令和2年(2020年)2月28日。

 今日は6時から教頭を待ち伏せていた。
 今日で今年度の授業が終わってしまう。
 生徒と会うのは、日曜の卒業式が最後。
 北海道で授業するのは今日が最後。

 今日という日に私の人生はかかっている。

 大げさに聞こえるだろうが、私には本当にそう思えた。教頭に「計画」を話したら、校長案件と言われた。校長は無理の一点張りだった。
 私が年度末で北海道での教員生活に終止符を打つことを知っているのは教頭と校長だけだった。今日で授業が終わることは報道を見たところ疑いようが無かった。
 だから私は今日行われる「最後の授業」で退職のあいさつがしたいと申し出た。もちろん、私だけではなく、今年転出予定の先生すべてだ。
 校長は無理の一点張りだ。転出者は新聞発表まで公表できない、と。

 今日は珍しく授業が少ない日だった。2Bしかない。他にも授業に行っていたクラスもあるが、いつの間にか最後になってしまっていた。
 今日の授業内容は、レッスン12の半ばの読解だった。もちろん今日ですべては終わらない。授業の終盤に差しかかったころ、「続きは3年生になってからですか?」とある男子が聞いてきた。「ああそうだ」と答えるしかない。
 昨夜、「全国の学校が休校になる」というニュースが駆けまわった。もちろん生徒の耳にも入っている。
 大半の生徒は嬉しそうだった。「もう勉強しなくていいんだ!」とワクワク、ソワソワしている。「ま、こういう理由だから部活もないけどな。」と加えると「えー!」という悲鳴が聞こえて来る。
 そんなこんなで、2Bの授業はあと2分で終了という時間になった。

 「では、これで授業は終わりにする。」

 4時間目ということもあり、生徒たちは「終わった感」を爆発させている。

 「これで、2Bの授業は終わりだ。4月は続きからやってもらうように伝えておく。」

 言ったあとで、口を滑らせたと思った。「伝えておく」なんて言ったら、私が居なくなることがバレてしまうのではないかと思った。
 案の定、山崎がこちらを困った表情で見つめて来る。周りは明日からの休みを、これで授業が終わりだということを喜んでいるのに、山崎だけ沈んでいた。

 チャイムが鳴って、あいさつをした。いつも通りの授業終わりだ。「今までありがとう」とつぶやいた以外は。
 なにか言いたいけど、何も言えない、この顔を見せたくなくて、さっさと教室を出た。廊下から2B教室を振り返る。もう二度と、向かうことのない教室を。

 もう二度と、教室に授業しに向かうことはないのだと自覚すると、胸が熱くなった。私は熱さを胸にしまい込んでいた。
 熱さが出てしまうのは、組織の人間としてやってはいけないことだった。私は人間としての素直さより、組織の人間として体裁を整えることを優先した。

 この日の事は何度悔やんでも、悔やみきれない。