(詠夏side)
私はテーブルの上で会話に花を咲かせている。
よくしゃべり、相手の話を聞き入れて。
たまにふっと考える仕草になり、また笑う。
その表情につられて、私もつい"素"の笑顔をつくる。
喫茶店には珍しくお客様がいらっしゃった。
私は他の客が来ないことをいいことに、キッチンを出て相手の正面に腰かけている。
彼とは一週間前に再開した……。
あの夏祭りがあった日、浴衣姿の私は声を掛けられた。
「あの、夏さんですよね……」
彼は大学時代の友人だ。
半袖のTシャツにカジュアルなシャツの組み合わせ。
年齢より少し若く見える笑い方。
昔と全く笑っていなかった。
「あら、お久しぶりです」
振り返った私の姿を見た彼は、やっぱりそうかと頬を喜ばせていた。
その日は軽く挨拶だけ済まそうと思って、お店の名刺を渡して別れたんだ。
・・・
カウンター席の拭き掃除をしていると、ふいに彼のことを思いだした。
もしかしたら、お店に来るのかな。
すると、ドアの風鈴がチリンと鳴って来客を告げた。
お客様というのが、まさしく彼だった。
「こんにちは、来ちゃいました。
……お邪魔じゃないかな」
「いいえ、構いませんよ」
彼は律儀な性格だから、いつかは来ると思っていた。
だけど、有名店のアップルパイを持ってきたのは予想の遥か上をいった。
「……近々誕生日ですから」
テーブル席の上にはお互いのアップルパイとホットコーヒーが並んでいた。
大学の講義やサークルの話になると盛り上がり、つい夢中になってしまう。
自分のコーヒーは冷めてしまいそうだった。
彼はプログラミングをしたいと言って毎日勉強していた。
座学では、彼は一番前の席に早々と座っていた。
勉強のひとつとして、喫茶店のウェブサイトを試しに作ってくれたこともあった。
コツコツと勉強をこなす姿に好感を持ったのは今でも覚えている。
「今は小さい会社でブログのプログラミングをしてますよ」
彼の近況を聞くだけでも、なんだか楽しかった。
毎日勉強なのだという。
「夏さんの方はどうですか?」
私はちょっと考えてから答えた。
「順調とはいかないけれど、楽しくやっていますよ」
お客さんが来ないのです、と不安を告げたら彼は笑って吹き飛ばした。
「楽しくやるのが一番ですよ」
彼の口癖は変わっていなかった。
いつの間にか夕方を指していた、今日は楽しい一日だったな。
・・・
それからしばらくした日、ドアのガラス越しに人影があるのに気づいた。
その姿はまったく動くことなく。
なんだか時間だけが過ぎていくような気がした。
だから、私はそっとドアに近づいて……さっと開けてみた。
それは春の女の子だった。
たぶん、ドアを開けようとしていたのだろう。
こちらに倒れるような彼女を、思わず自分の胸で受け止めるような形になった。
しばらくして身を離した彼女は頬を赤く染めて困っていた。
「……えっと、あのう」
「ひとつ質問があります……。
あなたはお客様でいらっしゃいますか?」
彼女はコクリと首を縦に振る。
「ちょっと散歩の途中に寄ったんですけど。
少し勉強しようかと思って、でも、ここでどうしようか迷っちゃって」
なるほど。
あまり客が来ないこの店に来てくださるだけで嬉しいものだ。
・・・
水色の上下合わせたシンプルな服装は実に似合っている気がした。
私は春の女の子を4人掛けのテーブル席に通した。
ゆっくり使ってくださいね、とそこにメニューを差し出しておく。
彼女は中も見ずにアイスティーを注文してくれた。
もしかしたら、彼女は紅茶のほうが嬉しいのかもしれない。
アイスティーを持っていくと、春の女の子は英和辞書をパラパラとめくっていた。
その姿に声を掛ける。
「もしかして、授業の予習ですか」
「はい、これをやっておかないと授業が分からないから」
そうか、私が受けた時と同じような授業のようだ。
だから、私は人差し指をピンと立ててヒントを出した。
「辞書を引くときは、意味だけを見ちゃだめですよ。
そこに例文があるからそちらを合わせて確認するのです。
例文を読むのが楽しくなればなるほど、スラスラと頭に入っていきますよ」
「そうなんですね。
あまり読んだことないかなあ」
「あと、余裕があれば清書する用のノートをつくると良いかもしれません。
重要な単語や意味は赤で、構文は緑で書くなどカラフルにすると読みやすいです」
まるで小さな講座になっていた。
「……お姉さんは、英語が得意だったの?」
私は手をあごに添えてちょっと引いて考えた。
そうでもなかった気がする。
「これといって不得意な科目はなかったかなあ。
才女なんて言われたけど、私はうーんって感じだったわ」
学校生活では色々活躍する場面はあった。
学祭のピアノを弾いたりしたこともあったけどどれも微妙だった。
「私は君の年くらいにはお店を開こうと思ってたの。
だから、色々出来たとしても必要かどうかって言われると別の話。
将来やりたいことを見つけたときに、そこに向けて伸びしろを作れるかが大事よ」
すべてできないといけないのは人生にとって皮肉だろう。
今この瞬間でもいいから興味のあることに注力をするべきだろう。
私はこう考えている。
すると、ドアの風鈴がチリンと鳴って来客を告げた。
まさしく、彼がやってきたのだった。
私は嬉しくなって彼のところに向かっていった。
彼が告げる言葉が、私の心を締め付けることになる……。
