「学校」という場所は「行くのが当たり前だ」と思われがちである。たいていの事柄は「学校に行く」ということを差し置いて、実行されない。時には体調が悪くて休んだり、もっと大事な、かえの効かない事情があって休んだりすることもある。
 そして、休んでしまうことがあるのは生徒だけではない。先生だって時には休む。学校それ自体だって休みになることも、ある。
 青空高校で、今年度初めての「学校それ自体が休み」という日が来たのは、1月31日。3年生最後の授業日だった。

 大雪のため、臨時休校。

 朝6時に先生方へ連絡網がまわった。佐藤へ電話をかけたのは飯田だった。

 「やー先生、やっと来ましたよ! 雪で臨休です! 嬉しいですね!」

 飯田は声をはずませて、佐藤へ連絡網をまわした。佐藤は最後までまわった連絡を教頭にまわした。

 「あ、今日は雪で危ないから、先生方も休みにするからね! 先生も、残念だけど、家で休んでいてね。」

 教頭は必要な連絡をできる限り手短に、そして冷たくならないように伝えた。佐藤の目は涙にあふれ「はい」としか言えなかった。

 佐藤はここまで3年生のために、寸暇を惜しんで準備してきた。前回はちょうど「気になるね!」というところで、切っていて、最後まで映画を見せるのが楽しみだった。
 いままでの授業がすべて予定通り進んできたわけではない。予定より早く進んだことも、時間が足りなかったこともあった。説明が伝わらなくて、四苦八苦することもしょっちゅうだった。
 でも、なんとか「次」で挽回して、最後の時間を迎える予定だった。

 もう、彼らへの「最後の授業」は永遠にやってこない。

 今日は臨時休校で、明日は土曜日。月曜日からは家庭学習期間で、もう3年生は登校しない。ただひたすらに、悲しく、悔しく、佐藤は前を向けなかった。最初の卒業生、唯一の青空高校で教えた卒業生の最後の授業は、永遠にやってこないのだ。

 一方、電話を手短に切った教頭は、不謹慎にも「安心」していた。声をはずませて「やったー!」などと言おうものなら、怒鳴ってやろうと思っていたくらいだ。
 教頭から見ると、佐藤の反応は教員として模範たる反応だった。なかには生徒と同じ視点から「授業がなくなって嬉しい」とはしゃぐ先生もいる。果てには「もう卒業生に会わなくて済む」とホッとする先生もいる。授業することが楽しくなかったら、そうなってしまうかもしれない。
 本当に楽しんで、生徒のために頑張っていたら、佐藤のようになるのだと、教頭は安心していた。もとから心配していないが、「佐藤先生ならどこに行ってもいい先生になれる」と確信した。

 降りしきる雪に負けず、先生としてしっかりと立っている未来が、佐藤の未来が見えた1月31日だった。