(ゆうside)

紫陽花はきれいな花だなって思う。

白、青、ピンク……様々な色はどれも表情が違っていて。
可愛らしさもあれば、清楚な感じも見せる。
たしか土壌の違いだったと思うけど、色んな彩りを探すのは楽しい。

多くのイメージは雨の中咲いている場面だろう。
雨が似合う花。
こんなことを考えながら、僕はアパートの軒先で雨宿りをしている。
文字通り、紫陽花を撮影していたら夕立に遭ったわけだ。

カメラは無事だったけど、頭はぐっしょりと濡れている。
それにしても、いつまで降るのだろうか。

どこかに雷が落ちた音がした。

僕は雨が降った日の出来事を思い出していた。

 ・・・

あの日、春の女の子の秘密を知ってしまった。

一人暮らししていると聞いたとき、僕は言葉が出なかった。
大変なんだね、それくらいのことしか言えなかった気がする。

「そうだね……。
案外、自炊生活が楽しいから大したことないよ」

彼女は案外そう言ったけれど。
実際の生活ぶりは想像できるものじゃない。
社会人にもなっていない僕の頭には、簡単じゃないとイメージするしかなかった。

それを軽々とこなす春の女の子はどんな生活をしているのだろうか。
もし、彼女が弱音を吐いたりしたら、僕にできることはあるだろうか。

雨が降ってきたので、それきり別れてしまった。

 ・・・

雨脚は少し強くなった。

まるで銀色の矢みたいな雨は僕に向けて跳ね返り、足元を容赦なく濡らす。
いつまで降るのだろうかという思いが降り積もっていく。
あまり遅くならないうちに帰りたいところだ。

休日の住宅街では人通りは少なく、辺りには雨音しか聞こえていない。
すると、そのリズムを引き裂くような音が響いてきた。
自転車を走らせている音だ。

大変だなあと他人事ではあるが、その姿を目で追ってみる。
それは僕の視界の目の前で止められた。

急いで人が降りてくるも、慌ててしまい自転車を蹴って倒してしまった。

「あっ」

その人物はよいしょ、と急いで自転車を立ち上げている。

振り返ったところで僕と目が合った。
水も滴る茶色のショートヘアーは金髪に輝いているように見えた。
僕は彼女の姿に目を見張る。

「春、ちゃん……」

「ゆう君……」

偶然の出会いは小さな挨拶を生んで。
スーパーの袋が散らばったまま、しばしの間お互いの瞳が合ってしまう。

「おうちに入って」

彼女は静かにつぶやくと家の鍵を開け、僕の手を取って中に引き入れた。

 ・・・

「だいじょうぶ、風邪、ひかない?」

春の女の子は玄関にてバスタオルを渡しながら尋ねてくる。
そして外に行ってスーパーの袋を拾ってきた。

雨にだいぶ濡れてしまったけれど、風邪をひくかは今判断つかないだろう。
それでも、彼女が心配してくれたのはよく分かる。
本当に優しい性格なんだなと実感した。

彼女は薄い水色のモノトーンでまとめたカットソーとフレア調のスカートを着ていた。
それははじめて見る私服で、可愛い姿だった。

でも、全身に雨がかかっていて、僕は凝視できなかった。

彼女はなにかよく分からない表情でこちらを見ている。
そして、上がっていいよと招き入れてくれた。

部屋の中は六畳分くらいの広さなのだろうか。
折り畳みができるテーブルがひとつと、少しの本棚とタンスがあるだけだった。
テーブルの上にはスーパーのチラシと英語の教科書が無造作に置かれている。
そして、部屋の隅にしまい込まれたミシンが気になった。

口には出さずにいたけど、あまり生活感を感じさせない。

春ちゃんはタンスの中をあさりだした。
何をするんだろうと思ったら、手頃なTシャツを出して渡そうとしていた。

「濡れたままだよ。
風邪をひいちゃうから、これ着ててよ」

いやいや、さすがにこちらも恥ずかしくなってくる。
すぐ帰るからと丁重に断った。

「あ、そう」

彼女は首をかしげながらキッチンに向かって行った。
すると、アイスティーを持ってきてくれて、僕の斜め向かいに座った。

「急に雨が降ってきて大変だったよねー。
わたし、近くで買い物してたら降られちゃったの」

君は?
と聞かれた僕は、デジカメのディスプレイを見せながら答えた。

「撮影だよ」

彼女は僕の方に身を寄せて画面を覗き込んできた。
肌が触れそうな距離に、うっすら洗い髪の匂いがしたような気がした。

春の女の子はきれいだなあ、と感嘆していた。

「紫陽花だよね。カラフルな洋服みたい」

……こんな日だと、雨のドレスを着てるのかなあ。

彼女はメルヘンチックな一言を言った。
なかなか文学的な印象のような気がして、僕もほほ笑んでしまう。

そういえば、このクラスになってはじめて写真の話題を出した気がする。
<おやつタイム>の皆は常に知っているから、なんだか新鮮だった。
まるで、ふたりで時間を共有している気になった。

アイスティーが部屋の灯りによって輝いている。
それは嬉しいという気持ちが照らされるような錯覚だった。

「わたし、おかわり入れてくるね」

だから、僕はつい立ち上がった彼女の背中に声をかけていた。
デートのつもりではないけれど、ふたりで出掛けてみたくなったのだ。

彼女の耳に届いたかどうか、それは雷鳴によってうやむやになってしまった……。

 ・・・

一瞬で家中の明かりが消えた。

ブレーカーが落ちたのだろうか。
とにかく玄関に行こう……。

僕は携帯電話の画面を付けて立ち上がった、ライトがあるから少しは見えるだろう。

でも、僕は驚くしかなかった。
それは雷鳴でも暗闇の中でもなかった。

春ちゃんがその場にうずくまってしまったからだ……。

「いやあ、やめて!!」

彼女の肩にそっと手を置くが、春ちゃんはそのまま動けなかった。

ただの雷だけで?

まるで小学生が雷を怖がるような、退行したような印象だった。
僕は彼女の泣きじゃくるような一言が耳元から離れなかった……。

「独りに、しないでよう」

玄関のブレーカーはすぐに上げることができた。

ふたりして居間に戻ってきたけれど、話を続ける空気ではなかった。

彼女は気分が落ち着かないからと横になってしまったからだ。
僕はしばらく待つしかできなかった。

彼女の秘密の奥底までキリトリしてしまった気がした。

この数か月あまり、彼女の姿を見ていた気がする。
好きになるには色んなところを知らないといけないのだろうか。

彼女の髪に、秘密に触れるのは勇気がなかった……。