(ゆうside)

僕は放課後の図書室で参考書をパラパラめくっていた。

僕たちが通っているのはシンプルな普通科の高校だ。
<自立性・可能性>を教訓とした数多くの選択授業、様々な部活動が魅力的だ。
それでも日々の宿題や予習は必要になる。
今日は、課された宿題に少し頭を悩ませているわけだ。

図書室の扉が開く音に顔を上げたら、春の女の子が入ってきた。
彼女はこちらを見るなり僕が座っている机の前にやってきた。

「こんにちは」

「やあ」

僕たちは簡単な挨拶を済ませた。
人付き合いが苦手な彼女に負担をかけないようにしよう、そう考えたからだ。

彼女は机の前から動かない。
その表情を見ていると、不思議なものを見つめているような感じだった。

「……あれ、君は今日一人なの?」

「そうなんだよ、みんな部活だから」

なんだか、不思議な感じがする。
彼女はそう言った。
そうだろうか、部活に入っていない僕にはたまに一人になる時間がある。
それは春の女の子も同じだろう。

「そういえば、君のことなんて呼べば分からなくって……。
みんなに”ゆう君”って呼ばれているよね」

ああ、確かに。

「お母さんが好きな曲のタイトルから付けたって言ってたよ。
でも、”優しい・優れている・友人”とか色んな意味を込めたらしいんだ」

……だから僕の名前は平仮名なんだよ。
こういうと、彼女は静かに笑ってくれた。

「<おやつタイム>のみんなって下の名前で呼び合ってるよね。
そういうの良いなあ、って思うんだ」

そういえば、春の女の子のことはなんて呼べば良いのだろうか。
よくナギサとかは"春ちゃん"と呼んでいるな。

 ・・・

春の女の子は本棚に行ったと思ったら、すぐに戻ってきた。
なんだろうと思ったらこちらを見て困った顔をしている。

「その本、地学の本だよね。
ちょっと貸してほしいな。本棚に良いのなくって」

そうか、課題のためにこの本を読みたいのだろう。
机の上に置いてある本を彼女に差し出した。

「いいよ、読むの終わってたし」

本を受け取った彼女は、僕の正面に座って参考書を読みだした。
離れた席でも良いのかと思ったけれど、不思議な距離感のある子だと思った。
彼女は読みながら話しかけてきた。

「ねえ、本当にあるのかな?
氷河期以外に恐竜が絶滅した理由って」

「あると思うんだよ。
だって、それだから宿題が出ているじゃない」

「あ、そうだよね」

彼女は納得すると、また参考書を読みだした。
僕は一通り片付けをしながら声をかけた。

「それじゃあ、そろそろ帰るけど君はどうする?」

「あ、ゆう君。
わたしも帰るからちょっと待ってて」

自然と”ゆう君”と呼ばれているのに気づかなかった。

 ・・・

ふたりして校舎を出た。

成り行きで一緒に歩いている。
晴れていた空は薄暗くなっていて、なんだか湿り気のある空気になっていた。
雨催いの空だ。

校門を抜けたところで、彼女が声を出した。

「あ、雨降るかも」

その瞬間、本当に雨が降ってきた。
僕の鼻の頭に雨粒が当たる。

「やだ、濡れちゃう」

すぐに大量の雨が降り出した。
僕たちは急いで近くの屋根に、目についた<フレンドリィ マート>に行くしかなかった。
お互いに制服が濡れた姿のまま、ふたりで立ちつくしてしまう。

道路の方を見ながら、僕は彼女に尋ねてみた。

「なんでわかったの」

「だって、雨の匂いがしてたから」

そうなのか、全く分からなかった。
花や草木が好きだとこういうのも分かるようになるのかなって考えてみた。

「ほんと、良く降るねえ」

「そうだねえ」

僕が正面の住宅街を見ていると、近くの木々がゆっさりと揺れた。
春の女の子はその瞬間を良く見ていた。

「あれはオナガだよ。
尾っぽとかきれいな青色していて、きれいで可愛いんだ」

……その瞬間、思い出していた。
あの神社で見た野鳥。
僕はその正体を知るとともに、彼女の知識の深さを良く知ることになったんだ。

「この辺で散歩していると、良く見るよ。
ほら、頭の黒いのがベレー帽みたいなんだよ」

「ほんとだね」

彼女は長らく思っていたであろうことを聞いてきた。

「そういえば、なんて言うか。
放課後にみんなで話していても、君だけは静かみたいな」

「よく言われるかも。
僕はそうだなあ、みんなの表情を一歩離れたところから見てるつもりだよ」

ふとした日常を写真に収めるのが好きなんだ。
みんなの表情を見たりしている。
もしかしたら日記をつけるようなものかもしれない。

それが僕が部活に入らなかった理由でもある。
マイペースに写真を撮っていきたい。

僕は思い出したように財布を出してコンビニに入っていく。
だけども買ってこれたのはビニール傘一本だった。

 ・・・

ふたりして一本の傘を見つめている。

「傘ひとつだけ?」

「いや、今お金持ってなくて……。
君が使って良いよ」

僕はビニール傘を春の女の子の前に差し出す。
彼女は顔を思いっきり横に振った。

「いや、悪いよぅ」

しばらく無言の時間が流れる。
雨は一向に止む気配がない。

僕はもう一度傘を差し出すしかなかったんだ。

「春ちゃんが使えばいいと思うよ。
僕は上着があるから、駅まで行ければ何とかなるんだ」

いつの間にか”春ちゃん”と呼んでいるのに気づかなかった。
僕は彼女の返答を聞くこともせず、上着を羽織って走っていった。

 ・・・