学校に来るのもあと2週間か。
 1月に学校があるのって、正直よくわからない。もう成績がついたところで、進路が変わるわけでもなく、就職と推薦での進学がほとんどの南風館では、まだ進路未定の3年生はほとんどいない。私も一時期進路が決まらず、冷や汗をかいていたが、決まってしまった今となっては、部活もないこの期間に「学校に来る」という意味を見出せずにいた。
 私の高校生活って何だったんだろう、などと考えてみる。部活に全力だった。それは言えてる。たしかに、朝から晩まで部活のことばっかり考えて、副部長までやった。でも、「やり遂げたか」と考えると「?」がつく。
 最終的に支部大会で銀賞を受賞したけど、全力で練習した結果ではない。気持ちは地区大会で完全に切れていた。先生方も後輩たちも「最後まで頑張った」って言ってくれるけど、自分ではそんな気など全くない。
 勉強はどうだったんだろう? すごく悪いわけではない。特別良いわけでもない。普通に授業を受けて、それなりに課題をこなして、点数は、そこそこにとる。というか、勉強で「頑張る」ってどういうことなんだろう?
 高校入試のときは、確実に受かる学校を選んだ。もう一つあげてもよかったけど、「落ちる」という経験をしないために、充分合格圏内だった南風館を受けた。たぶん、入試の成績はトップクラスだったと思う。
 トップなんだから、ちょっと落ちても大丈夫という安心感が成績を下げ、良くも悪くもない、中途半端な私ができあがった。
 頑張ってない訳じゃないけど、やり切った訳じゃない。私の高校生活に足りないのは達成感だった。

 英語の時間にテスト範囲が配られた。最後のテストは1月28日から4日間。実質もう1週間前だった。

 「え?」

 私は思わず、声を漏らした。

 テスト範囲:1〜3年で学んだこと全て。
 テスト課題:「高校生活で成し遂げたこと」
 テスト内容:上記課題を200語程度の英作文で書く

 どこかの入試のような、はっきり言うと難しい課題だった。でも、事前に英作文を書いて持ち込むことができるらしい。つまり、テスト時間ではなく、事前準備のほうにエネルギーが必要なテストということだ。

 「いいかー。英作文は事前に書いてきて構わないぞー。ぶっつけ本番で書けそうなやつ…今年はいなさそうだな。卒業したかったら、最後まで頑張ってくるように。」

 河野先生はそこから授業をしなくなった。世の中には「教えない」という指導法もあるのだろうか? 残り4時間に迫った授業時間はこの英作文を書くことに使われることとなった。先生は教室をぐるぐる回り、気になる生徒に声をかけている。

 「君の場合は、部活だろう。」

 「え、ぼく、全然成績悪かったですよ。」

 「私が書いてほしいのは、他人に認められたことじゃない。自分が認めたことだ。」

 私の原稿用紙に目を落としていると、そんな会話が聞こえた。どうやら河野先生にとっては「成績」というのは誰かが認めたことなのだそうだ。誰かが認めて順位が上がる。誰かが認めていい点数がつく。そういう「成績」ではなく、自分が「成し遂げた!」と思うもの。つまり、自分が認めたことを書いてほしいそうなのだ。
 私にそんなことあるだろうか?
 部活の成績は良かったけど、達成感はない。正直後悔だらけだった。勉強もそう。進路だって、就職先は見つけたけど、まだ夢は見つかっていない。
 時間切れ、だ。

 「『成し遂げたこと』がまだない人は、これから作ってもいい。私はみなさんの卒業を『認める』つもりだ。しかし、自分が認められない高校生活なら、後味悪いぞ。何か成し遂げて、卒業してくれ。」

 私は、私の卒業を認められるのかな?