(アヤカside)

みんなは<おやつタイム>に集まっていた。

ロッカーから部活で使う画材を出していた私は、ちらりとそちらに目を向けた。
春ちゃんの明るい声が響いていたからだ。
あまり表情を見せない彼女がこうしているのは珍しいな。

「ごめん、部活行かなきゃだから」

と、みんなに向けて手を振った。

机の上を見ると、なんだか美味しそうなパンの耳が並んでいる。
どうやら、春ちゃんの手作りだった。

「わたしが作ってきたの、せめてひとつ食べませんか?」

彼女は満面の笑みを見せておやつ の箱を近づけてくる。

今日は部活でおやつをつまむ訳には行かないのだけどな。
とはいえ、せっかく彼女が作ってくれたんだ。

「ありがとう、頂くわ」

私はできるだけクールに答えた。
パンの耳をひとつだけつまみ、美術室へ向かっていった。

 ・・・

美術部。

自分の<好き>に没頭できる世界だなって思う。
練習しないといけないことも多いけど、描くのに集中できる時間が好きなんだ。

「ちょっとアヤカ、面白いわよ」

先輩は笑いそうな顔を必死に抑えている。
パンの耳をくわえている私の姿を見たら当然だろうか。

すみません、と謝りつつ近くに置かれている椅子に座った。


今日は定期的に行われるデッサンの日だ、部員全員で順位付けが行われる。
題材はビンにリンゴだった。

いつもみたいに、わいわいがやがやと楽しんで描くわけにはいかない。

集中したいときのルーティンで授業用の眼鏡をかける。
椅子に座り直して気合を入れた。

教室内に鉛筆を走らせる音だけが響く。
……パンの耳、爽やかな砂糖の味がしたなあ。

何を考えてるんだ、私は。
……料理ができる人って素晴らしいよな。

関係ないことばかり思いつく。
……春ちゃんはこのリンゴをどう料理するのだろうか。

ホント私はどうしたんだろう。

きちんと書かないといけない、左の頬を軽くパシパシと平手打ちしてもう一回デッサンに向き合った。

 ・・・

……結果は中途半端な順位だった。
いつの間にかマンダリンオレンジの絵の具みたいな夕空になっていた。

時間一杯使い切って描いたせいか、どっとした疲れが出てしまった。
先輩声をかけてくれた。

「なんか、作品がブレてるね。
パンの耳が美味しかったけれど上手く行かなかった?」

集中力が切れちゃって、と私は正直に答えるしかなかった。

「珍しいわね、次頑張りなさい」

そういって先輩は他の部員にも声をかけていった。
……分かる人には分かるのだろうか。

 ・・・

それからしばらく経ったある日。

私は美術の選択授業でも鉛筆を走らせていた。
学校の敷地内を題材に風景画を描く課題だった。

「……ふう」

下書きはだいたい終わらせたから、次回からは絵の具を塗ろう。
終わる時間にはまだ早いけれど、タイミングが良いから戻ろうと決めた。

普段から描いていると、ペースの管理もある程度できるようになる。
これは先輩からの教えだ。


教室に向かって歩いていたら、遠くの方にちょこんと座る春ちゃんに気づいた。
彼女は黙々とスケッチブックに向かって作業をしている。

私は腕時計をちらりと見た。
もうそろそろ中断した方が良いよ、と呼びかけるため近寄ってみた。

その時、彼女が描いている絵が見えたのだが……。

……うん?

花をテーマにしていると気づくのに時間がかかった。
パースが狂っている。

でも、目を瞠るものがあった。

色鉛筆でつくるグラデーションだった。
わずかな色の差異であっても、きちんととらえて陰影を作っている。

あの気づきは、私にもできるのだろうか……。


その瞬間、最近のもやもやが分かった気がする。

「……嫉妬、なんだな」

私はポツリと呟いた。
自分にはないものを彼女が持っている。

私は彼女に声をかける気にならず、一人で美術室へ戻っていった

 ・・・

その日の帰り道、春の女の子について思い起こしてみた。

彼女はこの高校に来てから出会った。
最初に声を掛けたのはナギサだったと思うけれど、私たちの<おやつタイム>に自然と溶け込んでいる。
ふと見せる微笑んだ表情はきれいだなって思うんだ。

長く伸びた夕陽の日差しが私の顔を照らしだした。
それは電車の窓に反射して鏡写しのように映し出す。

このクールな表情をしている私は、どこから出てきたのだろうか。
ゆうの前ではこんなことしてないし、もしかしたら彼女の前だけなのかもしれない。

その気持ちが春ちゃんへの反発だとしたら……。

私の心は小さいのかもしれない。
本当にごめんなさい、心の中でそっと呟いた。