(千冬side)

月は出ているか。

ふと自分に向けて問いかけてみた。
なぜそんな問いをしたのか苦笑した、だってその答えは明白だから。
雲ひとつない夜空にきれいな新月が浮かんでいる。

窓の外に向けて掌を向けてみた。

ベッドの上に横たわる私の頬に、パジャマ姿の身体に。
きめ細かな月光が降り注いでいた。

デスクの上にはレポート用紙とボールペンが転がっている。
頑張ってこれを進めなければいけないんだ。

でも、今の気分は人恋しい。
こんな気持ちは久しぶりだった……。

そのまま眠ってしまった。

 ・・・

私は数え切れないほどのオーディションを繰り返し、歌手デビューの夢を果たした。

今日はスタジオに入ることになっている。
録音と雑誌取材の予定だ。
早めに家を出て、現場近くの駅にあるカフェチェーンを使うのは私のルールみたいなものだ。

味にこだわりがあるわけではないが、マイボトルを持っていくと数パーセントオフになるからよく利用している。
ホットコーヒーを注いでもらっていると、店内のラジオからミニコーナーが流れてきた。

「12月6日は音の日! 知っていましたか。
なんでも、エジソンが初めて蓄音機で録音した日とされていて……」

私はそれを聞きながら苦笑した。
これからCDの録音をするのだから。

いつも通り窓側の席に座り、ヘッドホンに耳を傾ける。
コーヒーを一口飲んで、少し目をつむった。

 ・・・

私は冬が好きだった。

冬の美しい情景が幾年も続きますようにというのが名前の由来だ。
それを聞いた小さい頃の私は、毎日雪だと楽しいなと喜んでいたんだっけ。

でも、唯一残念なのは、ケーキはひとつだけだったことだ。
誕生日がクリスマスに近いから、家族にはまとめて祝ってもらった。
私は毎回文句を言って困らせてしまっていた。

"隣りの芝は青く見える"じゃないけど、ケーキを2回食べられる子供が羨ましかった。
親の目を盗んで おやつ をたくさん食べた年もあった。
背が伸びるのが早い少女だったこともあり、体重は重めの秘密だった。

だから、クラスメイトに祝ってもらえるだけでとても嬉しかったんだ。

ある日、私は誕生日のプレゼントに手袋をもらった。
その時の言葉は告白染みたもので、この時に"春が来る"という言葉の意味を知った。
でも、それは男子同士の罰ゲームで、知ってしまった時は三日三晩涙で枕を濡らしたっけ。
その時にもらったプレゼントはゴミ箱に投げ込んだ。

プレゼントの包み紙がクリスマスカラーだったのだ。

それからというものの、赤と白と緑で彩られた街並みはどこにいっても同じ景色に見えてしまう。
毎年逃げることができない世界を思い出してしまう。
あのゲームに降り積もられて、埋没しそうだった。

小学生男子は残酷だな。

私の心を癒したのはバラードのCDだった。
静かなメロディーの中に響く歌声は。
まるで子供の頃に見た雪のようにしっとりとしていた。

お小遣いを貯めて、見よう見まねで安物のアコースティックギターを買った。
音楽に触れるときが一番好きな時間だった。

そんな私の大きな転機になったのが、はじめてリアルで見た女性歌手だった。

ある歌手が大学の学園祭でゲスト公演すると言うので、息抜きに見に行くことにした。
デビューしたてのようだし、特に期待してなかったのは秘密だ。

その歌声を聴いただけで。
そのたった一瞬で。
心を鷲掴みにされてしまった。

なんてきれいなんだろう……。

帰り道に<無邪気に舞う鳥のよう>なんて歌詞を口ずさんっけ。
私はプロの世界というものにすっかり魅了されてしまった。

いつか私も、歌声を届けられる存在になろうと決めた。
心を癒してあげたい。

 ・・・

携帯電話のアラームが私の意識を現実に戻した。

いつの間にか、そろそろ向かわないといけない時間になっていた。
マグの蓋を閉めて席を立つ。

空の色はねずみ色のように重く、身体の芯まで冷えそうな空気になっていた。

雪でも降ればいいのにな。
そうすれば不安もわくわくに変わるだろう。

CDは売れるだろうか、緊張していないと言えば嘘になる。
スタジオで録音するのは、私の偽物の声だ。
それが世界へ広まっていく。

本物の歌声は、私が歌う声。
私が弾き語りで伝えるものこそ。

こう思うことがあると明かすと、マネージャーに怒られるだろうか。

いつまで続けられるか自信があるわけではない。
ヒットチャートに追われる日もあるだろう。
でも、私は第一歩に立てているんだ。

無邪気に飛ぶ鳥のように、ギターを構えて歌い続けたいと思う。