私はテーブルの上で会話に花を咲かせている。
よくしゃべり、相手の話を聞き入れて。
たまにふっと考える仕草になり、また笑う。
その表情につられて、私もつい"素"の笑顔をつくる。
喫茶店には珍しくお客様がいらっしゃった。
私は他の客が来ないことをいいことに、キッチンを出て相手の正面に腰かけている。
彼とは一週間前に再開した……。
あの夏祭りがあった日、浴衣姿の私は声を掛けられた。
「あの、夏さんですよね……」
彼は大学時代の友人だ。
半袖のTシャツにカジュアルなシャツの組み合わせ。
年齢より少し若く見える笑い方。
昔と全く笑っていなかった。
「あら、お久しぶりです」
振り返った私の姿を見た彼は、やっぱりそうかと頬を喜ばせていた。
その日は軽く挨拶だけ済まそうと思って、お店の名刺を渡して別れたんだ。
・・・
カウンター席の拭き掃除をしていると、ふいに彼のことを思いだした。
もしかしたら、お店に来るのかな。
すると、ドアの風鈴がチリンと鳴って来客を告げた。
お客様というのが、まさしく彼だった。
「こんにちは、来ちゃいました。
……お邪魔じゃないかな」
「いいえ、構いませんよ」
彼は律儀な性格だから、いつかは来ると思っていた。
だけど、有名店のアップルパイを持ってきたのは予想の遥か上をいった。
「……近々誕生日ですから」
テーブル席の上にはお互いのアップルパイとホットコーヒーが並んでいた。
大学の講義やサークルの話になると盛り上がり、つい夢中になってしまう。
自分のコーヒーは冷めてしまいそうだった。
彼はプログラミングをしたいと言って毎日勉強していた。
座学では、彼は一番前の席に早々と座っていた。
勉強のひとつとして、喫茶店のウェブサイトを試しに作ってくれたこともあった。
コツコツと勉強をこなす姿に好感を持ったのは今でも覚えている。
「今は小さい会社でブログのプログラミングをしてますよ」
彼の近況を聞くだけでも、なんだか楽しかった。
毎日勉強なのだという。
「夏さんの方はどうですか?」
私はちょっと考えてから答えた。
「順調とはいかないけれど、楽しくやっていますよ」
お客さんが来ないのです、と不安を告げたら彼は笑って吹き飛ばした。
「楽しくやるのが一番ですよ」
彼の口癖は変わっていなかった。
いつの間にか夕方を指していた、今日は楽しい一日だったな。
・・・
それからしばらくした日、ドアのガラス越しに人影があるのに気づいた。
その姿はまったく動くことなく。
なんだか時間だけが過ぎていくような気がした。
だから、私はそっとドアに近づいて……さっと開けてみた。
それは春の女の子だった。
たぶん、ドアを開けようとしていたのだろう。
こちらに倒れるような彼女を、思わず自分の胸で受け止めるような形になった。
しばらくして身を離した彼女は頬を赤く染めて困っていた。
「……えっと、あのう」
「ひとつ質問があります……。
あなたはお客様でいらっしゃいますか?」
彼女はコクリと首を縦に振る。
「ちょっと散歩の途中に寄ったんですけど。
少し勉強しようかと思って、でも、ここでどうしようか迷っちゃって」
なるほど。
あまり客が来ないこの店に来てくださるだけで嬉しいものだ。
・・・
水色の上下合わせたシンプルな服装は実に似合っている気がした。
私は春の女の子を4人掛けのテーブル席に通した。
ゆっくり使ってくださいね、とそこにメニューを差し出しておく。
彼女は中も見ずにアイスティーを注文してくれた。
もしかしたら、彼女は紅茶のほうが嬉しいのかもしれない。
アイスティーを持っていくと、春の女の子は英和辞書をパラパラとめくっていた。
その姿に声を掛ける。
「もしかして、授業の予習ですか」
「はい、これをやっておかないと授業が分からないから」
そうか、私が受けた時と同じような授業のようだ。
だから、私は人差し指をピンと立ててヒントを出した。
「辞書を引くときは、意味だけを見ちゃだめですよ。
そこに例文があるからそちらを合わせて確認するのです。
例文を読むのが楽しくなればなるほど、スラスラと頭に入っていきますよ」
「そうなんですね。
あまり読んだことないかなあ」
「あと、余裕があれば清書する用のノートをつくると良いかもしれません。
重要な単語や意味は赤で、構文は緑で書くなどカラフルにすると読みやすいです」
まるで小さな講座になっていた。
「……お姉さんは、英語が得意だったの?」
私は手をあごに添えてちょっと引いて考えた。
そうでもなかった気がする。
「これといって不得意な科目はなかったかなあ。
才女なんて言われたけど、私はうーんって感じだったわ」
学校生活では色々活躍する場面はあった。
学祭のピアノを弾いたりしたこともあったけどどれも微妙だった。
「私は君の年くらいにはお店を開こうと思ってたの。
だから、色々出来たとしても必要かどうかって言われると別の話。
将来やりたいことを見つけたときに、そこに向けて伸びしろを作れるかが大事よ」
すべてできないといけないのは人生にとって皮肉だろう。
今この瞬間でもいいから興味のあることに注力をするべきだろう。
私はこう考えている。
すると、ドアの風鈴がチリンと鳴って来客を告げた。
まさしく、彼がやってきたのだった。
私は嬉しくなって彼のところに向かっていった。
彼が告げる言葉が、私の心を締め付けることになる……。