「失礼します!」

 青空高校の生徒にしては珍しく、威勢よく入ってきたのは1年生の赤川花菜さんだった。担任の今野先生に用事だろうか。佐藤智佳はきっとそうだろうと思い、授業準備に戻った。

 「佐藤先生に用事があって来ました!」

 「エ!」

 思わず声が出て、立ち上がってしまった。教師になって約2週間、いいのか悪いのか私のところにきた生徒はおらず、まったくの想定外だった。

 「佐藤先生、1年A組の赤川花菜です。私、中学校まで吹奏楽部でトランペットを吹いていたんです。」

 うちの生徒には珍しく、きちんと自己紹介をしてきた。もちろん、「お忙しいところすみません」とか「突然のお話で申し訳ありません」とかがあるとさらにいいが、1年生としては上出来だった。

 「実は、先輩たちに先生が吹奏楽経験者だと聞いて、来ました。佐藤先生、吹奏楽部の顧問になってくれませんか?」

 花菜さんの言葉は、たぶん、私が教師として、一番聞きたかった言葉だった。

 花菜さんは音楽への情熱を熱く語ってくれた。ずっと金管一筋で、トランペットがやりたいこと。楽器は持っていないこと。マーチもいいけど、洋楽アレンジやバラードも好きなこと。話を聞いているうちに、あの曲ができないか、この曲もやってみたい! と次々に案が浮かんできた。
 花菜さんと音楽の話をするのが心の底から楽しいと思えた。そして、この情熱を消してはいけないとも思った。
 私には笑顔で花菜さんを見送ることしかできなかった。

 今日は日本酒で晩酌をすることにした。ゴールデンウイーク前に開けようと思っていたワインもあったけど、今日は特別な日に開けようととっておいた宮城の日本酒にした。ただの連休前、なんでもない日だけれど、今日は特別な日になった。
 「吹奏楽部の顧問になってくれませんか?」と言われて、正直、即OKしてしまいそうだった。吹奏楽部の顧問になるのは教師になって叶えたい夢の一つだ。まさかこんなに早く達成されそうだなんて。でも、うまくはぐらかした。

 顧問をしたい気持ちはあふれんばかり。
 でも、今じゃない。
 来年はどうなる?
 そこに私はいない。

 顧問をできる人間が居なくなる。花菜さんが卒業するのは再来年。やるなら部活動でもここでできる精いっぱいで、最後までやりたくなるのではないだろうか。

 そこにはあと3年いる顧問が必要だ。

 来年も再来年も部活ができる期待を持たせながら、1年限定の部活をする。それは残酷すぎると思えてならなかった。
 初期部員すら引退させられないのに、充分に授業の仕事もできていないのに、顧問になる責任は私には持てない。花菜さんには何かをやりきって卒業してほしい。花菜さんだけではないのだけど。わかりやすいのは部活動だけど、それが部活である必要はない。

 そんな風に思い始めた、いや、思いこもうと思い始めた10連休前夜だった。