彩~清か色の日常、言葉のリボン

(秋華side)

私はナースセンターの椅子にもたれ掛かって瞳を閉じた。

今日の気分は物憂げだった。
この間のオートテニスでの出来事が尾を引いている。
体が全く動かなったのがショックで、日々の疲労感はあれほどのものかと思い悩んでいた。

たかがテニスで、という人もいるだろう。
でも私にとっては趣味のひとつで、ストレスを発散できる唯一の方法だ。
水の入った紙コップをテーブルに置いて、うとうとしてしまう。

色々と向いてないのだろうか……。

私の眠気を打ち飛ばしたのは、ナースコールのサインだった。
急いで病室へ向かうと、そこに居たのは同僚だった。
どういうことだろうか。

私は不謹慎ながらも首を横に傾けそうになった。
彼女は急いで言った。

「巡回に来たら、心拍数が乱れているのに気づきました。
反応も無いので命が危ないと思ったのです」

ナースコールを押したのは、その方が連絡が早かったということだ。
一瞬の間もなく、先輩が素早い判断をする。

「蘇生の準備をします、そこの貴方は医師を呼んできてください。
周りは準備をしてくださいね」

その場にいる皆が慌ただしく動き出した。

この患者は身寄りがいないのだ。

私も少し会話をしたことがある。
それを思い出してしまうと、可哀想という感情が先立ってしまった。
いつの間にか立ち尽くしてしまう。
先輩がピシャリと叱ってきた。

「ほら、秋ちゃん。
あなたも動きなさい」

そうだ、私も準備をしないと。
急いで動き出した。

蘇生の結果は意味を成さなかった。
脈拍は戻ることなく、心拍センサーの虚しい音だけが病室の中にこだましていた。
皆はそれに介することなくテキパキと作業を続ける。

どうしてだろう。

この方は亡くなったのに、弔わないのかなあ。
私はまたピシャリと叱られた。

「秋、しっかりとしなさい」

不甲斐ないことに、私は指示を仰ぐことしかできなかった。
やがて、患者さんの家族が来ても。
私は話をすることもできず、黙々と作業をこなすしかなかった。

こんな虚しい世界だとは思わなかった。
向いてないのだろうか……。

 ・・・

今日は夜勤だから、まだやるべき仕事がある。
コンビニで買ったレーズンパンを食べていても、まだ気分は晴れなかった。

「休めるときに休む、か……」

わたしは思い立った言葉を口にした。
今やっと、その意味を少しだけ分かった気がする。

「よく分かっているじゃないか」

声の方を見上げると、先輩がやってきた。
彼女はペットボトルのお茶を差し入れしてくれる。
お疲れ様、という意味だった。

「お茶は気分が休まるぞ」

私はペットボトルに視線を合わせた。
その視界の中で揺れた茶葉はまるで穏やかな海のように。
私の心をゆっくりと言葉にさせた。

「私、あんなこと初めてで……なにもできずにすみませんでした」

「いつ何をするのか分かればいいんだよ。
私の指示はこなしただろう」

それを聞いて私は先輩の方を見上げる。

「仕事が終わった後にでも、きちんと悲しんであげようね」

……それが命を守る人々の役目だよ。
その言葉を聞いて目から涙が溢れそうだった。
だから顔を隠すようにして立ち上がって、巡回してきますって答えたんだ。

 ・・・

顔を洗った私は春の女の子の病室へ向かった。

彼女の退院は遠のいている。
先日どういう訳か激しく足を動かしたらしく、リハビリの経過も悪くなっていた。
私にも原因についてか話してくれなかった。


消灯の時間だけど、その姿はまだ起きていた。
彼女のベッドに近づいて、布団をかけてあげようとする。

「ほらほら、早く寝なさいね」

「……ねえお姉さん、お話して」

え?
彼女は小さい声でお願いをしてきたのでした。

「眠れないんです、何かお話してください」

甘えられてしまった私は吹き出しそうになった。

いいわよ、と私は窓のガラスを背に向けて立った。
しばし考えを巡らせて、小さい頃の話でもしてあげようと思いついた。

昔々、あるところにテニスが好きな女の子がいました……。

・・・

次の非番の日、私は再びオートテニスのコートに立っていた。

今日は勝負に来たつもりだ。
球を全部相手コートに返したら、春ちゃんは助かるんだ。

そう気持ちを込めて、ルーティンのポーズを取った。

テニスボールマシンが稼働して、ボールを投げてきた。
私は余裕で跳ね返す。

今日も身体が軽いわけではないようだ。
それでも次から次へボールを相手コートに返していく。

……さあ、どんどん来なさい。

そう思いながらも、身体が疲れて重くなってきている。
脚がもつれそうなのを無理して動かす。

それでも、あと一球を返したい! これですべてコンプリートできるんだ。

もう満身創痍だった……。
疲れて悲鳴を上げそうな身体を思いっきり動かしてみる。
最後の一球を相手コートに返すことができた、

私は達成することができたんだ。
すべてのボールを相手コートに打ち返していた。

やったあ!

汗ばんだ身体に吹く風が気持ち良かった。