(詠夏side)

今日も喫茶店の扉を開ける。

10月になって、行き合いの空はだいぶ秋めいてきた。
日差しは未だ強くても、街中に流れる風は少し冷たくなっている。
視界の先では桐の葉が一葉落ちた。
これが、残暑の終わりという空気感だろう。

ちょっと肌寒い日だけど、正面のドアを開けておこう。

今日もお客様がくる気配がない。
ドアに付けた風鈴は揺れず、代わりに引いているレースのカーテンが揺れていた。
コーヒーの日に合わせて準備した、豆の小袋は無駄になるかもしれないけれど。
まあ、道楽だから関係ないか、なんて思い直した。

自分が飲む分だから、と小袋のひとつを開けてグラインダーにセットする。
少しミルクを入れようかと冷蔵庫を開けた途端、自分のために考えた企画みたいだなと苦笑した。

そういえば、大量のミルクを入れてコーヒーを飲んでいた客がいた。
春の女の子だ。
彼女はここ数週間来ていなかった。

コーヒーカップの中をスプーンで混ぜながらふと考える。

彼女は自分のことについて語ることはあまりない。
私が言うことを聴いて楽しんでいる感じだった。
まるで、私の台詞を心地良い音楽にして聴いているみたいな。

それでいて、学校や身近であった出来事は楽しそうに話すのにな。

でも、なにか足りないような感じがする。
このお店よりも、学校よりも、もっと近い存在……。

それは、血のつながりを示す言葉。


そのとき、レジに置いてある電話が鳴った。

「はい、<セプトクルール>です。
お電話ありがとうございます」

相手はとても小さい声で電話していたから、思いっきり受話器を耳に押し当てないと相手の声が聞こえてこなかった。

「あの……聞こえますか?
お電話してしまってすみません」

電話したのは誰でもなかった。
春の女の子だったのだ。

……その時、冷たい風がドアの風鈴を鳴らした。

 ・・・