地区代表って、神様は私のことを甘やかしているんじゃないかと思った。そして、意地悪だなぁとも思った。
 実は地区大会で、部活は一区切りつけようかなぁと、内心思っていた。9月に定期演奏会はあるけど、9月といえば就活一色の時期。成績がたいしていい方でもない私は、必死に頑張らないと内定はいただけないことくらい、わかっているつもりだった。

 「そうか、進路も大事だもんね。」

 顧問の小寺先生に、相談すると、まずは理解を得られた。

 「でも、いまの部活にとって、祐美は抜けちゃいけない存在だと思うんだよね。」

 先生が言うことも、一理ある。明希の停学でバラバラになった部活を立て直したのは、自分で言うのもなんだけど、私だ。チームとして成長していくには、求心力となり、メンバーシップを発揮する原動力としての私の存在が重要度を増してくる。

 「せっかく支部大会出れるのに、ここでやめちゃう?」

 先生の発言にドキッとした。
 支部大会は誰でも出れるものじゃない。歴代の先輩方も目指しては散っていった。出るか出ないかの選択肢があること自体、恵まれているのだろう。できるのにやらないのは、逃げなんじゃないか、とも思う。

 「正直、困っています。部活も頑張りたいけど、私の人生にも、自分で責任もたないといけないなぁって思います。」

 3時間に及ぶ面談の末、出した答えは「支部大会まで部活に参加する」だった。

 私が出した条件は1つ。支部大会までの部活は進路活動を最優先として、合奏など、時間を取られる活動には欠席させてもらうこと。
 先生が出した条件は2つ。1つ目は支部大会までは合奏に出れなくても毎日顔を出してほしいこと。2つ目は支部大会後の定期演奏会で私が吹いているパートを誰が吹くか指名すること。
 私は先生の条件をのんで、ギリギリまで部活に出ることを選択した。

 「じゃあ、祐美。話して。」

 支部大会の後、2つ目の条件、「私が吹いているパートを誰が吹くか」を先生に伝えると、すぐに2人まとめて呼ばれた。

 「明希、申し訳ないけど、私、ここで部活を引退しようと思うんだ。」

 「…。」

 「コンクールで私が吹いていたところ、代わりに吹いてもらえる?」

 明希は涙をためて、うなづいた。先生には「指名しろ」と言われたけど、楽器的に、メンバー的に、任せられるのは明希しかいなかった。楽器的に任せられるのは、バスクラリネットかバリトンサックス。バスクラリネットは明希と1年生の経験者がいるけど、バリトンサックスは初心者の1年生。今からパート変更ができるのは明希しかいなかった。

 「祐美さん、ごめんなさい。私、まだまだ祐美さんと一緒にやりたかったです。金賞、とりたかったです。」

 「私もとりたかった、のかな? 私は、部活を中途半端にして、本当に申し訳なかった。銀がとれたのは、明希たちのおかげだよ!」

 明希はなきじゃくりながら、現実を受け止めようとしていた。

 「金賞は、明希がとるんだよ! 私は内定とりにいく!」

 これが明希と話した最後の機会になった。
 9月の末に引退式があったが、就職試験と重なり、直前になって「欠席」と連絡した。

 後期に入り、教室には「内定おめでとう」の掲示がちらほら貼られるようになった。残念ながら、私はまだだ。もう2社も落ちている。「通常」であれば、1社目で内定が出る。万が一落ちても2社も受ければ引っかかるのが、南風館の「通常」だった。
 やばいのは私自身が痛いほど知っている。3社目に受けることにしたのは、地元の食品加工会社だった。1社目も2社目も、札幌や東京の大企業を受けて落ちたのだから、両親から「まだ受けるなら地元にいてほしい」と言われ、ここを受けることに決めたのだった。

 「で、お前は何がやりたいんだ?」

 面接指導にあたったのは英語の河野先生だった。授業は受けているけど、そんなに話す機会もなく、しゃべったことがない先生だった。

 「地元に貢献したいと…」

 「本当に地元に貢献したいやつは『こういう事業をとおして、この層の地元の方に、こういうことができるようになってほしい』ってくらい、具体的なんだよな。」

 先生の助言は的確だった。私には具体性が欠けていた。そもそも、地元に貢献したいというのは、担任に言われてつけた理由だ。

 「面接うんぬんは置いておいて、お前が本当にやりたいことは、なんなんだ? それを見つけられないと、面接練習を通すわけにはいかない。」

 今日のところは練習中止となり、「もっと自分と向き合いなさい」と言われてしまった。

 私が本当にやりたいこと。ぶっちゃけ言ってしまえば部活だ。もっとファゴットが上手くなりたいし、仲間と上を上を目指して強いチームを作りたい。
 1社目に受けたのは東京のイベント企画会社。仲間ともっと楽しいイベントを企画運営していくところが、部活的な楽しさにつながるかな、と思って、勇気を出して応募した。ちょっと高望みしていたけど、やはり落ちてしまった。
 2社目は札幌の楽器店。楽器に触れていられるのは幸せかな、と思って受けたけど、やはり落ちてしまった。
 今受けている食品加工会社は、正直、私がやりたいことは何もカスっていない。地元に残ってほしいという両親を説得できなかった私が悪い。「もうここしか残っていない」という状況になるまで、就活を長引かせた私が悪い。残念ながら消去法的な選択だった。

 「札幌と東京と、受けるときにお家の方はなんと言っていたんだ?」

 翌日の練習は、練習の前に「志望動機の確認」と称した面談から入った。たしか、地元には残ってほしいけど、祐美が決めたことなら応援する…とかだったかな?

 「私は大反対されていたけど、大肯定されるようになったよ。」

 河野先生は自分の進路を語ってくれた。
 どうやら、先生は先生になれればどこでもいいと思って北海道と地元仙台とどちらも受けていたけどなかなか受からなかったらしい。やっと臨時教員のクチが見つかったのが北海道で、その時はご両親から反対されていたらしい。「どうせ臨時なら仙台でなんでもやれ!」と。
 臨時教員が影響したのか、北海道で正規教員が決まったときには「北海道の人に恩返ししてこい!」と、北海道で働くことを肯定してくれたようだ。

 「つまり、お前には私でいう『とにかく先生になりたい』のような強い思いが欠けている。だから2社も落ちて、行く気になれない企業を受けるハメになっている。」

 そうなんだ。その通りだ。

 私って実は何をやっても中途半端なんだ。他人のためなら頑張れるけど、自分自身のこととなると、どうも頑張りが効かない。自分のために頑張らなきゃと思って部活を辞めたけど、それで本当によかったのだろうか?

 「私の意見を言わせてもらうと、お前はこの会社に、是が非でも受かるべきだ。そして、やりたいことを見つけて、辞めるべきだ。」

 え? 会社って一度入ったら辞めないものなのでは? やりたいことはたしかにこの会社にはなさそうだけど、だからって辞めるべきって…。

 「『辞めたい』なんて、面接で言う必要はない。地元の食材で地元の人向けに商品を作って売って、そうやって自分を育ててくれた地元を知っていきたい。って言えばいいんじゃないか?」

 辞めるつもりで受ければ少しは気楽に、面接を受けられるかもしれない。先生は先生が答えを言っちゃうと、そのまま練習記録にサインをして合格にしてくれた。
 まだ内定が出ていなければ、試験も受けていないのだけど、これから見つける「私がやりたいこと」を見つけるのが、楽しみになってきた。