私に面接練習が回ってくるのは、ある意味緊急事態だった。通常は学年の先生で終わらせるので、どの学年でもない私に回ってくることなど、ほぼほぼないのである。
原田祐美。たしか吹奏楽部でファゴットという珍しい楽器を吹いている副部長だ。学業もすごく良くはないが、悪くもない。そんな彼女がなぜ2社も落とされたのか。それはまさに緊急事態だった。
「地元に貢献したい」
彼女がこの食品加工会社にむけ、用意してきた志望動機がこれだ。たぶん担任に言わされているのだろう。まったく整合性がない。いままで受けたのが、札幌と東京の企業で、たぶん部活の延長的な活動がしたかったのだろう。受からないからといっても、ここまで落とすか?
今日のところは自分ともっと向き合うよう言って、切り上げることにした。
「佐田先生、3Cの原田はどうして南食品を受けさせたんですか?」
担任の佐田先生にことの経緯を確認した。どうやら佐田も原田がここまで「残って」いることは想定外だったらしい。
「いやー、本当は推薦で大学に入れてもいいくらいの生徒なんですが、就職って譲らなくて。」
どうやら「就職」というのは本人の意志というよりは、保護者の方の意志らしい。かといって本人になにか意志があるのかといっても、微妙らしい。
最初の2社は、本人の意志で決めた企業だろう。だが、我が校の生徒にはハードルが高すぎる。2社目の時点で堅実なところを紹介できていれば、もっと選択肢はあっただろうに。
「彼女にはもったいないですが、原田は南食品で一生頑張ってもらうしかありませんね。」
ああ、また私はカチンときてしまった。
しかし私も成長する。もう無駄な無意味な波風は立てないよう、秘密裏にことを運ぶことにした。
たぶん、原田がやりたいことは南食品にはない。ただ、これだけ親や教員の言いなりとなってしまっているなら、将来「違う」と思っても辞められないのではないか。
だとしたら、いまの、最終面接練習者としてできることは、辞めるということについたネガティブなイメージを取り除くことではないか。
だから、練習で「受かって、辞めるべきだ」と断言した。そう言ってくれた大人が1人でも居たなら、この先彼女は自分の意志を得たときにその通り行動できるのではないかと考えた。
面接練習を終えた、というか終わらせた原田はなんとなく清々しい表情だった。
「河野先生!」
約2週間後、原田が私を訪ねてきた。
「やっと内定いただけました! 先生のおかげです。ありがとうございました。」
ご丁寧に菓子を持って礼にきてくれた。
「原田、いいか?」
原田は気をつけをして、話をじっくり聞く体勢をとった。
「最後の練習で言ったとおり、お前の勝負はここからだ。これからの学校生活で、働く中で、本当にやりたいことを見つけてほしい。」
原田はとびきりの笑顔で「はい」と元気よく返事をした。
「やりたいこと見つけたら、先生にご報告にきますね!」
私は見かけ上笑顔を作って送り出した。そして心には、じんわりと後ろめたさが染みた。
きっと原田がやりたいことを見つけたときに、私は南風館にも北海道にも居ない。夢を応援しておいて、見届けられないのは無念である。
虫の知らせか、少し早めに帰宅すると、小さな茶封筒が入っていた。
「仙台市教育委員会」
帰郷に向けて受け直していた仙台市の教員採用試験の結果だ。残念なことに、この大きさには見覚えがあった。
「誠に申し訳ありませんが、厳正なる審査の結果…。…皆様のご多幸をお祈り申し上げます。」
何度も見た不合格通知だった。原田の進路が決着したかと思えば、私の進路が危うくなってしまった。危うく、というか白紙だ。学校には何も言ってないから、このまま南風館で働くこともできるが、なぜか、そうはしない気がした。
「本当にやりたいことは、なんなんだ?」
原田と同じことを自分に問いかける。
たぶん、北海道でできることはもうやり尽くしている。いずれは仙台に戻ること、あわよくば両親を孫に会わせることが私のささやかな夢だった。いや、今も私の夢だ。
仕事がなければ仙台に帰ってはいけないのか? いや、まだ見つからなくても、今ならたとえ教員にはなれなくても、仕事は選ばなければあるはずだ。
見慣れた不合格通知を見つめながら、取り得る手段を5つも8つも考えていた。
ブルルル、ブルルル。
突然携帯が鳴った。こんな時間に誰だろうか? 画面には090から始まる携帯番号。しかし登録はしていない人らしい。とりあえず、出てみると、懐かしい声がした。
「タカちゃん、元気? めぐみだよ! 大学のゼミで一緒だっためぐですよー!」
そうか。何年か前に携帯を買い替えた際、連絡先を入力し忘れたのが何件かあったらしい。
めぐみは言っているとおり、大学のゼミで同期だった。仙台の私立高校の講師を何校か経験して、たしか、何年か前にそのうちの1校に正式に採用されていた。
「やー、いきなりなんだけどね、結婚することになったんだよね。」
そうか、もう我々も35歳。結婚式はもう何年も出ていないが、ついにこれで最後の結婚式かもしれない。
「おめでとさん。」
「いや、私じゃないし。独身ですが、何か?」
いや違うのかい!
