彩~清か色の日常、言葉のリボン

(秋華side)

私はナースセンターに戻ってきた。
席に座りながら、あの患者さんがお昼ご飯を食べないのですよ、と愚痴をこぼした。
誰に向けて言ったわけでないのだけど。

「あの高校生の子?
ダイエットかしらねえ」

先輩は書類から目を離さずに言った。
眼鏡の中で目を細めている。

「でも、線の細い子だし、さらに痩せたら危ないっていうか」

それが春ちゃんに対する私の印象だ。
身長はよくある女子の高さだけど、健康診断で"痩せすぎ"と診断されそうな感じだ。
さらに細くなったら大丈夫だろうか。

今日のナースセンターは不思議と静かで落ち着いている雰囲気だった。
私はちょっと困ってしまう。
気分をまき散らかそうとウォータサーバーのスイッチを押した。
思わず紙コップの中に水が溜まっていくのを見てしまう。

ふとテニスの素振りをしてみる。
イケてるだろうか、まだまだフォームはきれいなハズだ。

看護師には毎日こなすタスクが山のようにある。
私は動いてないと落ち着かない性格だから、ちょっとの隙間でも困ってしまう。
先輩が私の方を見て言った。

「いつも言っているでしょ、分かってる?」

「はい、”休めるときに休む”ですね」

なんだか彼女の眼鏡の奥が光ったような気がした。
それを感じると、思わず直立しながら答えてしまう。
正直な話、明日の非番だって申し訳なく感じるよ。

 ・・・

次の日、私はテニスコートの上に立っている。

ここは、家から近くにあるスポーツセンターだ。
屋外のオートテニス施設があるので、存在を知ったらすぐに会員登録をした。
でも、活用したことはあまりなく、来るのも数ヶ月ぶりだった。

濃紺のラインが入った白いTシャツとオレンジのキュロットスカートは私のお気に入りの勝負服だ。
それを少しの風が揺らしている。
そして、腕を伸ばしてラケットをテニスボールマシンの方に向けた。
まるでにらみつけるように、しっかり視線を相手に定めた。

これは私が毎回やっているルーティンだ。

マシンが稼働して、ボールを投げてきた。
私は余裕で跳ね返す。

簡単じゃないか!
私は次から次へとボールを相手コートに返していった。

さあ、どんどん来なさい!

やっぱり身体を動かすのは楽しいなって思う。
もっと、もっと動きたいな……。


……そんなことを考えていると、急に体が重くなった。
あとちょっと腕を伸ばすとボールを返せるのに、寸前のところで掠めてしまう。

そのうち、足が上手く運ばなくなった。
私は焦ってしまった、明らかにペースがおかしくなっている。

まるで、相手に成すがされるままだ。

テニスボールマシンの最後の一投が飛んできた。

それは私の頬を掠めていき、その辺に転がった。
あと数ミリずれていたら顔に直撃だっただろうな。

……私の気持ちは一瞬で冷めた。

もっと動けるはずだったのに、すべて打ち返してやるつもりだったのに。

身体が鈍ったのか、最近の疲労が溜まっていたのだろうか……。

その場に立ちつくす私を冷たい風が撫でる。
やりきれない思いがこみ上げた。

 ・・・

ベンチに座って休憩を取ることにした。
スポーツドリンクを頬に当てて冷やしている。

視線の先には高くなった空に黄色くなりかけた木々があった。
仕事ばかりだったから、季節を感じることが少なくなっているな。
ふと、秋麗なんて言葉があるのかもしれないと思った。

「そうか、もう秋のシーズンなんだな」

私の名前に<秋>が含まれているのは、当然秋に産まれたからだ。
安直な親だなって思うから好きな名前じゃない。

私は小さい頃から身体を動かすのが大好きな少女だった。
テニスとの出会いは中学生で部活に入ったからだ。

そして、良いクラスメイトと出会った。

でも、それはある出来事をきっかけにみんなとは離れてしまう。

私は看護師になる決意を固めたら親はびっくりしてたっけ。
でも、勉強に比例してテニスをやる時間は減っていったな

部活動をこなすのが精一杯だった。

社会人になってからはほとんどテニスをしなかった。
物理的な時間が少ないのはもちろんだけど、家に居る方が体力を回復する気がしたんだ。

社会の波に飲まれて、色々失う……。
どこにでもある話だなって思った。

私は空を見ながら、溜まっていたものを出すようなため息をついた。

秋は物憂げな季節だなって思う。
春や夏は華やかだけど、秋になると少しずつ寒くなっていく、
そうして孤独を感じるんだ。

まるで、テニスで遊ぶのに相手が必要なことのように……。

「仕事、止めようかなあ」

ポツリと呟いた。

 ・・・

シャワーを浴びながら、私は最近入院した女の子のことを思い返していた。
彼女はいつも物憂げに窓の外を眺めているっけ。

<春>が付いた名前なんて珍しいなあ。
まるで、みんながここにいるみたいだ。
……夏も、冬も、元気にしてますか。

秋はここにいるよ。