても、心は逆らえない。
 ここで泣いたら転出することがばれてしまう、勘づいてしまう。
 わかってる。
 でも心は素直すぎた。
 私は人間だった。

 そして、泣き止むのをやめることにした。もう、私は、私という人間としてここにたっていようと思った。今日教えたことが英語かどうか? そんなことどうでもいい。
 これからの未来。どんな人生を歩んでほしいか、ひたすら語る1時間になった。

 昼休み。
 職員室の扉を開けた途端、泣き崩れてしまった。
 わかってる。
 泣いていいのは私だけじゃない。
 今年で転勤になる先生は他にも居て、まだ全職員に知らされていない今日の時点で泣いて良い人などいないのだ。
 私は1年間の期限付きという身だ。職員室では私が泣けば、なぜ泣いているのかは想像がつく。泣いていいのは私だけじゃない、私だけでは。

 「おい、なに泣いてんだ!」

 理科の村田先生だ。1年生の雰囲気がおかしく、事情を聞いてしまったらしい。

 「お前が泣いたら人事がバレるだろ! 教師失格だ!」

 ど正論、ごもっともだ。わかってる。
 職員室にいるみんな、わかってる。

 誰もの動きが止まった。誰もが目を伏せている。
 みんなわかってる。村田先生がど正論を言っていることも、私が泣いちゃう理由も。自分が泣きたい理由も、泣けない理由も、みんなみんなわかってる。

 突然の年度末宣言は、学校を止めてしまった。

 5時間目は日曜日の卒業式の会場設営、6時間目は予行練習だった。どんなものだったか記憶が全くない。立っているだけで、泣かずにそこに存在しているだけで、精いっぱいだった。放課後には臨時の職員会議が始まった。

 レジュメが一枚、机の上に載っている。
 「新型コロナウイルス感染症に関わる臨時休校について」
 昼のことがあったから、私は無表情で淡々と「次回登校日4月8日」の文字を見つめていた。人間としての私がここに帰ってきたらまた泣き崩れてしまう。そんなの、教師として大人として、許されないのだ。

 次に生徒が来る日、私はここに居ない。
 どこにいるかもわからない。
 次に来る人も決まっていない。

 会議の最後に、日曜日の卒業式の実施も教育委員会で検討中であることが伝えられた。さっき練習したばかりの式だ。最後に生徒と会う機会だったのに。湧き上がってきた思いを押し殺し、再び「4月8日」の4文字を見つめた。

 「智佳先生、ちょっと!」

 会議が終わって職員室に戻ると、教頭先生に呼び出された。きっと昼の件だろう。ついに私はクビになるようだ。もうあの子たちに会えないのなら、こっちからやめたっていい。人間としてあの子たちに最低のことをするくらいなら、教師なんていうつまらない箱など被っていられない。
 教頭先生に一番奥の相談室へ連れていかれ、二重にドアを閉められた。

 「今日ね、僕、先生を見て安心したんだよね。それ言いたくて、呼びました。」

 予想もしていなかったことで、思わず「え」と言ってしまった。

 「1年で生徒と別れるって、辛いことだと思うんだよね、本気で先生やっている人にとっては。別れが突然やってきて、先生が泣いちゃって、不謹慎だけど嬉しかったんだよね。本気で生徒に向き合ってくれてたんだなあって。見てればわかってたけどさ。安心した。もう、どこに行っても大丈夫だよ。智佳さんとして、今日、子どもたちに向き合ってくれて、ありがとう。きっと先生の気持ちは生徒にも、他の先生方にも伝わってるよ。」

 私はただただ、温かい涙を流すしかなかった。

「今日、1年生も2年生も授業があったのは神様からの贈り物だよ。もしなかったら、僕、教頭権限で先生の授業入れてたと思う。あはは。僕も初任校のとき、そうしてもらったからさ。初任校の離任式前日におばあちゃん死んじゃってさ。離任式が忌引きになったんだよね。その時の教務部長が『離任者は最後に必ず授業を入れる!』って、最後の出勤日に全部授業ぶち込んでくれてさ、思いっきり語ったのを思い出すよ。僕は泣けなかったんだ。まだ恥ずかしかったんだろうなあ。男ってカッコ悪いね。」

 温かい涙に、柔らかい笑みが混じる。

 「昼の村田とか、サイアクだよね! みんなわかってるじゃん。この状況のこと。先生もさ、泣いちゃいけないってわかってると思うんだ。わかってるよ、みんな。僕は、教師としての正しさより、人としての素直さが出ちゃった先生の方が好きだな。」

 教頭先生は言いたかったことを言いきると、「はは」っと笑い飛ばしてドアを開けた。

 「『好き』ってセクハラじゃないから。んじゃ! 教師やめないでね。あはは!」

 ちょっと冗談が混じるところがいつもの教頭先生らしい。笑っていると思っていたのにいつの間にか、涙で向こうが見えなくなっている。

 「佐藤先生? ああ、昼のこと注意したら泣いちゃったよ。まったくだよね~。」

 教頭先生は優しいウソをついて、職員室から事務室に降りて行った。私が職員室に戻ると、先生方は「泣いていいんだよ」と優しく迎えてくれた。

 青空高校で本当によかったと、心の底から思えた一日だった。