話をまとめると、結婚するのはめぐみの同僚で、英語の教員らしい。年は我々より少し若いくらいの男性で、国際結婚らしく、結婚後の4月からはフィアンセの国、イギリスで新生活にのぞむらしい。つまり、彼のぶん、英語の教員に空きが出るから、代わりの教員を探しているというわけだ。
「誰かいい人いない? って聞かれたんだけど、できれば男性教員がいいんだって。まあ、男女バランス的に。男の人なら男の子に聞くのが1番かなぁと思って。どう?」
「うん。」
「え、まじ? ありがとう。助かるわ〜。」
反射的に返事をした。虫の知らせはいい知らせも運んでくれたらしい。
「その子の連絡先、学校に教えていい?」
「『その子』って俺じゃダメ?」
「え!! タカちゃんは北海道でしょ!」
そうだ。私が仙台に帰るつもりだとは、言っていなかった。事情を説明し、連絡をもらえるよう頼んだ。
10年も働いていながら採用試験に落ちたのは残念だが、働き口がツテで見つかった私は幸せ者だ。めぐみが電話をくれたのも、大学時代、それなりに仲良くしていたからだろう。
仙台の採用試験を受け続けるか、私立で勤め続けるか。それは働きながら考えればいい。きっと原田と同じで、働きながら私の生きたい道は見つかるものなのだろう。
それにしても、春からはめぐみと同僚か。かつての同級生と一緒に働くのも初めてだ。嬉しいような恥ずかしいような。あの頃から成長していなかったら、バカにされてしまうな。ははは。
新天地が決まったも同然で、未来の自分に、頑張ろうとする自分に、エールを送った夜だった。
原田祐美。たしか吹奏楽部でファゴットという珍しい楽器を吹いている副部長だ。学業もすごく良くはないが、悪くもない。そんな彼女がなぜ2社も落とされたのか。それはまさに緊急事態だった。
「地元に貢献したい」
彼女がこの食品加工会社にむけ、用意してきた志望動機がこれだ。たぶん担任に言わされているのだろう。まったく整合性がない。いままで受けたのが、札幌と東京の企業で、たぶん部活の延長的な活動がしたかったのだろう。受からないからといっても、ここまで落とすか?
今日のところは自分ともっと向き合うよう言って、切り上げることにした。
「佐田先生、3Cの原田はどうして南食品を受けさせたんですか?」
担任の佐田先生にことの経緯を確認した。どうやら佐田も原田がここまで「残って」いることは想定外だったらしい。
「いやー、本当は推薦で大学に入れてもいいくらいの生徒なんですが、就職って譲らなくて。」
どうやら「就職」というのは本人の意志というよりは、保護者の方の意志らしい。かといって本人になにか意志があるのかといっても、微妙らしい。
最初の2社は、本人の意志で決めた企業だろう。だが、我が校の生徒にはハードルが高すぎる。2社目の時点で堅実なところを紹介できていれば、もっと選択肢はあっただろうに。
「彼女にはもったいないですが、原田は南食品で一生頑張ってもらうしかありませんね。」
ああ、また私はカチンときてしまった。
しかし私も成長する。もう無駄な無意味な波風は立てないよう、秘密裏にことを運ぶことにした。
たぶん、原田がやりたいことは南食品にはない。ただ、これだけ親や教員の言いなりとなってしまっているなら、将来「違う」と思っても辞められないのではないか。
だとしたら、いまの、最終面接練習者としてできることは、辞めるということについたネガティブなイメージを取り除くことではないか。
だから、練習で「受かって、辞めるべきだ」と断言した。そう言ってくれた大人が1人でも居たなら、この先彼女は自分の意志を得たときにその通り行動できるのではないかと考えた。
面接練習を終えた、というか終わらせた原田はなんとなく清々しい表情だった。
「河野先生!」
約2週間後、原田が私を訪ねてきた。
「やっと内定いただけました! 先生のおかげです。ありがとうございました。」
ご丁寧に菓子を持って礼にきてくれた。
「原田、いいか?」
原田は気をつけをして、話をじっくり聞く体勢をとった。
「最後の練習で言ったとおり、お前の勝負はここからだ。これからの学校生活で、働く中で、本当にやりたいことを見つけてほしい。」
原田はとびきりの笑顔で「はい」と元気よく返事をした。
「やりたいこと見つけたら、先生にご報告にきますね!」
私は見かけ上笑顔を作って送り出した。そして心には、じんわりと後ろめたさが染みた。
きっと原田がやりたいことを見つけたときに、私は南風館にも北海道にも居ない。夢を応援しておいて、見届けられないのは無念である。
虫の知らせか、少し早めに帰宅すると、小さな茶封筒が入っていた。
「仙台市教育委員会」
帰郷に向けて受け直していた仙台市の教員採用試験の結果だ。残念なことに、この大きさには見覚えがあった。
「誠に申し訳ありませんが、厳正なる審査の結果…。…皆様のご多幸をお祈り申し上げます。」
何度も見た不合格通知だった。原田の進路が決着したかと思えば、私の進路が危うくなってしまった。危うく、というか白紙だ。学校には何も言ってないから、このまま南風館で働くこともできるが、なぜか、そうはしない気がした。
「本当にやりたいことは、なんなんだ?」
原田と同じことを自分に問いかける。
たぶん、北海道でできることはもうやり尽くしている。いずれは仙台に戻ること、あわよくば両親を孫に会わせることが私のささやかな夢だった。いや、今も私の夢だ。
仕事がなければ仙台に帰ってはいけないのか? いや、まだ見つからなくても、今ならたとえ教員にはなれなくても、仕事は選ばなければあるはずだ。
見慣れた不合格通知を見つめながら、取り得る手段を5つも8つも考えていた。
ブルルル、ブルルル。
突然携帯が鳴った。こんな時間に誰だろうか? 画面には090から始まる携帯番号。しかし登録はしていない人らしい。とりあえず、出てみると、懐かしい声がした。
「タカちゃん、元気? めぐみだよ! 大学のゼミで一緒だっためぐですよー!」
そうか。何年か前に携帯を買い替えた際、連絡先を入力し忘れたのが何件かあったらしい。
めぐみは言っているとおり、大学のゼミで同期だった。仙台の私立高校の講師を何校か経験して、たしか、何年か前にそのうちの1校に正式に採用されていた。
「やー、いきなりなんだけどね、結婚することになったんだよね。」
そうか、もう我々も35歳。結婚式はもう何年も出ていないが、ついにこれで最後の結婚式かもしれない。
「おめでとさん。」
「いや、私じゃないし。独身ですが、何か?」
いや違うのかい!
話をまとめると、結婚するのはめぐみの同僚で、英語の教員らしい。年は我々より少し若いくらいの男性で、国際結婚らしく、結婚後の4月からはフィアンセの国、イギリスで新生活にのぞむらしい。つまり、彼のぶん、英語の教員に空きが出るから、代わりの教員を探しているというわけだ。
「誰かいい人いない? って聞かれたんだけど、できれば男性教員がいいんだって。まあ、男女バランス的に。男の人なら男の子に聞くのが1番かなぁと思って。どう?」
「うん。」
「え、まじ? ありがとう。助かるわ〜。」
反射的に返事をした。虫の知らせはいい知らせも運んでくれたらしい。
「その子の連絡先、学校に教えていい?」
「『その子』って俺じゃダメ?」
「え!! タカちゃんは北海道でしょ!」
そうだ。私が仙台に帰るつもりだとは、言っていなかった。事情を説明し、連絡をもらえるよう頼んだ。
10年も働いていながら採用試験に落ちたのは残念だが、働き口がツテで見つかった私は幸せ者だ。めぐみが電話をくれたのも、大学時代、それなりに仲良くしていたからだろう。
仙台の採用試験を受け続けるか、私立で勤め続けるか。それは働きながら考えればいい。きっと原田と同じで、働きながら私の生きたい道は見つかるものなのだろう。
それにしても、春からはめぐみと同僚か。かつての同級生と一緒に働くのも初めてだ。嬉しいような恥ずかしいような。あの頃から成長していなかったら、バカにされてしまうな。ははは。
新天地が決まったも同然で、未来の自分に、頑張ろうとする自分に、エールを送った夜だった。